あゆみ感想@カタリナスタジオ

観劇の感想。
ネタバレします。
作品は↓↓↓


「あゆみ」
11/3-11/7@カタリナスタジオ
作:柴幸男
演出:鎌塚慎平

ストーリーのこと、演者の芝居のこと、
色々感じた。
まず、ストーリーへの感想から。
小学校のシーン、荷物取りに行った友達を無視していなくなったところ、ああいうやついたよな。自分が待ちたくないからって、周りにも同調圧力かけてくるやつ。
無視された子はその時登場しなかったけど、後で謝るシーンがあって安心した。後味良く終われた。

高校を卒業して、実家を離れる場面は、
じわりと涙が出てきた。
お父さん、そんなドライでいいの?
あと、私は少しのことで涙が出るので、普段は抑えることが多いんだけど、ここだったらいくらでも泣いていいな、と少し劇場が好きになった。

それから、違和感のあったところが一つ。
職場の後輩と帰り一緒になって、
飲みに行って、家まで送ってもらって、
後日一緒に海行って、
付き合って、のちに結婚。
え?そんなトントン拍子ある?あまりにも順調すぎて現実味がない。

でも、いいのか。
あくまでこの作品は、人間の「歩く」行為を描くために、人生をダイジェスト再生しているんだから。シーンの間にも、色々あったのかも知れないしね。

結婚して、生まれた子供の名前が、本作のタイトル「あゆみ」だった。
そう、主人公の名前は「あゆみ」ではない。
なんだか、意味がありそうだ。
子供という、次につながる存在に、「あゆみ」と名付ける。
つまり、浅く言っちゃえば、歩くことは前向きな営みだということを表現している。気がする。

物語は、「最後の一歩!」という主人公の明るい掛け声とともにジャンプして終わる。おそらく、主人公は老いていく自分を見つめながら、徐々に死を受け入れてゆけたのだろう(と思いたい)。しかし、主人公の母親は物語の途中で急死している。母親は、主人公のように「最後の1歩」を噛み締められただろうか。これまでの人生を、振り返る間もないまま、あるいは遺言すら残せないまま、亡くなってはいないだろうか。
同時に、自分の親に会いたくなった。本当に、人って明日死ぬかもしれない。主人公のように、最後に会えずに終わってしまうかもしれない。どんなに辛いだろう。ああ、あの時が最後だったんだ...と振り返って、もっと沢山話しておけば、姿を目に焼き付けておけば良かったと悔やんでしまう。何を悔やめばいいかも分からずに。
だから、会える間にたくさん会いたい。会わなければ。

最後に、演者のお芝居について。
最近私も演技を習い始めたので、なおさら注目して観た。今の自分じゃできないなあと思うことばかり。

たとえば、小学生男子の口調。女性の姿をした役者さんがやっているのに、ありありと「ザ・小学生男子」の姿が浮かぶ。口を尖らせたまま、あまり動かさないで話す。かつ早口めに。確かにそんな話し方するよな。

それと、高校生の主人公が、駅まで父を迎えに行く場面。

…学校、どうだ

と、抑揚なく声をかける父。
あんな不器用な話し方、素の自分なら出ないな。
演技って、ただ感情を出せばいいってもんじゃないもんな。当たり前だけど。そもそも、そういう「他の性格になれる」ところに惹かれて、私だってお芝居を始めたのだ。
でも今は、まだほぼ素の自分でレッスンを受けている。
違う自分になるのはまただ先かな。

お芝居ってそう単純じゃないなと、改めて実感した日だった。


日記だった。

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