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徒然日記2020.10.05

今日は朝起きて自宅で1時間ほど勤務した。朝から忙しく電話対応や社内連絡、メールチェックや送付などをした。出発してから近くのコンビニに寄って朝食を購入。今日は鯖のおにぎりとホットコーヒーだった。移動中は会社の同僚と現状の報告会などをしたあと、与太話に花が咲く。取引先で面談や営業活動をした後、昼食はすき家の牛丼ランチ。500円のセットとは思えない素晴らしいコスパで、大好きな定番ランチである。(牛丼並盛りにサラダと卵がついてくる)

午後も取引先を何件か訪問して、長い移動時間を遠方の同期と電話しながら過ごす。この仲の良い同期とはいつも深い話になる。彼は大学で哲学を専攻していたので、私の好きな心理学や哲学、神話、人類学の話は好んで聞いてくれる。彼はニーチェの言葉好きなようで、彼の好きな言葉を引用する。

怪物と闘う者は,闘いながら自分が怪物になってしまわないようにするがよい。長いあいだ深淵を覗きこんでいると,深淵もまた君を覗きこむのだ。
(フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』中山元訳,断章146)

彼との対話はかなり深まってきて面白い。これからも対話を続けようと思う。帰宅後は、妻のイカの醤油バター焼と卵かけご飯というシンプルかつ最高に美味しい食事だった。ノンアルコールビールでいただいた。その後は下の子が寝かしつけに時間がかかったため、私がバトンを受けて寝かしつけを担当。割とすぐに寝かしつけは終わった。

さて今日の一考であるが、中沢新一著『レンマ学』(講談社)という私のバイブルでもあり、理解しようとしてもなかなか歯がたたないとても奥深い、深すぎる素晴らしい本がある。中沢先生との出会いは、河合隼雄との対談本からであったので、ユングを媒介として出会ったと言っても過言ではない。『レンマ学』の第八章ユング的無意識を精読してみたら、また発見があった。この本はどこまでも奥深い。おぼろげに掴んだことをここに記したい。

ユングは心の深層、無意識を「集合的無意識」とか「普遍的無意識」と呼んだ。それは「レンマ的知性」と同じ意味である。私が常々から好きな、人生で答えの出ない「なぜ?」という問い、因果律では答えの出ない問いに一定の答えを出したのが「共時性」(シンクロニシティ)と言われるユングの理論である。因果的原理とは異なる理法で事物の関連しあっている心的空間だ。ユングのクライアントにはヒステリーや統合失調症が多かった。彼らは言わば「無意識が意識の表面まで浮上していた人々」と言える。そんなクライアントにユングはロゴス(因果律や医学モデル)で治療しようとせず、ユング自身も「無意識を表面近くに浮上」させて治療した。そこで共時性現象が多く起こったのである。ユングがクライアントとの対話の中で起きた共時的な体験の中で有名な話は「黄金の甲虫(スカラベ)」の話である。クライアントの女性が夢の中で印象的なスカラベが出てきた話をしていたら、カウンセリング室の窓をコンコンと叩く音にユングが気づき、近づくとスカラベを見つける。あなたの言っている虫はこれですよ。と言うと女性は驚き、内的事象と外的事象がつながったドラマチックな体験を通して治療が進んでいく。このような有名な話がある。河合隼雄もしばしばカウンセリングの間に起こる宗教的体験、信じられない偶然について言及している。無意識とは本来、このような「偶然の巨大な集積」であるという。

さて私の最近の思索である、悩みの根源、シミュレーションモードについて、未熟ながら中沢新一のレンマ学と繋げていこうという試みをしてみよう。心の表層というのは因果律(ロゴス)によって作動している。だからシミュレーションモードで悩みモードの時は、因果律によってシミュレーション(反実仮想)しているのだが、内的な事象である不安と、外的な事象である問題そのものは繋がらない。そもそも因果律やロゴス、科学的な理解ではつながり得ない。心を深く掘っていくと、そこに作動するのは「偶然の巨大な集積」である。古来、神話や物語、宗教の原初的なものは、この内的事象と外的事象を繋げることに作用してきた。生きていると答えの出ない「なぜ?」という問いに、神話などはつなげる作用をしてきたのである。心の内と外で起きる繋がらない点を、つなげる働き。これに「無意識」は「偶然の巨大な集積」であるので、象徴としての儀式などを通して、内的事象と外的事象を繋げる働きを行ってきた。そのような働きをしているものは、神話、宗教などのさまざまな儀式、各地の祭りなど数えたらきりがない。私が昨日触れた、「笑い」や「音楽」もそのような働きをしている一つとも言えなくもない。

私は最近、悩みモード、因果律モードから脱却して、「今ここ」に出ていくことがテーマとなっているのだが、「無意識」のこのような非因果的連関、内的事象と外的事象をつなげる象徴的な儀式、物語は因果の鎖から解放して、「今ここ」に出ていくことの真髄のような気がしたのだ。「内」と「外」を繋げる象徴的な神話、個人の神話、物語を必要としている。このことに気づきはじめた。最後にユングbotから前にも引用した大好きな言葉を引用して今日の日記をおわりたい。



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