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「静かな夜のマーレ」第1話

【あらすじ】
自分に絶望し傷心旅行先の異国でもトラブルに巻き込まれた真理恵を救ったのは元男性の美人娼婦だった。 心の傷に不器用に触れ合いながらも、すれ違っていくふたり。疑似家族の温かさと犯罪の闇が交錯する静かな夜。ランプに照らされたふたりの行く末とは。


 雨が降っていた。

 南国特有の大きな雨粒が地面を叩いているのを、みすぼらしいネオンだけが照らしていた。髪に湿気がまとわりつくのをリコは嫌ったが、切れかけていたニコチンを補充するために 仕方なく席を立った。店のオープンデッキは痛んでいて木製の床がギチギチと不快な音を立てる。貧相なマッチ棒から産まれた小さな炎は闇夜に溶けた白いドレス浮き上がらせては消えた。煙の向こう、雨音の向こうに微かに人の気配を感じた。大方酔っ払いが騒いでいるのかとも思ったが、それは聞き慣れない言葉で、女の声だった。

( 誰か助けてください。英語が話せる人はいませんか?)

「何言ってんのこいつ?お前わかる?」
「少しなら」
 バーの入口の階段にもたれて、ふたりの男が黒髪の女を見下ろしている。

( 借家の大家と連絡がとれなくて、家に入れなくて )
「コイツ中国人かな。それとも韓国人かな」
「さあ。金持ってればなんでも」

( 近くにホテルとか泊まれるところありませんか )
「こいつはいいカモじゃないの?」
「んだな~」

 その光景を見てもまだリコは無視するつもりだった。雨が降ると店に入るでもなくたむろする輩は掃き捨てても掃き捨ててもきりがなかったし、バックパッカー気取りの外国人はろくに金も落とさず写真だけ撮っていく。両方がいっぺんにいなくなれば清々するとまで思っていた。

( 近くにハッピーなホテルあるよー。安いよー )
 男のひとりが女の腕をとって歩きだそうとしたとき、店の中から「ディー」がひげ面を覗かせた。

「あーらら、かわいそうに。あれは有り金むしられて帰れなくなるやつだね~」
「・・・どういうこと?」
「粉だよ粉。有名だよあいつら」

 瞬間、リコは頭がしびれたように真っ白になり、無意識に歩き出していた。
「おい、いいのかい?ろくなことないよ ちょっと?」
 ディーの忠告は耳を通過し雨粒のひとつとなって地面に染みこむだけだ。リコは足早に階段を降りて声を張る。
「待ちなさい!」
 リコの透き通った声は3人を振り向かせるのに十分だった。
「その子は私の客よ。抜け駆けは許さないわ」
 振り向いた黒髪はずぶ濡れの服に垂れ下がっていて、見開かれた瞳はおびえきっている。本当の野良犬は自分の方なのに、どう見てもその女は捨て犬みたいにしか見えなかった。

 じっと見つめ合う。
 周囲の時間が止まっても雨は降り止まない。
 まるで、この世に私たち ふたりしか存在しないように。

「おめーテキトーなコト言ってんじゃ・・」
にじり寄るふたりの男をディーが制している間に、リコは女の手を取って夜の街に連れ出した。
 ネオンが連なる通りには雨を避けて人通りは少ない。足下にキラキラ反射した色とりどりの儚い光を追いかけながら、無言で道の真ん中を歩く。
いったい何をしているんだろう。そんな自分が滑稽で可笑しさがこみ上げてくる。戸惑う華奢な手を引いて笑顔をかける。

 あはは

 女も少し笑った。

 ここは最果ての天国。少しくらい不相応なことをしたってバチは当たらないだろう。明日の朝にまた日が昇って、この街を世界から追い出してしまう前に。その前に、この罪を消してしまえばいい。

    ――※――

 日が暮れて、薄暗い廊下に青白い蛍光灯が点々と並んでいる。とても新しいとは言えない雑居ビルの3階に彼女を縛り付けている職場はあった。編集室の鉄の扉に身体をぶつけながら押し開く。真理恵はこの冷たくて重い扉に触れるたびに ”色んなひとの怨念がすり込まれている ”とさえ感じる。丸一日歩き詰めだった身体に力が入らない。

「ただいま戻りました」
 軽い機材に反して無駄に重たいアルミのハードケースを肩に食い込ませながら部屋に入っても、住人達はだれも振り向こうともしない。まるで独りごとだ。
 定位置にキャリングケースを置く。ビデオカメラから電池パックとメモリーカードを抜き取る。電池は充電器へ、メモリーカードは撮影内容と日付をカードケースに書き込んで【本日撮影】のキャビネットに収める。繰り返し行いすぎてほとんど反射的な動作をしているうちに、ようやく上司から声がかかった。
「あ、マリちゃんお帰り。ちゃんと撮れた? 桜」
「それが・・・まだ満開まではいってなくて花びらが散ってる桜なんて無くて・・」
「ああ~~? それじゃ依頼通りの 寂しい感じ出ないでしょうがよー。ちゃんと探したのかよ」
「はい、一応公園の中は全部」
 上司であるチーフは中年の小太り男だった。映像制作会社の正社員で同時に複数の案件を受け持っている。細かく揺れ続ける彼の太ももが苛立ちを物語っていた。
「散ってないならないで枝を揺すってみるとかさあ、なんかできるだろ」
「さすがにそれは憚られるというか・・」
上司はあからさまなため息をついてカラオケビデオの編集作業に戻ろうとする。
「あの・・素材の整音だけでもしておいたらいいですか」
 真理恵の提案に手を振って「ノー」を伝える。
「最近総務がうるさいから、契約社員の残業。だからもういいよ帰って」
 俺らが若いときはこんなめんどくせえルールなかったのに、というお決まりの捨て台詞を背中で聞きながら手早く帰り支度をする。

