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新年早々の地震にざわめく心

noteの書初めは仕事の話にするつもりだったけど。
地震で心がざわざわするので、私の精神の安定のために、今の思いを書き殴ります。不安、不快な気持ちになる方もいるかもしれません。これ以降は自己責任で読み進めてください。


わたしの地震体験

地震発生時、富山県の実家に帰省中だった。海からは離れているものの、直線距離で言えば金沢市より近い場所。震度5強を記録した。

その時間はちょうど、石川県金沢地方の自宅に帰ろうとしていた。産院が金沢市で、早産のリスクが高いのもあり、早めに自宅に戻る予定だった。荷物もまとめて、今にも靴を履いて実家から出ようとしたところだった。両親や姉家族も見送りで玄関前に来ていた。

緊急地震速報が鳴り、地震が発生。平和ボケしている富山県民の我が家は、うわ〜少し揺れているね〜と呑気。唯一夫だけが、急いで玄関の戸を開けて、早く!とみんなを促した。

そこでハッとした私は急いで外へ避難。その後ろを5歳の姪っ子を抱えた姉夫婦、両親が続いた。そして、かなり遅れて主要動。激しい横揺れで永遠に感じられた。妊婦の私はしゃがみ込み、夫や母が守ってくれた。

何分揺れたかもわからない。たしかその直後に大きめの余震もきたと思う。緊急地震速報が鳴り響く中、家の外でしばらく過ごした。東日本大震災などを経験していない我が家は、人生で経験したことのない長い揺れに、ただただ呆然としていた。

誰かが口を開いた。

「震源は能登だって」

予想通りといえば予想通りだった。何年も地震が続いていたし、地震の危険性はこのあたりの住民であれば知っている。やっぱりね、という感覚だった。

そろそろ寒いし、中に入ろうか。

誰かがそう声をかけて、家に戻った。当然のように、今から石川県の自宅に帰る選択肢はなくなり、道路情報をみて考えることにした。

部屋に戻ってNHKをつけた瞬間、眼の前に出てきたのは

津波、逃げて

の文字だった。

ただただ、呆然とした。日本海側は大きな津波なんてこない。そう思っていたから。危機感を煽る報道に、私たちは座ることもできず、立ち尽くした。

私の実家に関しては、津波の心配はない内陸部にある。だが、姉の旦那の実家は能登ではないものの、石川県の海沿いに住んでいると聞いている。今の私達は何かをすることもできず、ただその報道に立ち尽くすしかなかった。姪っ子は、いつもならテレビからユーチューブが流れていなかったらごねるのに、このときだけは神妙に、パパにぎゅっと抱きついていた。

そうやって呆然としている間にも、強い揺れが。夫が急いで扉を開けてくれ、外に出て避難するのを何度か繰り返した。

わたしにとっての救いは、おなかから赤ちゃんの生存が伝わってきていること。いつもはちょっぴり煩わしいほどのキックが、生きていることを感じて、とても嬉しかった。


その後私たちは富山県の民放にテレビを変え、緊張感はちょっとだけ和らいだ。逃げる必要がない我が家にとっては、NHKの報道は心を蝕んできたから。電車がストップしたなどの情報が流れる民放に変えると、自分ゴトとして地震を捉えられるようになり、LINEやXを開けるようになった。

かなり早い時期から、安否確認の連絡をいただいた。本当にありがたいけれど、なかなか個別に返す気にはなれなくて。Xでとりあえず無事を報告しておいた。この間も、何度も緊急地震速報が鳴った。

いろいろショッキングなニュースが飛び交う中で、私たち夫婦の目を引いたのは、国道359線の惨状だった。私たちが通る予定だった道。

もし、出発するのが早かったら。

背筋が凍った。命の危険と隣り合わせだったことを認識した。動悸がして、妊娠中は止められていないけれど、なるべく控えていた精神安定剤を服用した。


その後、蛇口からひねる水が泥まみれだと発覚。急いで使用をやめた。幸い、トイレの水は流せたけれども、このまま過ごし続けるといずれ飲水がついてしまう。これまでのお正月気分からは一転、極力洗い物を出さない、災害時の食事となった。

結局その夜は実家で過ごすことに。ほかの道であれば帰れたけれど、暗いし渋滞しているし、何より余震が怖い。普段寝床として使っている部屋ではなく、一階のすぐに避難できる部屋で一晩を過ごした。睡眠薬も飲んだけど、定期的に余震があって、ほとんど寝られなかった。

2日の朝、私たちは石川県の家に帰ることにした。富山県と石川県が分断されているわけではないものの、高速道路は閉鎖。実家にいると何か有ったときに産院まで1時間以上かかるかもしれない。リスクを考えて、早めに出発した。

道中に1日は休業していたスーパーに立ち寄った。店に水があるかを確認するために。開店から30分程度の入店だったが、そこにはすでに水はなくて。仕方なく、麦茶をいくつか購入し、家族でシェアすることにした。

