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西洋美術雑感 22:シモーネ・マルティーニ「受胎告知」

フィレンツェはいわずと知れたルネサンス美術の中心地である。誰でも知っているレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリといった人たちはここで活躍したのである。前にも紹介した、ルネサンスの夜明けに相当するジョットもここフィレンツェである。
 
そんなルネサンスな街は、行ってみるとコンパクトで親しみやすい感じの街だった。そしてそこにかの有名なウフィツィ美術館がある。本拠地にある大美術館のコレクションは、まさにルネサンスの殿堂のようなところだ。
 
前にも書いたように僕は実は最盛期のルネサンスがわりと苦手で、もちろん嫌いなはずはないのだが、絵を前にしても、はあー、って感じで感心して見るばかりで心に残るようなことはあまり無い。というかルネサンス美術の特徴というのはそういうものではないだろうか。健康的で開放的で、そこになにかしら謎が含まれていたとしても数学の問題のルックスのようにすっきりしている。
 
この壮麗なルネサンスの幕開けを告げる作品はこの美術館では、たぶん、ボッティチェリの大作の、プリマヴェーラとヴィーナスの誕生の二枚ではあるまいか。この二枚はすでにアイコン的に有名で、誰でもどこかで必ず見ているぐらい、有名であろう。
 
さて、その大作に至るまでのいくつかの部屋では、ルネサンス前期の画布が掛けてあり、その最初の部屋では、チマブエ、ドゥッチオ、ジョットの三人の画家の描いた大きな聖母子像が並び、そこを過ぎて少し行くと、このシモーネ・マルティーニの横長の受胎告知がある。
 
僕のウフィツィでの経験の中では、美術館の作品の最初のピークがこの受胎告知で、そのあと、徐々にフェードアウトして行く作品の数々、という印象がいまでも思い出されるのだが、つくづく自分というのは健康な芸術には反応せず、なにかしらの悪徳みたいなものが必要なようなのだ。僕と逆のタイプの人ならおそらく、くすぶったような前期ルネサンスがしばらく続いたあと、突然、花が満開に咲いたようなボッティチェリの大作がピークになり、そのあとにルネサンスのめくるめく美が続くように感じるであろう。人の好みというのはおもしろいものだ。
 
そして僕にとってのピークのマルティーニの受胎告知であるが、この差し渡し3メートルを超える、ゴシック調に周りを装飾した大きな絵画は部屋の真ん中に無造作に置いてあった。だいぶ前のことで、まだ当時はウフィツィは全体に古びていて、薄暗くて、けっこう汚れた感じがして、作品の展示もだいぶぶっきらぼうで適当だった。柵もなく、あるいはあっても監視員も誰もおらず、僕は、文字通り目と鼻の先まで近寄って、至近距離でながめることができた。
 
左側の天使ガブリエルは天を指さし、受胎の言葉をマリアに向かって発している。そして右側のマリアは、困ったような不愉快なような怒ったような微妙な顔をして、体をよじって天使を見ている。この全体の表現は、とにかくものすごかった。
 
特にこの天使ガブリエルの姿はこれ以上ありえないだろう、というぐらい優雅だった。その斜め横から見る顔の表情も美しく、僕はその顔を至近距離でずっと見ていた。そうしたら、その目がどこかあらぬ方を向いているような気がしてきた。次に気付いたのが、言葉を発するために少し開いた口に2本の歯がのぞいていることだった。
 
歯。人間の中でひとつだけ露出した骨。生きた物を、嚙みちぎり、砕き、咀嚼して食するための器官。いったい天使に歯が必要なのだろうか。そう思うとこの優雅な天使と奇妙なマリアの図が、だいぶ不気味に思えてきた。
 
やはり自分はこういう、優雅と不気味のコントラストのような、正反対なものが共存する姿に惹かれるんだな、と改めて、思う。

Simone Martini, "Annunciation", 1333, Tempera on wood, gold background, The Uffizi, Firenze, Italy


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