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「静かな夜のマーレ」第16話

「もっと急いで!」
「ムチャ言わなィイ!」
 チェンが駆るピックアップトラックは野太い咆吼を上げながら細い通路一杯に風を吹かせる。
「つか、なんで俺まで!」
「ごめんなさいなんか一番強そうだったから!」
 助手席のディーはジェスチャーでお手上げを示したが目線は真剣なそれだ。
「お店が・・オーナーになんて説明すればイイか」
「貸し切りだったことにして、後ろのお嬢さんに払ってもらえばいーんじゃねえ?」
 ハンドルにしがみつきながら頭を抱えるチェンをディーが慰める。

 あの後トンチャイを連れて営業中のバーに突撃した真理恵は、事のあらましを店長のチェンに伝え協力を求めた。チェンは営業中だったこともあり苦々しい顔で依頼を断った。ディーも「言わんこっちゃ無い。俺は忠告したんだ」とにべも無い。そこで助けてくれたのはクレア、タリタ、メイの三人の嬢だった
「リコセンパイを助けに行ってください!」
「むしろ看板娘の私たちを切り捨てるようなしみったれた店、今日限りで辞めるわ」
「店なら私たちに任せて!テキトーになんとかするから」
 困り果てたチェンはしぶしぶ店を嬢に任せて今、暴走トラックのアクセルを踏んでいる。

「そこ右です!」
 ゴン!
 急カーブを無理やり曲がったトラックのテールが流れて荷台を電柱にぶつける。
「アア・・まだローン払い終わってナイのに・・」
 チェンが趣味で買ったシボレーのピックアップトラックは4人乗りで、さらに後ろに荷台がついている排気量4.3Lのじゃじゃ馬だ。
最短の道をなんとか通ってシルバーキャッツに近づく。
「ん?? 表通りはオマワリが詰めているぞ。なんかあったな、ありゃ。どうする」
「店の裏にまわってください!」
「ムチャを言う」
 警官の誘導を無視して店の裏手へ。車を止めるなり外へ出ると撃ち合うような銃声音が耳に届いた。不安と緊張の入り交じった言いようのない胸騒ぎが真理恵の足を硬直させた。
「オイオイオイ、おりゃあまた捕まりたくねえぞ」
 ディーがぼやいたそのとき、建物を見上げた真理恵の目に白い影が映った。2階の窓に映る女性は白装束を纏って青白い首筋を晒している。
「リコだ!!」
 全員が車の外に出て見上げる。
「どこだ!」
「2階の窓のところ! もう見えなくなったけど、間違いないです! クラクション鳴らして!」
 続いている銃声は激しさを増して、真理恵を焦らせる。真理恵はピックアップトラックの荷台によじ登って思い切り叫んだ。
(( リコ――――――――!!))
 もう、どうにでもなれ。
(( むかえにきたよ―――!!))
 
 そのとき窓枠の淵から青白い顔が覗く。今度こそ目が合った。でもまた顔は引っ込んでしまった。どうして・・⁉

 パン!

 一際はっきりと銃声が聞こえた。
 2階の窓ガラスに穴が開き、散らばる無数のガラスが降ってくる。
「あぶねえ!」
 ディーが真理恵に覆い被さろうとしたとき、
「・・リコ」
 真理恵は視界に飛び込んできた映像をスローモーションのように見上げていた。純白のドレスをはためかせながらガラスとともに2階から降ってくる人影。その花嫁のようにも天使のようにも見える姿。現実離れしたその光景。とっさに見上げたディーと真理恵の二人で、必死にリコを抱き留める。
「リコ!大丈夫⁉ リコ!!しっかりして!!」
 真理恵の金切り声にも反応せず、彼女は本物の人形になったみたいにピクリとも動かなかった。
 警官に囲まれつつあったピックアップトラックは、荷台に人を乗せたまま また唸りを上げてその場を走り去った。

    ――※――

 カナリアの子供はどこで寝る。アオレオレ。
 お母さんにくるまれて 穏やかな風が吹くよ。
 あなたの翼はまだ弱く ひとりでは飛べないけど
 眠っていた茂みで ごはんをもらうよ。
 カナリアの子供はどこで寝る。アオレオレ。
 天の恵みにくるまれて 穏やかな風が吹くよ。