スーパーの中もテレビの中でしか見たことのない、ひどい惨状だった。商品棚から落ちて割れた瓶たち。破片はあたりに散らばって、床はどこかべたべたしている。そんな状況だけど、掃除をする人はいない。レジを回すのに手一杯なのだろう。こんなときに働く店員さんに、感謝の気持ちしかなかった。

道は混んでいたけれど、立ち往生することはなく、無事に石川県の自宅に戻った。ドアを開けた瞬間目に入ったのは、床に転がったシャチハタ。まあ、そりゃ落ちるよね。しかたない。

結果的に被害と言えるものは、皿一枚。乾かすために不安定な場所に置いていたし、想定済みだった。ほかには、ぬいぐるみたちが突っ伏していたくらい。大きな家電が倒れていなくて、安心した。

それから私たちは、昨晩入れなかった風呂に入って、しばらく昼寝をした。避難グッズを用意して。久しぶりの自分の家の布団。幸い、地震が邪魔をすることもなく、ゆっくりと眠った。

テレビを見るとテロップが出て気が滅入る。我が家は昨年末ダンガンロンパで盛り上がっていたのだが、人が死ぬのはみたくない。ぼーっとYouTubeを流した。お互いなるべく気が滅入る情報を見ないようにしようといいつつも、スマホで調べてしまっていた。

3日、いよいよ気が滅入って外に出た。スーパーと電気屋にいったけれど、いつも通り。違うのは、水が売り切れなこと。そして人々の顔がどこか沈んでいること。でもそれだけ。テレビでは被災地の情報ばかりを見ていたから勘違いしていたけど、同じ石川県でもここは、日常を取り戻してきたんだなと思った。私もいつまでもブルーではいられない。むしろ被災地のためにできるのは、経済を回すこと。そう思えた。


復興へのもやもや

でも、もやもやする気持ちもある。

多くの命が救われてほしい。その祈りにはなんの濁りもない。だけど、復興については。本気で祈れない自分がいる。

少し前に、能登地方の過疎化が急速に進んでいることをニュースで見た。それをみたときにわたしは、

そりゃそうだ。

と思った。
だって、ここ数年、地震が何度も起きている。地震が多い地域だからか、工場などの働く場所も少ない。友人にも、能登で働いているけれど、金沢で家を買った人がいる。能登は危ないというのは、この辺りでは常識だった。だから、過疎化も当然だし、地元を出ていく若者が悪いわけじゃない。適切な判断だと思った。


元日の地震。普段住んでいる人がいなくて、普段は住んでいない人がいる日。そのおかげで助かった人もいれば、地震に巻き込まれた人もいる。喜ぶことも悲しむこともできない、やるせない感覚がある。

ネットではすぐに募金が立ち上がっていた。日本人の温かさを感じた。一方で私は、復興支援という文字を見て、募金しようとしていた手を止めた。

本当に、能登は復興すべきなのか。

あの場所にまた住んでも、また地震や津波の被害に遭うかもしれない。むしろ命を優先するならば、ふるさとを捨てるべきなのだ。

わたしは能登が好きだ。子供の頃からよく観光に行ったし、好きな場所もたくさんある。元通りになってほしいなんて、遠くに住んでいる私たちが気軽にいってはいけない気がした。

被災地の復興は美談として語られる。特に若者が関わっているとなると尚更。でもそれは、他人だから。もし将来、自分の子どもが能登に住みたいと言ったら、わたしは送り出せるだろうか。たぶん、いや、ぜったい、反対してしまう。


私自身も、能登とは状況が違うが、過疎の進んだ地域の出身。どんどん人口減少が進み、いまは小学生もほとんどいない。

生まれ育った地域。大切な家。祖父母からは継いでほしいと言われていた。でも私は、これからも地元に住むつもりはない。学校が遠くて私自身苦労したし、スーパーも近くにない。なにより、洪水の危険がある地域。これからを考えると、住みたくない。だからリフォームの話が出た際、わたしの部屋を断熱にするという親の誘いを断った。当時は夫と出会っていなかったにもかかわらず。薄情だと思う。でも、曲げられなかった。


金沢出身の室生犀星の詩に

ふるさとは、遠きにありて思ふもの

という一節がある。本来の詩は、出世するまで地元に帰れないという内容だが、私には違う意味で言葉が深く刺さる。ふるさとに住んでいなくても、想っている。捨てたわけではない。私の薄情さの正当化に、この詩はぴったりとハマる。


なぜかよくわからない方向で感情移入をして、心がざわざわしている私。

つらつらと書いて自分でも収拾がつかないし、結局想いはまとまらない。
だけど、間違いなく私の本心で。

とにかく今は、多くの命が救われて、被災者の皆さんの日常が戻ることを祈るだけ。
それだけを考えます。



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