文壇ゴシップニュース

文学に関するゴシップを投稿しています/アイコンは『文壇』を書いた野坂昭如(サングラスなしVer) ブログ https://hayasiya7.hatenablog.com/ Twitter https://twitter.com/hayasiya7

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最近の記事

真鍋呉夫『露のきらめき 昭和期の文人たち』

 真鍋呉夫は俳人として評価されている人だが、『こをろ』という同人誌を島尾敏雄や阿川弘之らと一緒にやっていた関係で小説家とも交流があり、檀一雄とは友人同士の間柄であった。  特に興味のある作家ではなかったが、『露のきらめき』という本の帯に「昭和文学の貴重な側面史」と書いてあるのを見つけ、とりあえず読んでみた。  結論から述べると大した本ではなかった。この本が出版されたのは、1998年だが、それまで真鍋が書いてきた書評や全集の月報などを集めたもので、そこで披露されている作家らのエ

    • 文壇ゴシップニュース 第9号 『スカーフェイス』の元ネタ? セルゲイ大公暗殺未遂事件

       ブライアン・デ・パルマが監督した映画『スカーフェイス』に、次のようなシーンがある。  主人公トニー・モンタナ(アル・パチーノ)は、キューバ難民としてアメリカにたどり着き、皿洗いからマイアミの麻薬王にまで上り詰め豪奢な生活を送っていたが、マネー・ロンダリングの際おとり捜査にひっかかり、脱税の罪で刑務所に送られそうになる。  そんな折、以前からビジネス・パートナーだったボリビアの麻薬王アレハンドロ・ソーサに呼び出され、ニューヨークの国連ビルでソーサやその仲間に不利な演説をしよう

      • 武野藤介「盗作・暗合・種探し」

         かつて文壇には武野藤介という「超軽量級」作家が存在した。彼が文壇から軽んじられていたのは、彼の守備範囲が、ゴシップにコント(ユーモアや哀愁を漂わせた掌編)、艶笑文学という大きな評価が得にくいものだったから。特にゴシップについては軽蔑の対象ですらあったが、1930年にそれまで匿名で書いてきたゴシップをあえて『文士の側面裏面』という本にまとめ自ら正体を明かした。これは当時の文壇を知るための格好の資料として、2007年にクレス出版から復刻された。  武野がこれまで書いてきたゴシッ

        • 乃井伊智郎「三島由紀夫、封印された『割腹自殺』の後日談」

           昔、ミリオン出版が出している『怖い噂』というムックがあった。オカルト、芸能、都市伝説、猟奇殺人などをメインに扱っていたが、三島由紀夫の記事がそこに掲載されたことがある。タイトルは「三島由紀夫 封印された『割腹自殺』の後日談」、筆者は乃井伊智郎とあるが、ネット上には彼に関する情報がまったくなく、おそらくこの文章のためだけに作られたペンネームなのだろう。記事はVol13、Vol14の二号にわたる長さ。  前篇は三島の遺体が自宅に戻ってきた時に発生したある事件についてで、乃井はあ

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        • 文壇ゴシップ的読書ノート
          8本
        • 文壇ゴシップニュース
          9本

        記事

          庄野誠一「智慧の環」

           文学が社会や人生において何の役に立つのか、という議論がある。この議論について私ならこう答える。庄野誠一の「智慧の環」を読めば、凡百のビジネス書の何百倍も有用な処世術を学ぶことができると。  庄野誠一は、慶応出身で水上瀧太郎に師事した三田派の作家。『三田文学』や『時事新報』に小説を発表していたが、肺結核により作家活動を中断し、回復後は文藝春秋社、甲鳥書林、養徳社などで編集者をつとめた。1948年、前年に死亡した横光利一をモデルにした中編小説「智慧の環」を『文体』上で発表し、そ

          庄野誠一「智慧の環」

          矢口純「回想 素顔の文人」

          『諸君』1996年7月号から1997年6月号にかけて、矢口純の「回想 素顔の文人」という連載が掲載されていた。これは単行本になっていない。  矢口は敗戦から二年後、友人の父親が専務を務めていた関係で、婦人画報社に誘われ、村会議員から編集者に転職したというキャリアの持ち主。ちなみに、『婦人画報』は元々1905年に国木田独歩によって近事画報社から刊行され、その後東京社、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)と発行元が移り変わっていた。  婦人画報社で最初に手掛けたのは、日本赤十字社の