 優しい歌声が聞こえる。
ゆっくり目を開けると、オレンジ色の砂浜が目に入った。小さなからだの少年は夕日を背負って波打ち際に立っていた。目の前には中学生くらいの姉が立っている。

「ごめん姉ちゃん。すぐに戻るよ」
「ありがとうテオ。でも、もういいの」
「そんなのダメだ。あいつをこの手できっちり殺さないと」
「ううん。どのみちあの様子じゃ長くないわ。それに、あなたは自分で選べたでしょう?それが何より嬉しいから」
「・・・」
 気づけば足下に漂っていた水面はぐんぐんと嵩を増して腰まで達している。
「お別れね。テオ」
「そんなの、嫌だ」
「大丈夫。また会える、きっと。今度は私から逢いにいくから」
「姉ちゃん・・」
「さよならテオ。元気でいて。さあ」
 少年は刻を知り、海原に向かって泳ぎだした。必死に、自分を振り切るように泳いだ。水平線は果てが無く、夕日は今にも沈もうとしていた。やがて視界が闇に包まれようとも少年はその四肢を動かし続けることをついに止めなかった。
 
 再び目を開けたとき、視界はまたオレンジの光に包まれていた。室内を薄暗く照らす間接照明がベッドの脇に控えている。
「・・リコ?」
 耳元で優しい声がする。まだ夢の中にいるみたいだ。ぼんやりとした意識で視線を移す。
「ふふ。あいかわらず、間抜けな顔、してるね」
 目の前の日本人はぐしゃぐしゃに泣いていてひどい取り乱しようだ。
「死んじゃったかと思った・・ずっと起きないんだもん」
「そう・・。夢を見ていたんだ」
「夢?」
「とってもいい夢。綺麗で、温かくて。でも、ずっとそこにはいられない。いちゃいけないって思った、から」
「うん」
 半身を起こすと、真理恵はまた大粒の涙をポタポタとシーツに落としながら頷いた。
「ただいま。マーレ」
「おかえり、リコ」
 ゆっくり真理恵を引き寄せて抱きしめる。耳元に真理恵の熱い吐息が細かくとぎれとぎれになるのをしばらく聞いていた。
 彼女が落ち着くのを待って、お互いの身に何が起こったのか確認する。
まず、ここはルアンのラブホテルの一室だという。誰が敵で誰が味方なのかわからない状況では病院や大きなホテルに移動するのも危険だからと、ディーのアドバイスがあったらしい。どうしてシルバーキャッツにいたことがわかったのかと問うと、驚いたことにトンチャイの名前が出てきた。どうやら裏切り者のサックンはトンチャイにも情報を渡していたらしい。結局のところリコは彼にとって金づるの一人に過ぎなかったとわかって、再び頭痛が増したのを感じた。
「麻薬を無理やり吸わされそうになったところで、警察が入ってきて助かったんだ」
 そう言うと、真理恵の口から信じられない事実が飛び出した。
「良かったー! 本当に動いてくれるかは運まかせだったから」
 なんと、シルバーキャッツに警官隊が突入してきたのは真理恵の差し金だった。年中怠慢を貫く彼らをどうやって動かしたのか不思議に思って聞くと。彼女は、
”ゴラメラの工場で牛肉に麻薬を隠して輸入している証拠動画をネットに仮アップした。すぐさま首謀者をシルバーキャッツで捕まえないと無能のレッテルを貼られるぞ ”と警察に脅しのメールを送りつけたと言い出し、今度こそ本当に頭が痛くなってきた。
「ちょっと待ってマーレ、突っ込みどころが多すぎて逆に突っ込めない」
「動画共有サイトに限定公開して、そのリンク付きで匿名メールを警察に送ったの。数時間内に首謀者を捕まえないと自動的に全世界に公開されるって。まあそれは、はったりだったんだけど」
 なんでこのバカ女はそこまで危ない橋を渡ったのか。いや、いかにこの国の警察が無能といってもその行為自体が犯罪だ。放っておくはずもない。
「ちょっとスマホ貸して」
 真理恵のスマホからアカウント情報が入っているプリペイドSIMカードを抜き取ると灰皿の上に置いてマッチで火をつける。
「ちょ、ちょっと・・お」
「これで証拠隠滅。共犯、ね」
 見つめ合ってまた、しばらくふたりで抱き合った。

