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この世ならざるものの話をしよう(劇場版『モノノ怪唐傘』より)



 40代が最も仕事を辞めたくなる時期だそうだ。
 新しく入って来る人がどんどん吸収していくのに対し伸び幅が少なく、役職に就く人ばかりじゃない。就いたとてという話でもあるが、ざっと8割以上の人が感じたことのある思いだという。このこと自体、何も悪いこととは思わない。

 
 この世ならざるものの話をしよう。人外。人は容易く線引きをする。例えば犯罪者、例えば憧れた人。線を引くことで身を守ろうとする。
 村八分という言葉がある。この八というのが絶妙で、働き蟻の法則2:6:2とした6ではないのだ。上か下かに線を引く。ガチムチ2割な新撰組か、あるいは収益を食い潰す側の2割か。そもそも線引きなくして済むなら村八分なんて言葉は生まれない。必ずどこかで線引きしてるし、される側も分かってる。さて。
 人外という言葉がある。人ならざるもの。この辺りは京極夏彦さんの『人でなし』がわかりやすい。まるまる一冊使って一語を丁寧に解説してくれる。

夢に出てきそう。ゼルダ時オカの初ボスかよ。


 

 この映画のパンフレットには〈ナニモノか、より生じた抑えられぬ「情念」が「アヤカシ」と交わると「モノノ怪」となる。モノノ怪が引き起こす怪異が人々に襲いかかる〉と書かれている。何だか分かったような分からんような。このこと自体この作品の観念なので、私は私で似たものを引き合いに出して相槌を打ってみようと思う。
 モノノ怪、ニュアンスとして近しいと感じたのは魑魅魍魎、それに百鬼夜行のそれ。例を挙げる。
 
〈人の首がふいに見えたり、髪の毛のようなもの、動物の頭、骨、はらわた、その他わけのわからぬもの。文机のかたちをしたもの。くちびる。異形の鬼。めだま。まら。そそ。異様なものの中を、牛車はやはりどこへやらと向かっているのである〉『陰陽師(蟇)』
 
 百鬼夜行。これは分かりやすい人外。けれどそれだとどうにも感情輸入が難しい。そのためにはおそらく最低限人の形を残している必要があって。この「人外でありながら限りなく人に近い存在」として鬼を引っ張ってみる。そう。鬼は外、福は内の鬼だ。豆を巻くのは宇多天皇の頃からで、陰陽道の影響。鬼の字義は死人の魂のことで、中国で鬼と言えば死霊、祖霊を意味する。
 
〈それが日本に渡来し、反朝廷勢力──つまり順わぬ者達のことを指し示すようになる。権力に対抗する蝦夷や粛慎人を、魅鬼と呼んで蔑むようになる訳です〉〈その鬼の誕生に一役買ったのが陰陽師です。基督教の布教が悪魔抜きに為し得なかったように、陰陽師達は鬼抜きに存在し得なかった〉『魍魎の匣』
 
 鬼である。こっちの方が随分と話がしやすい。
 般若、というのは「嫉妬に狂った女が鬼に変じた者」を指す。その前段階を「生成(なまなり)」と言い、ちょうど人であって人でないもの、鬼であって鬼でないものを指す。『陰陽師付喪神の巻(鉄輪)より』
 
 人の心が残っている。本当は鬼になんかなりたくない。でもどうにもならない感情が鬼に向かわせる。
〈鬼が人の心に棲むからこそ、人は歌を詠み、琵琶も弾き、笛も吹く。鬼がいなくなったら、およそ人の世は味気ないものになってしまうだろうな〉
 鬼は万人に宿る。ただ、表面化しやすいのは弱っている方。怖いだなんて思われたくない。けれど至って普通に話をしているつもりでも、ヒステリーと受け取り、相手の心が窮屈を感じれば、そこには望まぬ力が発生している訳で。
 力加減がわからない。根本的な問題はそこじゃないとしても、だから関われなくなっていく。
 女は鬼になりやすい。猫噛み状態というやつだ。経年で弱っていく。母親であれば「カーチャンのおとぼけLINE集」として笑い事で済まされることも、同じ種族でも許されない。
 その度に少しずつ自分が削れていく。仕事に向く人向かない人がいると言ったところで「で?」案件。いつの間にか上がっていた生活基準。得るものと出ていくものが合わなくなる不安感に、簡単に身動きが取れない。それこそが40代。ホリエモンの『時間革命』なんかは、言ってることが正しすぎていい加減処分した。商品と同じで、その時は価値があっても経年で目減りしていく。
 だから鬼になるのだ。3年共に過ごした男が他の女に心変わりして、結果もうどうにもならないと分かっていて尚、自分にとっての自分だけは価値が変わっていないから、その差を認められず鬼になる。その時どんな目で見られるか想像に難くない。
 
 アヤカシ、モノノ怪、情念。人ならざるもの、魑魅魍魎、鬼。
 理解されることのないただの悲しみ、それを誰もが皆腹に抱えて血の涙を流す。誰だって鬼になりたくない。角も、牙も、鋭い爪も、本当は使いたくなんかない。ただそれぞれがそれぞれ自分の居場所を守るために必死なだけで。
 
 江戸を舞台にしながら、陰陽師導入は奈良時代後半まで遡る。可視化することで線を引くもの。鬼は人。人は全員鬼。
 皆が皆赤鬼であり青鬼、そう思えたなら。同じ生き物と思えたなら。共に線を引かれる側と思えたなら。摩擦も反動も起こらないギリギリのラインで連動ができたなら。
 
















 それならまあ、鬼という概念自体無くなってるわな。




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