          矢口純「回想 素顔の文人」

          中根駒十郎『駒十郎随聞』

           文壇史というものを考える上で、編集者の証言ほど重要なものはない。裏方として出版業に携わる彼らの下には、普段から思想や流派を超えた様々な情報が集まり、またその情報を利用して仕事をしている(情報弱者であることは、最悪作家との絶縁にまで発展する)。すなわち彼らほど、文壇の裏の裏まで知悉しているものはいないということだ。  小説家の多くは編集者ほど事務作業に携わないし、交流も限られているうえ、表舞台に立っている人間の保身として全てをさらけ出すことは稀だから、彼らの証言だけでは必ず文

          中根駒十郎『駒十郎随聞』

          中河与一『誰も書かないから僕が書く 隠された文壇史』

          「誰も書かない」というタイトルから、どれだけすごいことが書かれているんだろうと期待して読んだら、完全に肩透かしを食らった一冊。谷崎潤一郎の妻君譲渡事件や、太宰治が佐藤春夫に芥川賞をねだったことなど、本書が出版された1980年の時点で散々書かれていることを、表面的にまとめているだけ。新事実のようなもの皆無。  中河は文壇との関わりも深く、本人しか知らないことはあったはずなのに、そういうことを一切書かず済ませているのはある意味すごい。  著者紹介の欄に、「構想を練って十年余り」と

          中河与一『誰も書かないから僕が書く 隠された文壇史』

          高山辰三『天下泰平文壇与太物語』

           ゴシップというのは、普通、新聞や雑誌に匿名で書き飛ばされ、読み捨てられるもので、単行本になることはない。そんなものを実名で書いたり出版したりしたら、世間からまともな人間・会社ではないと敬遠されるからだ。しかし、そうした慣例をぶち破った書物がある。それが、同時代の文壇ゴシップを集めた、高山辰三の『天下泰平文壇与太物語』である。  まずこの本の異常なところは、序文だけで37ページもあることだ。しかも、一人ではなく十人もの人間から序文を貰っているのである。この事情について、牧民社

          高山辰三『天下泰平文壇与太物語』

          文壇ゴシップニュース 第8号 ネタ切れなんて怖くない!

           私は売れない作家である。いや、正確に言うと、自費出版で出した小説が一冊も売れたことのない作家である。もちろん、編集者から何かを依頼されたことなど一回もない。そのように作家としては底辺に位置しながらも、ずっと心配していることがある。  それは、もし売れっ子になったら、ネタがすぐに尽きてしまうのではないか、ということだ。何しろ流行作家というのは、同時に十本以上の連載をもち、ひと月に原稿用紙五百枚~六百枚、中には千枚以上書いた作家もいるという(逆に、リリー・フランキーのように数年

          文壇ゴシップニュース 第8号 ネタ切れなんて怖くない!

          文壇ゴシップニュース 第7号 アルベルト・モラヴィアの逆ポルノ小説『わたしとあいつ』

           千種堅『モラヴィア』を読んでいたら、モラヴィアに『わたしとあいつ』という問題作があることを知った。モラヴィアが64歳の時に発表した長編小説だ。モラヴィアはもともと性をテーマにしている作家と認識されていたが、『わたしとあいつ』は一線をはるかに越えているとして、モラヴィアにはポルノ作家のレッテルが貼られ、小説は発禁処分を受けたという。千種は『わたしとあいつ』の中身について次のように説明している。  この作品がそれまでのものと決定的に違うのは、男性の性器に人格を与えたことである

          文壇ゴシップニュース 第7号 アルベルト・モラヴィアの逆ポルノ小説『わたしとあいつ』

          文壇ゴシップニュース 第6号 シンクレア・ルイスの顔面を侮辱したヘミングウェイ──私小説としての『河を渡って木立の中へ』──

           まずは、次の文章を読んでもらいたい。  二人は、三つ目のテーブルにいる男のほうを見た。イタチのがっかりしたところを、うんと拡大したような不思議な顔をした男だ。安物の望遠鏡で月世界の山の景色を見たときのように汚い痘痕づらは、ゲッペルスの顔に似ている、と大佐は思った。もしヘル・ゲッペルスが、火に包まれた飛行機にのっていて、火のつく前に機体から脱出できなかったら、あんな顔になるだろう。  その顔が、抜け目のない詮索好きな視線に答えるように、絶えず、あちこちのぞいている。その顔の

