1/27(木)

涼しいタクシー

「私」は急いでいた。
前の予定がかなり押してしまって、次の予定まで時間がなかった。
その理由は、相手のおじさんが、本題が終わったのにずっとペットの猫の写真を見せてきたからだ。
その猫は『すず』という名前の、よく肥えた茶トラだった。
確かに写真の『すず』はどれも愛らしく、おじさんと二人でついつい見とれてしまった。

『すず』のせいで焦っていた「私」だったが、運良くすぐタクシーをつかまえることができた。
タクシーの運転手が、またおしゃべりなおじさんだった。
疲労と不安に取り巻かれている「私」は黙っていた。
注意を引こうとしたのか、運転手は「私」への質問を止め、唐突に切り出した。

「お客さん。私ね、雪女を乗せたことがあるんですよ」

つい気になった「私」は積極的に相槌を打ち始めた。

「真夏日の夕方にね、駅前のロータリーで日傘をさした女の人を乗せたんですよ。
手足も白く、すらーっとしててね、でも、前髪で目元を隠してて顔はよく見えなかったんだけど、あれはきっと美人さんだったろうと思うなあ。
で、どこまで? って訊いたら、高速で2時間くらいかかる山のふもとらへんだったんですよ。
私もいいお客さんだと思ったから快く乗せて、そこへ向かったんです。
するとね、道中、喋ったのは一言だけ。
『冷房、最大にしてください』
私も仕事ですから、ちょっとくらい寒くても我慢して、その通りにしましたよ。ええ。
で、日が暮れた頃、やっと高速を降りて、案内の通り進むと、だんだん山の中なんですね。雑木林って感じの。
それで、『ここで止めてください』って言われたから車を止めて、お代をもらおうとしたら」

運転手はわざとらしくタメを作って、ゆっくりと続きを語り始めた。

「振り返ったら、誰もいなかったんです」
よく聞く話だ、と「私」は思った。
「で、シートが濡れてたんです」
それも知ってる。
「それが今、お客さんがちょうど座ってるあたりね」
それを聞いた「私」はそそくさと隣のシートへ移った。
「シートが濡れてたのは、まあ、別に良かったんだけど、お代をもらえなかったんですよ。2時間も高速走ったのに」
「……それは災難でしたね」
まあ、そうだよな、と「私」は不思議と納得した。

ようやく目的地へ着いて、「私」はなけなしの手持ちからタクシー代を払って下車すると、なぜか立ちくらみがした。
不意に振り返ると、そこにタクシーはなく、よく晴れた日なのに、そこだけ道路が濡れていた。
悪寒がしたが、きっと冬だからだろう。

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