人間の生き方 ロダン
ロダン(1840―1917)は、パリに生まれる。19世紀のフランスを代表する彫刻家で、素描にもすぐれた。
パリのプティト・エコール(後の装飾美術学校)に学んだ後で、エコール・デ・ボザールを受験するものの失敗して、建築装飾の仕事にたずさわり生計をたてる。
1875年にイタリアを旅行して、ルネサンス彫刻に大きな影響をうける。その成果は、《青銅時代》(1876年)に結実する。
1880年には、フランス政府より、新設されたパリ装飾美術館のために、扉の制作を依頼されて、以後、20年をかけて《地獄の門》の制作に従事する。
また、1884年に《カレーの市民》、1891年に《バルザック記念像》と、記念碑的な彫像の制作を依頼される。
簡潔なかたまりにまとめられた彫像や浮彫によって、生命の不思議や、愛や希望に満たされた人間の内面の高まり、あるいは絶望に沈み、死に臨む人間の不安を、みごとに表現したロダンは、国際的な名声を確立した。
白樺派との交流など、日本との結びつきも深い。パリ郊外南西のムードンに歿する。
ロダン(1840年―1917年)はフランスの彫刻家で、19世紀を代表する彫刻家とされて、「近代彫刻の父」と称される。
代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』などがある。
人間の生き方について彼は語っている。
「低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける」
さらに彼はこういう。
「シンプルになればなるほど、わたしたちはより完全になるのだ」
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