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5000円札はしわしわ【2000字】




 巻き爪が悪化していよいよ痛みを生じたため、ネットで巻き爪用グッズを検索すると、ホイさぁとDr監修のオススメ商品がピックアップされた。形状記憶合金の弾性ワイヤーを加工したそれは、クチコミも上々。対して悩むことなくワンクリックで購入する。
一つ5000円だった。

 世間一般に言う「ピン札」それはお札の中で最上級の価値を誇る万札にのみ許された呼称に思える。慶事がためにわざわざ銀行に出向き、ピン札を入手するという、もはや時代遅れレベルの行動は、けれども「労力をかけるというパフォーマンス」として換算すれば「おめでとう」の利子程度にはなるだろう。こんな人間に祝われたくない。

 先日祖父が実家にやってきた。免許を返納してはや3年。1日に3本分しか稼働しないバス停が最寄りの、絵に描いたような田舎に住まう祖父は、御年90を越えるにも関わらず、週に2度、片道40分かけて徒歩で買い物に出かけ、今尚自活している。
 私が高校入試の時「わしもあと何年生きられるか分からんから」と謎のプレッシャーをかけられ、必死で受かったことは、もはや笑い話以外の何ものでもない。

 そんな祖父が、垂れる瞼に、年々細くなっていく目を殊更細めて見るのが、車の窓から眺める外の景色だ。
「一度に500円券3枚とられるからなぁ」
 年一で市から発行されるタクシー券を利用しようと、自宅まで呼び寄せて目的地に向かえば、月一使用でも一年もたない。本人のためと言えば聞こえはいいが、結果的に免許返納は祖父にとっての日常を大きく狭めた。

 祖父は働き者だ。現役の時は朝から一時間弱の距離を通勤し、拠点に当たるそこからその日に割り当てられた場所に行って仕事をし、家に帰れば畑をし、心臓を患った祖母の看病をした。休みなんてなかった。それは祖父の生きてきた軌跡であり、誇りだった。

 車で移動すること。
 通常徒歩では何時間もかかる所を、数分でたどり着くことができてしまう。今いる場所から別の場所へ。それは私にとっては生まれた時からあるありふれた光景でも、或いは祖父にとって全く異なる価値を持つのかもしれない。
 自分の足で歩き、重いものを担ぎ、畑を耕し、雨風関係なく、自然に文句を言う訳でもなく、己の身体を、生命を燃やし続けてきたその人にとって、
 その昔、藁葺きの屋根の家に住んでいたというその人にとって、アクセルを踏みさえすればどこまでも行けてしまうその機械は、今ある足元を、世界を、急激に広げてくれた、夢のような乗り物だったのかもしれない。
「舞坂、神久呂、浜北の方も行った」
 驚くような距離を、驚くべき通勤速度で通っていたことを話す。
 一年前、祖父を乗せて車で走った時、助手席で目を細めていたことを思い出す。
「ここに寄った」「ここにも寄った」と。まるで自身の記憶と足跡を確認するかのように。

 そんな昔の話を一通り聞いた後、そろそろおいとましようかと思った時、祖父の手に何かが握りしめられていることに気づいた。
 ハッとする。横に2度折られた、それはお札だった。
 見てはいけないものを見てしまったような気になる。成人しようと、成人して随分経とうと、いつだって祖父は会えば小遣いをくれた。いや、もう小遣いなんてかわいらしいものではない。それはきちんと大人にあげるだけの金額だった。
 握りしめているお札。祖父の口が二度三度もごもごと動いた。
「やる」
 なんら変わらない、いつもの一言。押し付けるようにして差し出されるお札。
「いいよ」
「やる」
「いいってば」
「いいから」
 いつものやりとり。
 渡されたのは5000円札だった。
 思い出す。

 父方の祖父母は五年も前に他界している。まだ元気だった祖母が同じように差し出したのもやっぱり5000円札だった。
〈ごめんね、これっぽっちじゃ何も買えないだろうけど〉
 そう言った時の気持ちを考えると、今でも涙が出る。
 戦後、貧しい国内で、身を粉にして、明日食べるもののために、自分のことより子供のことを優先して、冷たい水に手を晒して得ていたその対価。

 金銭の価値は変わる。20年かけて一人一台きちんとGPSがついたように、10円で買えたものが100円になる。それでも、
 その人の手に握られている金銭の価値は、ある人にとっては変わらない。
 そのお札自体の価値が世間一般に5000円であったとしても、ピッカピカのピン札出されても渡したくない。それは、その人の命の切れ端なのだ。

 そうしてその、しわしわの5000円札は、
 祖父の3回分のタクシー代になる。
 好きなお刺身の、お酒の、グレードアップができる。
 或いは今もこっそり行っているであろうパチンコの軍資金になる。

 口酸っぱく言われてもなかなか使いたがらなかったエアコン。
 痛みを訴えるのに邪魔くさいと言って結局使わずにいる膝のサポーター。

 便利なものが溢れている世の中は多分すごく快適で、けれどもその快適さより重きを置くものがきっと祖父にはあって、
 それはおひさまの匂いのする布団だったり、
 大きなハサミで木を一本一本を手入れした庭だったり。

 もしかしたら祖父は誰かと照らし合わせているのかもしれない。
 見合っているか。自分はこうして生きているにふさわしいか。それはその人にしか分からない、納得できない領域。誰の承認も必要としない、その人だけの聖域。



 しわしわの5000円札。それを引き出しの奥にしまう。大切なものを失ってしまわないように。

 明日家には、きっとキレイに梱包された巻き爪ケア用品が、玄関から歩いて10歩のポストに届く。









【この記事は『#眠れない夜に』をテーマに書き上げたものです】









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