マガジンのカバー画像

【連載】西洋美術雑感

43
西洋美術から作品を取り上げてエッセイ評論を書いています。13世紀の前期ルネサンスのジョットーから始まって、印象派、そして現代美術まで、気ままに選んでお届けします。
運営しているクリエイター

#絵画

西洋美術雑感 39:ポール・セザンヌ「リンゴの籠のある静物」

再びセザンヌを取り上げよう。なぜセザンヌが多いかというと、それはやはり彼が、その後の現代美術に多大な影響を与えた、ということが大きいからだ。彼自身は遅咲きな人で、中央のパリの画壇では彼の絵はなかなか認められなかった。後年、田舎にこもってひたすら描き続けたが、その画布は、まず先に、他の画家たちを説得して行ったのだが、最終的に、その影響力は絶大なものになった。 彼は、その現代的な絵画感覚ゆえに、現代美術の元祖みたいに解説されることが多い。そのせいで、さぞかし先進的な感覚に富ん

西洋美術雑感 38:エドガー・ドガ「アブサン(カフェにて)」

ドガの絵を出すのであれば、まずは、有名なバレリーナの絵や、水浴する女や、競馬の動く馬を描いた絵など、そういうものを上げるべきなのはわかっているが、ここでは彼が中期に描いたこのパリの場末を描いた絵にした。ここで白状するが、僕はドガの絵が実はそれほど好きではない。ドガのようなすばらしい芸術家をつかまえてそれはないのだが、自分に引っかかるものがあまりないのである。 先にあげた彼の有名な画布の数々は、いずれも「動き」をとらえていて、当時はすでにカメラが普及し始めた折でもあり、彼が

西洋美術雑感 35:アングル「トルコ風呂」

これはアングルの有名な絵「トルコ風呂」である。もちろん印象派絵画ではなく、印象派画家たちが対抗した当時のアカデミズム画壇の頂点に君臨する画家アングルの最晩年の作である。これが描かれたとき、ちょうどエドゥアール・マネの「草上の昼食」が発表されて物議をかもしている。つまりこれは、アカデミズムと新進の画家たちの対立が劇化しはじめた、その時期に当たっているのである。 しかし、アングルはそんな対立などものともせず、古典絵画手法で女の裸体をこれでもかと描きまくっている。これを描いたと

西洋美術雑感 34:ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」

この絵は僕が初めてセザンヌの絵の美しさに正しく気付いたものだったような覚えがある。それまで、彼の絵を画集でもたくさん見て、その後、パリのオルセー美術館をはじめ、実物をたくさん見たはずだけど、どういう見方をしていいかよく分からなかったらしい。 この絵はセザンヌがパリを離れて郊外へほとんど引き籠り、黙々と製作を続けていたころの作品で、このサント・ヴィクトワール山を彼は、晩年に至るまでたくさん描いている。これはその一つで、彼の最晩年の作に相当し、実物は東京のアーティゾン美術館に

西洋美術雑感 33:エドゥアール・マネ「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」

この絵画エッセイも印象派に突入したし、ちょっと気楽に書いてみようと思う。 このエドゥアール・マネだが、彼は印象派のちょっと前の人、という気がしていて、でも、その後の印象派の画家たちのブレイン的存在、というイメージがある。というのは、まず、彼の有名なモノクロの肖像写真が、これがまたやけに頭が良さそうな顔なのである。大きな髭を蓄えて、頭はなんかいい感じに禿げてて、なんとなく小柄な感じがして、まるで、シリコンバレーで成功した昔のスタートアップ会社の創業者みたいな風格なのである。

西洋美術雑感 32:クロード・モネ「印象・日の出」

これより以降は印象派絵画の時代になる。 印象派はだいぶ昔に日本で一世を風靡した感があって、おそらく今でも西洋絵画でもっとも人気があるのが印象派であろう。自然を描いた風景画が主で、それを明るい色をふんだんに使って、主にその光に注目して描いた。これはほぼ純粋に視覚的な特徴なので、見間違うこともほとんどない。それまでの西洋絵画は、ルネサンス、ゴシック、マニエリスム、バロック、ロココ、などなどいろいろな美術史上の区分があって、それを見分けるのは、画布を知っていれば別だが、初見で見分

西洋美術雑感 31:アングル「浴女」

これはアングルの有名な「浴女」という絵だが、この裸の後ろ姿のインパクトはたしかにものすごい。ルーブルで見たが、なんといったらよいのやら、その完成度の高さは尋常ではなく、呆れ果てるレベルである。この裸体の、顔もなければ、胸もなければ、お尻もない、この肌のかたまりの描写は、産まれたてのツルツルのなにかの虫のように見えた。 肉付きのよい、ちょっと盛りを過ぎた、しかしまだ十分若い女の後ろ姿、と言えないこともないけれど、たとえば、それまでやたらと女の裸体ばっかり描いていた西洋絵画の

