文壇ゴシップニュース 第9号 『スカーフェイス』の元ネタ? セルゲイ大公暗殺未遂事件
ブライアン・デ・パルマが監督した映画『スカーフェイス』に、次のようなシーンがある。
主人公トニー・モンタナ(アル・パチーノ)は、キューバ難民としてアメリカにたどり着き、皿洗いからマイアミの麻薬王にまで上り詰め豪奢な生活を送っていたが、マネー・ロンダリングの際おとり捜査にひっかかり、脱税の罪で刑務所に送られそうになる。
そんな折、以前からビジネス・パートナーだったボリビアの麻薬王アレハンドロ・ソーサに呼び出され、ニューヨークの国連ビルでソーサやその仲間に不利な演説をしようとしている活動家の殺害を手伝えば助けてやると持ちかけられる。モンタナは取引を受けることにする。
ソーサ子飼いの暗殺者が活動家の車にリモート爆弾をしかけ、モンタナが運転する車で追跡し、演説前に車中で爆殺する予定だったが、決行当日、活動家の妻子が爆弾のしかけられた車に同乗してしまう。暗殺者は意に介さず起爆装置を作動させようとするが、モンタナは「おれが女子供を殺すと思うのか」と激昂し、助手席に座っていた暗殺者を射殺したことで、計画は失敗に終わる。
映画を観た人なら誰でも記憶している印象的なシーンだが、これはセルゲイ大公暗殺未遂事件が元ネタになっているのではないかと思う。
1905年2月2日、モスクワのボリショイ劇場で赤十字後援のための観劇が、セルゲイ大公夫人主催で催された。当日は、セルゲイ大公も観劇する予定だった。それを知った社会革命党のテロリスト達は、セルゲイ大公の乗った馬車を待ち伏せして、ダイナマイトで暗殺する計画を立てた。
暗殺者の一人、カリャーエフは「無口で、沈んだ人間の多いテロリストの中では、変り種に見られている熱情家」で、「文学が好きで、いつも新しい詩人たちの名を口にする」男で、仲間からは「詩人」と呼ばれていた(引用は、大佛次郎「詩人」より)。
カリャーエフは自らテロリストになることを志願したが、計画が実現に向かうにつれ、死への予感から神経が異常に高揚し「組織に対する熱烈な愛」を始終口にした。暗殺計画が定まった1月末には「痩せて、ひげはのびほうだい、きらきら輝く目は落ちくぼんでいた」(サヴィンコフ『テロリスト群像』)。そして、暗殺に失敗したら日本人のように「ハラキリ」をするとまで宣言した。
しかし、決行当日、カリャーエフが待ち伏せする方に走ってきたセルゲイ大公の馬車の中には、セルゲイ大公の他に「大公夫人エリザヴェータとパーヴェル大公の子供たち」が同乗していた。それを視認したカリャーエフはダイナマイトを投げることができなかった。公園で待っていたサヴィンコフにカリャーエフは、「ぼくの行動は正しかったと思う。子供を殺すことができるだろうか?……」と言った。
『蒼ざめた馬』などの小説で知られるロープシンことサヴィンコフが書いた回想録『テロリスト群像』によってこれらの事実が明かされた。サヴィンコフは社会革命党でテロを指揮していて、カリャーエフに指示を与えたのも彼だった。カリャーエフのこのエピソードは小説家をインスパイアするものらしく、『テロリスト群像』をもとに大佛次郎は「詩人」という小品を書いた。
また、カミュは『正義の人びと』でカリャーエフについて戯曲化し、『反抗的人間』という評論では「思想のために殺人を犯すとはいえ、いかなる思想も人間のいのち以上に考えていない」と評している(逆に現代は思想・信仰が人間のいのちを凌駕してしまっているというのがカミュの意見だ)。
『正義の人びと』は、カリャーエフの「正義」が他の価値観とぶつかっていく様子を描いている。
例えば、同じテロリスト仲間のステパンは、暗殺に失敗したカリャーエフと彼を擁護する同志を非難し、革命を本当に信じていれば子供が二人ぐらい死んだってたいしたことではないと叫ぶ。目的を達成するためには手段こそ大切だと考えるカリャーエフと、革命のためなら犠牲・強制はやむを得ないと考えるステパンの対決がここでは描かれている。
ちなみに、カリャーエフは、暗殺に失敗した2日後に、今度は一人で馬車に乗っていたセルゲイ大公に爆弾を投げ殺害することに成功する。逮捕されたカリャーエフは、心変わりを条件に特赦をちらつかされるがそれを拒否し、絞首刑に処せられる。それを知った同志たちは、カリャーエフが「幸福だった」と話し合う。
『スカーフェイス』では、ソーサの怒りを買ったモンタナが、自宅を襲撃され殺害されるが、ふたりとも目的のために人間性を失わなかったという点が共通している。
脚本を書いたオリバー・ストーンは元小説家志望でジィムズ・ジョイス、ノーマン・メイラー、J・P・ドンレヴィー、ジョイス・ケアリー、ランボーなどを読んでいたというから、カミュを読んでいても不思議ではないと思うのだがどうだろうか?
参考文献
大佛次郎『ドレフュス事件・詩人・地霊』
サヴィンコフ『テロリスト群像』
カミュ『反抗的人間』
カミュ『戒厳令・正義の人びと』
ジェームズ・リオーダン『オリバー・ストーン 映画を爆弾に変えた男』