手のひらの歌2
水神
水神(すいじん、みずかみ)は、水(主に淡水)に関する神の総称である。
日本の水神
水は、農耕民族にとって、最も重要なものの一つである。水の状況によって、収穫が左右されることから、日本において水神は、田の神と結びついた。
田の神と結びついた水神は、田のそばや用水路沿いに祀られていることが多い。また、水源地に祀られる水神(水分神・みくまりのかみ)は、山の神と結びついている。
農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸や水汲み場に水神が祀られる。
水神の象徴として、河童、蛇、龍などがあって、これらは水神の神使とされたり、神そのものとされたりする。
水神様について
水神、水の神は、豊作を祈願する田の神との関連が強いと考えられている。豊作になるか、あるいは凶作になるかは、ひとえに水が、必要な時期に必要な量を得られるような、雨が降るかにかかっている。
水の重要性が、水の神様の本領発揮と密接に結びついていることは、間違いない。また、同じように水の重要性を感じる場所として、飲料水を汲む集落の井戸や、湧水地も同様であって、ここでも水神様を祭っている。
さらに、数多い洪水は、人の生命や財産を奪っていく。このような川の怒りを鎮めて、また、水難にあわないような祈りをこめて、水神を祭る。
このように、生活様式がしだいに複雑になるにしたがって、水の神様の性格も多様なものになっていったと考えられる。
水神は、龍や大蛇、あるいは鰻などの魚の姿で祭られることも少なくない。川にすむ大蛇に、毎年、子どもを人身御供としてさしだして、災難から逃れたという古くからの言い伝えを、行事として残しているところもある。
一方で、カッパは水神の落ちぶれた姿である、ともいわれている。カッパ(河童)は、水にすむ童という意味の名である。水神のもつ母子神的な信仰から、派生したものであろうと考えられている。
というのも、水神様は豊作の神様という、植物にとって豊かな収穫をもたらしてくれる神様であって、これは人間にとっても、多産を約束してくれる神様であるということである。水神は、母なる神として考えられ、信仰されてきたのである。
九州を代表する筑後川の、中流域にある久留米(福岡)には、川沿いに水の神様を祭る水天宮(東京・日本橋の水天宮の本社)がある。このお宮は、安産の神様でも有名で、このような母なる神であることが背景にある。
なお、雨乞いの行事も、水神信仰のひとつといわれている。水神様を怒らせることによって、雨を降らせる行為を行なう雨乞いのやり方もある。
また、川の水を利用して、地域に貢献した人も、神として祭られることもある。古事記や日本書紀の古い資料によれば、神話のなかで、伊邪那美神が火之迦具土神を生んで、陰所を焼き苦しんでいた際に、尿から化生した神,水波能売命がいる。
「ミヅハノメ」は、日本神話に登場する神である。『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。
神社の祭神としては、水波能売命などとも表記される。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。
『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷して、苦しんでいたイザナミの尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。
『日本書紀』の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(カグツチ)の間に稚産霊(ワクムスビ)が生まれたとしている。
丹生川上神社(奈良県吉野郡)などで淤加美神とともに祀られているほかに、各地の神社で配祀神として祀られている。
大滝神社(福井県越前市)摂社・岡田神社では、ミヅハノメが村人に紙漉を教えたという伝説が伝わっている。
山形県鶴岡市には、赤川神社の主祭神として祀られている。
この神様の名まえが、水が走るという意味で、水の神、灌漑用水の神として知られているところである。
平成6年に、宮崎県北部の五ヶ瀬川で、水神様の調査が行われている。市民からの情報提供による調査だったが、この調査だけでも、五ヶ瀬川沿いに祭られている水神様は、約100近くにのぼると報告されている。
このように、かつては川沿いのいたるところに水神様が祭られて、川と地域の人々が密接にかかわりあって、生活をしていたことがうかがわれるのである。
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