 小さなエレベーターのドアが閉まった瞬間 背中にどっと疲れがのしかかってくる。タイムカードを押して通用口に差し掛かると、ちょうど今夜担当の警備員が入れ替わりに入ってきた。
「お、お疲れ真理恵ちゃん。疲れてるね~顔」
「お疲れ様です。シフト今からですか? なんか機嫌よさそうですね」
「おうよ、久々にパチンコで勝ったからカミさんと熱海で温泉浸かってきた。真理恵ちゃんもたまにはパーッとはめ外した方がいいよ顔死んでるから!」
「はあ。」
「彼氏と南の島とかいってさ、あ、彼氏いないんだっけ。とにかくパーッと元気に、ね! んじゃ」
 こんなとき、周りの元気が逆につらい。

 帰り道、満員電車で窓際に立つと、その「死んでる顔」と向き合わなければならなかった。伸ばすでもなく短くするでもない髪が、どこにも行けない自分を表しているようで嫌気がさす。

 真理恵がマスコミを目指し始めたのは中学3年の夏だった。
ちょうど中東で戦争が起きて、連日テレビを賑わしていた。入れ替わり立ち代わり出演する年季の入った男性解説員の中でひとり、堤桂子は際立っていた。入社数年の女性記者がビシッと紺のスーツを着こなして戦況や避難民の行方を堂々と解説する姿に、真理恵は衝撃を受けた。「あんなふうになっていいんだ」と思った。
 保守的で頭の固い父親、それに付き従う母のもとで育った。「女に教養があっても役に立たない」と口に出すような父だった。「可愛くてみんなから愛されるのが女の幸せ」と口に出すような母だった。小さい頃は素直にそれを信じていた。
 高校2年の冬。2つ年下の弟が自殺した。遺書もなく「受験を苦に」と片付けられた。真理恵はいじめが原因だと知っていたし、そう主張したがついに取り上げられることはなかった。
 閉塞した男社会。田舎から逃げ出すように上京し、外国語に強い大学に進学。大手テレビ局への就職に失敗して、「煮ても焼いても食えない」と言われる映像制作会社で契約社員として働き始めた。そうしてもなお圧倒的な男社会から逃れることはできなかった。
 アパートのドアを開け、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。半分くらい飲んだところで冷凍ピラフが電子レンジで産声をあげる。就職依頼数年、毎晩繰り返されるルーティーン。誰にも邪魔されない聖なる儀式。
 テレビをつけるとちょうど、キャスターの堤桂子が特集「蔓延するいじめと教師の今」と題して、生々しいインタビューを素材に持論を繰り広げている。真理恵はかつて憧れた女性記者の昇進と活躍を苦々しい気持ちで受け取っていた。
「・・今さらもう遅いんだよ、ほんと」
 ほとんど呪いに近いつぶやきが口から発せられると、それは必然的に耳から入り、やがて脳の奥を焼いた。

 翌日

「真理恵さん、ボクのお願いした素材撮ってくれなかったんですか?」
 出社して最初の会話にしてはトゲがありすぎる音色だ。間違いなく後輩であるはずのこの青年は、真理恵の望んでも得られなかった新卒正社員である。
「ん。なんだったっけ?」
「えーっ! 交差点の捨てカット撮っておいてって言ったじゃないですか昨日!」
 捨てカットとはシーンとシーンの間に挟む、尺合わせの映像のことだ。
「えっでも昨日は電車移動だったから ”もし良さそうなところがあったら ”って」
「そんなの聞いてないですよ! どうするんですか今日の午前までなのに。ボクが怒られるじゃないですか!」
 視線をそらして上司の方をのぞき見るも、丸い背中が見えるだけでこちらを振り向こうともしない。だいたいこういう面倒事にはだんまりを決め込む。そういうひとだ。
「捨てカットなんてボク撮ってる暇ないんですよ。真理恵さんサポーターなんだから率先してそういう ”どうでもいい仕事 ”こなしてくれないと・・!」
「ごめん、私今日 編集頼まれてるから手伝えない。ほんとごめん!」
 青年は真理恵を睨み付けると、隠そうともせず舌打ちし、( 使えねー )
と小声で吐き捨てた。