「リコは、その。人を殺した、のかな」
 肌に触れながら真理恵は聞きづらそうに言った。
「姉ちゃんの敵が目の前にいた。銃には1発だけ弾が入ってた。後はもう引き金を引くだけだった」
「・・うん」
「それでもその弾は奴には当たらなかった。警官が入ってくる瞬間、私は窓を撃ってた。窓ガラスにヒビが入って、気づくと私は夜空に向かって走り出していた。なんでだろうね」
 真理恵は ”うう~ん! ”と喜びをかみしめた。
「勝った! 私の勝ち! ね?」
「なまいき」
 額どうしをあわせて、気づけばリコも笑っていた。頭を空っぽにしてこんなにも笑える日がくるなんて思ってもみなかった。リコは少し遠慮がちに真理恵のおでこにキスをした。
 終わった。何もかも。そう思うと、急に力が抜けて身体の真ん中に穴があいたみたいに空虚になる。
「明日から、どうやって暮らそう。この街にもいられないと思う。組織の全てが無くなったとは思えないし」
「リコはもう自由になっていいんだよ」

 自由。自由ってなんだろう。ずっと選択肢なんてなかった。毎日生きていくのに精一杯だったから。自分がそれを望んでいると思い込まなければ辛くてとても生きていけなかった。それがいきなり自由と言われても。
広い海の真ん中でひとりぼっちになったみたいに頭が働いてくれない。
「すぐに浮かばないなら日本に来なよ、リコ」
 日本。おとぎの国のように感じていた遠い島国。トムが夢見て、真理恵が産まれ育った国。
「私が行って、いいのかな」
「なに言ってるのリコ、私と一緒に働くために日本に行くって、おばあちゃんに約束したでしょ」
 真理恵は、得意満面な顔で微笑んでいた。
 新しい土地で、新しい生活をする。自分で選ぶ。それが自由なのだから。

 翌日

 二人は雑然とする空港のロビーで手をつないで人々の列に連なっていた。多くない手荷物を保安検査に通して、イミグレーション( 出国審査 )へ。
列の前方で子供が親の手を引いて楽しそうに笑いかけている。はじめて海外旅行へ行くのだろうか。熱心にスマホを操作するビジネスマン。友人と興奮気味に会話をする青年たち。いろんな立場やいろんな物語を抱えて皆旅立とうとしていた。
 一人ずつ審査の列が短くなり、まずは真理恵が通った。狭い通路のその先に審査員が手でリコを招いている。リコはパスポートを審査員に手渡す。この先で真理恵が待っていてくれる。自分を知らない国が待っていてくれる。胸が躍った。
「ちょっといいか」
 その通路の先から出てきたのは二人の男性だった。二人はジャケット姿で、いつの間にかリコの両脇を固めている。
「テオ・グワンだな。銃の違法所持の疑いで逮捕する」
 辺りの一切の音が消え、男の声だけが脳内に響いた。男たちは私服警官だった。男のひとりが振り向いて通路の先の真理恵を一瞥すると、”アイツは誰だ ”と問うた。立っている地面が崩れ去り、ガタガタと手が震えるのを感じた。
「あいつは俺の客だ。日本人だ。マスコミだから面倒なことになるぞ」
 男は舌打ちをしてリコだけをその場から引き剥がした。最後に振り向くと、真理恵は捨てられた犬みたいにその場に立ち尽くしていた。
ひどい顔だ。
 リコはその後、一度も振り返らなかった。涙が頬を伝い鎖骨を濡らしても、両手を拘束され拭うことすらできない。周囲の群衆に奇異な眼差しを向けられても、居心地の悪さも気にならなかった。リコは声を殺して心の中で叫んだ。

