『劇場版モノノ怪唐傘』をモノノ怪知らん人間が観てきた(独り言多めの映画感想文)
いや、これも深夜アニメとしてやってたんかい。スラムダンク、ハイキュー!!、ウマ娘は分かるよ。でもここまでは守備しとらんて。形とか真とか理とかちょっと私には難しくて「よく分かんないけどとってんぱらりのぷう」でした。
ただ流石に感想文するならそれではお粗末すぎるので、にわかなりに思ったことを幾つかおしゃべりしてみようと思う。
1、 和紙テクスチャの映像美
触らずとも質感の分かるような細かな線の入った映像が新鮮だった。合間に歌川広重が描いてそうな浮世絵挟むんだけど、現代の馴染んだ人物画と相まって「現代の人が当時を語った大奥」ではなく、「今まさに続いている大奥」という作品全体のテーマを感じた。
ただ、ポップでキュートな絵柄を持ってして誤魔化しきれないエグみ。あ、ポップで思い出したんだけど、ラスト戦闘シーン、「まどマギ」のマミさんぱくーのシーンを彷彿とさせるくらいポップで、え、何コレ今流行りなの? ポップなものに溶かすことでエグみ軽減させる系。メイドインアビス的な。いや実際マミらんけど。
2、 いつの時代も変わらん女性社会の闇
映画作中にて「この大奥には2000人の女性が勤めています」というセリフが出てくる。2000人である。それぞれに役割があり、「器量に優れ、取り立てられることを目的とした御中臈」や、政を取り仕切る最高職位「御年寄」、記録を残す達筆な「御祐筆」など、ざっと20種ほどある。
新人は皆が集まる前に朝餉2000人分を用意し、皆が皆組織の連帯のため「御水様」と呼ばれる(「これ臭くない?」と言われる)水を同時に口にし、役職の者は滞りなく運営できるよう動き回る。
大奥自体、元はと言えば3代家光の時に、胤を残すため器量の良い女を次々集めた結果できたものであり、女性が集うことで自ずと規律が必要となり、組織となってできた一つの社会。古くクレオパトラ始め、傾国の持つ影響力は計り知れない。事実大奥は重要な官僚機構の側面を持ち、どんな立場の者であってもその意向を蔑ろにすることはできなかった。繰り返す。
2000人である。
最高職位である御年寄の指示を持ってしても従わない御中臈もいる訳で、能力が高いからと言って、入って数日で役職に取り立てられた者の浴びる視線は想像に難くない。
2000人である。
2000人を前に演説をし、誰一人応えない。何かを得る代わりに何かを差し出す。このこと自体、あるいは世の理、バランスの一種なのかもしれない。いずれにせよ、
同じ生き物が、ただの葦が、じゃあ現代ならできるかと言ってできてないから、今なお大奥は再放送され続け、この映画が上映されている訳で、ここは摩擦と反動なしに語れない領域。
3、 イケメン爆誕を期待させるんじゃない
最後戦闘シーンで薬売りの隈取りが一瞬消えて変身するんだけど、このまま色白イケメンになるのかと思いきや、肌赤黒くなって髪バッサァ伸びて「え、なんか思ってたんとちゃう」感すごかった。もうちょっとショックが大きすぎて、白熱した戦闘シーン「うるさ」としか思えなくなったっていう(最後まで内容よくわからなかった低脳)
いやてっきり隈取り取れて素顔で目青く光るみたいな、五條悟とまではいかなくても蔵馬→妖狐ぐらいの変化は期待しちゃったっていうか。
後で調べたら隈取りって元はと言えば顔の血管や筋肉を誇張するために描かれたもので、赤隈取りは「正義の人」だそうで。そりゃそっちに転んでもおかしくないわな。
エンディングでアイナ・ジ・エンドの『Love Sick』流れてたけど、確かに歌詞知ってたらシャウトしてたくらい超Sickだった(何の話だ)
〈総論〉
観てよかったかで言えばよかった。
映像美はもちろん、モブの顔のぐるぐるとか斬新だし(この発想はすごい。余分な情報が入らないってこんなにもストレスフリー)それぞれの立場のわかりみが深い。キレイゴトで終わらせないところも好感が持てた。「火鼠」とやらを続編でやるようなので、懲りずにのこのこ観に行く予定です。
アイナの歌声を映画館で聴くだけでも価値あり。キリエ。
是否どうぞ。割と早めに終わりそうだからお早めに。