 その瞬間、大きく大きく膨らんでいた「なにか」に小さな穴が開くのを感じた。リフレインする心ない一言が穴を徐々に押し広げて、真理恵はとっさに手のひらで穴を塞ごうとしたが、指の隙間から「なにか」は確実に滲み出してくるのだ。
「私だって好きで ”どうでもいい仕事 ”してるわけじゃない!」
 思わず口から出そうになるのを強引に飲み込むと、代わりに目尻に涙が滲んだ。そんな弱気な自分にさらにショックを受ける。弟の自殺以降、誰の力も借りず強く生きると決めた。涙とは決別したはずだった。はずだった、のに。
 その日は幸い人と絡みの無い仕事が割り当てられていたが、息苦しさが解消されることはなかった。昼休憩後、ひとり非常階段の踊り場で深呼吸をする。目の前には視界の限り立ち並ぶ雑居ビル。その隙間からなけなしの青空がのぞいていた。広い世界、やる気があればどこへでも行けると思っていた。わざわざ牢獄みたいなこのビルに囲まれて、私はなにがしたかったんだっけ。

「あー、こんなところにいた。真理恵ちゃん、ちょっといい?」
 振り返ると、白髪に垂れた頬。専務だった。嫌な予感がした。

 結論から言うとね、○○月○○日より契約更新はしません。いやー今まで助けてもらったからさーほんと心苦しいんだけど、新人も育ってきたし経費も削減しろって言われててさ、ほんと申し訳ないんだけど。引き継ぎとかは特にないって聞いているし。真理恵ちゃんはほら報道の仕事したいって言ってたしさ。いい転機だと思って、ね? まだ27歳でしょ? 若いんだからやる気がありゃ大丈夫、大丈夫。

 途中から何を言われているのか、誰のことを言っているのか。天井から自分を見下ろしているみたいに他人事にしか感じられなかった。仕事が終わっても、どこをどうやって帰ったのかは覚えていない。
 不思議と怒りは沸いてこなかった。ただただ、惨めさだけが居座っていた。契約社員だもの。そのための契約社員だもの。会社は悪くない。何度も自分に言い聞かせた。そのことで逆に、職場に依存して安定してしまっていた自分に気づいた。
「女性は実務経験がないとちょっとねー」「体力がないと現場厳しいと思うよ?」「誰かコネ作って紹介して貰った方が近道なんじゃない」「もうちょっと愛想振りまいたら?」「女なら―――」「女なら―――」

 遠い。
 あまりに遠い。

 女性報道記者。目指したあの場所には、どんなに追いかけても届かないと悟った。いやそうではない。諦めて遠ざけただけだ。強風に飛ばされないように毎日に自分を縛り付けているうちに、一歩も前に進んでいないことに気づいた。ならいっそ、この地球上からいなくなってしまいたい。でも、私は生きなきゃ ダメだ。私だけは、絶対に。
 首を振って、呆然とした意識の中から選択肢を絞り出す。厚くて黒い もやをかき分けて、かき分けて、その中にひたすら脳天気な声が小さく響いた。

( 彼氏と南の島とかいってさ、とにかくパーッと )

 そんな選択肢しか出てこなかった自分にちょっと笑ってしまった。でも、まあいいだろう。もう何も私をかたち作るものはないのだから。
 真理恵は残りの契約期間のほとんどを有給休暇と欠勤に変えた。出勤した数日間、上司はかなり前から契約終了を聞かされていたのか淡々と接した。後輩らは少しバツの悪そうな顔をしていたが、身に降りかかってくる仕事に追われて話すことも無かった。そうして真理恵は「制作会社契約社員」から「ただの人」になった。「生徒」「学生」今まで何かしら肩書きが付いていたから、「ただの人」は生まれてはじめてだ。そう考えると砂漠にひとり放り出されたような、明日への不安が募る。

 季節は春で、真理恵は何者でも無い「ただの人」だった。
その不安をかき消すように、真理恵はパスポートを鞄に放りこんだ。慎重に身支度をし、アパートのドアを開けると早朝の澄んだ空気が肌を撫でる。見飽きたはずの金属階段はサンダルで降りるとカンコンと聞いたこともないような音を奏でた。
 今ならまだ引き返せるかも。交差点で立ち止まるたびに何度も思い至ったが、背後からゴロゴロと音をたてるキャリーケースに追い立てられて、真理恵は結局一度も、振り返ることはなかった。

第2話 https://note.com/hayashikusaooi/n/nce972bd80c6b
第3話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n783a8e4a112e
第4話 https://note.com/hayashikusaooi/n/nb59ea30df26f
第5話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n5bbbedb1a1e6
第6話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n80dcffdfcf88
第7話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n5a75b1218bfb
第8話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n9e5d1feed050
第9話 https://note.com/hayashikusaooi/n/na364038de994
第10話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n58b8af489f2b
第11話 https://note.com/hayashikusaooi/n/nf667fedd2d1e
第12話 https://note.com/hayashikusaooi/n/nbfd9c382f3b3
第13話 https://note.com/hayashikusaooi/n/ne4dd528a3347
第14話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n43c0eeef10e0
第15話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n043944718a85
第16話 https://note.com/hayashikusaooi/n/n40d5f9a2a9b0

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