 遠いひと。
 もう逢うことはない、遠いひと。
 姉ちゃんが呼んでくれた。それだけで、もう充分なんだ。
 どうか忘れてほしい。
 遠いひとよどうか健やかに。どうか。
 ――どうか。

 
 2年後。

 真理恵は飛行機の窓からエメラルドグリーンの海を見つめていた。
 空港に降り立ち、預け荷物を受け取ると上着を脱いで身軽になる。ターミナルから外に出るとすぐに南国の熱風が出迎えてくれた。それをとても懐かしくも、ついこの間のことようにも感じる。
「来てしまったな・・」
 当たり前のことも口から出すといやに感慨深く響いた。高架鉄道にのって郊外へ。座席は空いていたが大きな荷物を足下に置きながらずっと外の景色が移り変わるのを見つめていた。
 真理恵はこの2年間、狂ったように仕事をした。肺に刺さった棘を意識すると呼吸が出来なくなりそうで不安だったから。東京のアパートを出払って、故郷とは異なる地方へ移り住んだ。全てを新しく作り直す。土地、職場、人間関係。きっかけは全てこの国だった。どこででも柔軟に居場所を作れるのが、生きる力だとわかった。教わったことを体現したくて、真理恵は身の回りのしがらみを全て捨てて自分のやりたいことに没頭してきた。
そのひとつの区切りが今日という日だった。
 
 郊外の駅で降りた真理恵は、緑溢れる宅地を越えて、大きな通りを歩く。大きなツバの帽子。後ろからはゴロゴロとキャリーケースが音を立てている。
 やがて、目の前に高い塀に囲まれた大きな敷地が見えた。入り口にはふたりの守衛が立ち、横目でこちらを窺っている。守衛は刑務官であり、腰には見えるように拳銃が下げられていた。真理恵は入り口正面にあるバス停の長椅子に座ってタバコをふかし始めた。タバコを吸い始めたのはいつ頃からだったか。記憶に刻まれた匂いが忘れられなかったのだと思う。

 1本目のタバコが燃え尽きる頃、建物の奥から老婆が出てきて、守衛の前を通った。彼女は道路に出た瞬間、泣いていた。口に手を当てて嗚咽を押さえているように見えた。今まさに、ひとが産まれ直す瞬間を真理恵はただ眺めていた。

 2本目のタバコが燃え尽きる頃、今度は建物の奥から中年の男が出てきた。男は守衛にいくつか話しかけながらニヤニヤとした顔を隠そうとはしなかった。道路にでた瞬間、露店で缶ビールを買い、まぶしそうに頭上に掲げた。真理恵はその光景をただ眺めていた。

 3本目のタバコが燃え尽きる頃、太陽はてっぺんに登り、真理恵の足下に濃い影を作っていた。ゆらゆらとした視界の先、建物の奥から出てきたのは青年だった。彼はとても整った顔で、刈り上げた髪型が初々しかった。青年は守衛の脇を通り、真理恵を一瞥して通り過ぎていった。真理恵はやれやれと腰を上げる。

「ねえ。 どっちの名前で呼べばいい? あなたはまだリコなの? それともテオなの?」
 英語で問いかける。青年は立ち止まり、振り返る。
「どっちでも。マーレがそう呼んでくれるならね」
 内容を解さない守衛は眉をひそめて問う。
「きみら姉弟?」
「ええ」
 真理恵は自信満々に答える。
「似ていないね」
「当然!こんなぶさいくと一緒にするな」
近づいて、青年の脇腹を軽く小突く。触れた手が、熱くなった。
「ねえ リコ(・・) 最初にどこにいきたい?」
 
 うーん・・。
 
 リコと呼ばれた青年はしばらく考え込んだ末に、真理恵をじっと見つめる。
 
「そうだね、まずは海に行こうか」
 長い睫毛が、真理恵の中に海を見ていた。真理恵は少し笑ったあと青空を見上げて、その涙を隠そうともせずに。

「いいね、そうこなくっちゃ」

(終)

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