          文壇ゴシップニュース 第6号 シンクレア・ルイスの顔面を侮辱したヘミングウェイ──私小説としての『河を渡って木立の中へ』──

          文壇ゴシップニュース 第5号 ニーチェを読む渡邉恒雄あるいは精液でいっぱいの一升瓶、作家にとってパーティーとはなにか

          ニーチェを読む渡邉恒雄あるいは精液でいっぱいの一升瓶  高校生の頃だったか、スポーツ雑誌の『Number』を読んでいたら、渡邉恒雄特集(という名の批判)みたいなのが組まれていたのだが、ミニ情報的な感じで、学生時代のナベツネが一升瓶に精液を溜めていた、という短い文章が隅の方に載せられていて、その発想に俺は強い衝撃を受けた。これはただ者じゃない、と。  爾来、十年以上もそのことを記憶し続けていたのだが、一体それのネタ元が何なのかはわからなかった(書いてあったのかもしれないが忘れた

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          文壇ゴシップニュース 第4号 夏目漱石が出した緑のウンコ/宇野浩二とグリセリン浣腸、ノーマン・ポドーレツ『文学対アメリカ』から考える、文学における成功と野心

          夏目漱石が出した緑のウンコ/宇野浩二とグリセリン浣腸 夏目漱石の弟子の一人である江口渙が書いた文学的自伝『わが文学半世記』には、漱石と江口による、次のようなやりとりがある。 「先生。ちがごろ、胃の具合はいかがですか。」 (略) 「そうだね。べつによくもないね。」 「じゃ。べつに悪くもありませんか。」 「いや。むしろ悪いね。」  こういう時の漱石は、いつもぶっきら棒に答える。 「まことにきたない話だが、このあいだも、すこし餅菓子をたべすぎたら、また、青いウンコが出たよ。」 「

          文壇ゴシップニュース 第4号 夏目漱石が出した緑のウンコ/宇野浩二とグリセリン浣腸、ノーマン・ポドーレツ『文学対アメリカ』から考える、文学における成功と野心

          文壇ゴシップニュース 第3号 谷崎潤一郎と泉鏡花の仁義なき鍋戦争、ホテルと糞とテネシー・ウィリアムズ

          谷崎潤一郎と泉鏡花の仁義なき鍋戦争 泉鏡花については、その小説と同じくらい、奇癖についても語られてきた。師匠である尾崎紅葉を崇敬するあまり、床の間に飾った紅葉の肖像に毎朝礼拝する。病的な潔癖症で、酒は唇を火傷するくらい熱燗にしないと飲めない(これは鏡花崇拝者の間で真似られた)。黴菌を運ぶという理由から蠅も大の苦手で、見つけた際には妻も動員して必ず殺す。家の男用小便器は封鎖。余談だが、中河与一も黴菌恐怖症で、いつも消毒液で手を真っ赤にしていた。  そのほかにも、犬と雷に恐怖心を

          文壇ゴシップニュース 第3号 谷崎潤一郎と泉鏡花の仁義なき鍋戦争、ホテルと糞とテネシー・ウィリアムズ

          文壇ゴシップニュース 第2号 ヤクザに自分の糞を拾わされた武田泰淳、ツルゲーネフとドストエフスキーの対決

          ヤクザに自分の糞を拾わされた武田泰淳 終戦後、物資が払底した日本ではカストリという酒が流行った。サツマイモやコメを原料にした粗悪な密造酒で、味わうというよりかは酔っぱらうための酒だった。  当時、有楽町駅の東側にカストリ横丁と呼ばれた一画があり、そこでは五、六人も入れば一杯になるバラックの飲み屋が軒を連ねていた。  その中の一つにお喜代という店があり、作家連中のたむろする場所として知られていた。常連だったのは、立野信之、寺崎浩、中島健蔵、高見順、田村泰次郎、武田泰淳、梅崎春生

          文壇ゴシップニュース 第2号 ヤクザに自分の糞を拾わされた武田泰淳、ツルゲーネフとドストエフスキーの対決