西洋美術雑感 30:ミレー「晩鐘」

印象派の絵画へ移る前に、バルビゾン派の絵画を紹介しておこう。中でもこのミレーは日本でもなじみが深く、ほとんどの人が知っているであろう。バルビゾンはパリから少し下ったところにある小さな田舎町だが、ここにかつて幾人かの画家が集まり、その広大で静謐な土地の風景画を多く描いたのである。そこでは主題は風景の方で、かつての西洋絵画のような宗教でも神話でも歴史でもない。 ここにあげた絵はミレーで特に有名な作品のひとつの「晩鐘」である。絵の中の農民二人の姿を見て、これは人間が主題ではない

西洋美術雑感 29:クロード・ロラン「日没の港」

長い西洋古典絵画の歴史において、ただ自然だけを描いた絵というのはだいぶ後になって現れた。それはたとえば、フランスのミレーやコローといったバルビゾン派の画家たちが描いた、情緒に溢れる広大な土地の風景画あたりまで待たないといけない。それまでの絵画では、そこには必ず、神話の主題があり、宗教的な主題があり、なんらかの人間劇があり、物語があった。そして、自然の風景はその物語の舞台として描かれたのであって、その物語となにかを共感して共有するがごとく、物語の注釈としての役目を果たしていたの

西洋美術雑感 28:ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」

北方ルネサンスの画家の紹介ではけっこうグロテスクなものを多く出してしまったが、この、農民画を多く残したブリューゲルを紹介しないと片手落ちだろう。 ボッシュの影響を受けたらしいと伝えられるブリューゲルは、ボッシュの絵の中の怪物や奇妙な振る舞いの人間たちに代えて、農民をはじめとする庶民を同じような感じでたくさん登場させ、画面を埋め尽くした。その画風はたしかにボッシュの絵に似通っている。 ブリューゲルがなぜここまで農民の生活を事細かに描いたかは分からない。いま現代のわれわれ

西洋美術雑感 27:アルチンボルド「水」

真面目で深刻な宗教画や、意味深な神話の場面や、多義的で怪しげな絵画や、やたらとドラマチックな劇や、宗教や神話にかこつけてやたら裸体を描いてみたり、とか、さまざまに展開する西洋古典絵画だが、その中で破格におちゃめなのがこのアルチンボルドの肖像である。 ここではその中で「水」を取り上げたが、水棲の海鮮物が集まって人の横顔になっているわけだ。 このような肖像を彼は何十点も描いていて、それぞれ、果物、野菜、木々、動物、鳥、花、本、道具、などなどを複雑に組み合わせて描いた肖像が

西洋美術雑感 26:カルロ・クリヴェッリ「受胎告知」

カルロ・クリヴェッリはルネサンス盛期の始まり、あるいはルネサンス初期の終わりに位置する画家で、この人の絵も独特である。その後のラファエロで完成するイタリアルネサンスへ通じていると言えないことは無いのだが、自分としては、そこからだいぶ外れているように感じられる。 本来なら、クリヴェッリの描く、非常に冷たく、気高い感じの独特な女性の顔が登場する数々の絵を出したいところだが、ここではこの絵を選んだ。 この絵を見ていちばん最初に感じるのが、この厳密に製図のように描かれた透視図

西洋美術雑感 23:ピエロ・デラ・フランチェスカ「キリストの降誕」

いちばん好きな画家は誰かと聞かれてピエロ・デラ・フランチェスカと答えるぐらいの自分なので、すでに「キリストの鞭打ち」の絵を出したとはいえ、あれだけで終わるのは寂しい。なので、もう一枚、上げておく。 ピエロの絵は、非常に客観的な冷たい感じの様子と、恍惚としたような無言の共感の、相異なる二つの方向性が感じられ、この二つはどちらかが強くなることもあれば、同時のこともある、といった風で、絵によっていろいろである。それで、最初に出した「キリストの鞭打ち」は、前者の冷たい感じが前面に

西洋美術雑感 22:シモーネ・マルティーニ「受胎告知」

フィレンツェはいわずと知れたルネサンス美術の中心地である。誰でも知っているレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリといった人たちはここで活躍したのである。前にも紹介した、ルネサンスの夜明けに相当するジョットもここフィレンツェである。 そんなルネサンスな街は、行ってみるとコンパクトで親しみやすい感じの街だった。そしてそこにかの有名なウフィツィ美術館がある。本拠地にある大美術館のコレクションは、まさにルネサンスの殿堂のようなところだ。 前にも書いたように僕は