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白人女性に動物虐待を疑われる


ビル屋上の携帯基地アンテナに、何羽ものカラスが群がっているのを見たことがある。
なぜ、あんなところに?
そう思ってよくよく見ると、カラスどもは妙なことをしている。
一羽のカラスが、アンテナの先端、細い棒のような先っぽに片足で乗っかっている。
そして、羽をバサバサとはばたかせて

「おッとッとォ」

という具合に、器用にバランスをとっている。ちょうど人間が平均台に片足で立ち、両手を広げているような具合だ。
バランスを崩してアンテナから離れると、また別の一羽が先端に乗る。離れるとまた別の一羽が乗る。
そうして、カアー!カアー!カアー!とさかんに鳴き交わしながら、交代で乗っては離れ、離れては乗ってを繰り返している。

アンテナ

どうやらカラスは、「誰が棒の先っぽに一番長く乗っていられるか」を競っているらしかった。

「ほんとかよ」
と、言われるかもしれない。
「野生動物に、人間の行動をあてはめて解釈してはいけない」
などとも言われるかもしれない。
だが、どう見ても、そういう遊びにしか見えない。

カラスが遊ぶことは、昔から知られている。
ボールで遊んだり、滑り台から降りたり、そり遊びをしたりするカラスまでいる。枝などをオモチャにするやつもいる。
しかし、いくらカラスが遊ぶといっても、集団でこのような「ゲーム」をしたりするものなのだろうか。
カラスどもは、何が面白いのか、延々とそれを繰り返している。

カラスに、警告を受けたことがある。
公園を歩いていると、頭を「ポーン!」とはたかれた。ハッと思うと、カラスが頭上を飛び去っていく。
あたりを見回すと、樹木が生い茂っている。
どうやらカラスの巣が近くにあったらしい。時は5月。カラスが子育てで神経質になる頃だ。「これ以上近づくな」という警告だったのだろう。

このカラスの行動は、まことに当を得ている。
警告は、これ以上でもこれ以下であってもいけない。
羽をバタつかせたり、大声で鳴いたとしても、「うるせえな」と思われるだけだ。
つついて怪我をさせたり、帽子をひったくったりすれば、人間どもは怒って駆除だの何だのと言い出すだろう。
巣の安全を最優先とするなら、人間を怒らせず、なおかつ、近づかせないようにしなくてはならない。頭をはたくのは、まったく適切な行動だ。どうしてカラスにこんな塩梅がわかるのだろうか。

だが、道理をわきまえたカラスばかりではない。
中にはチンピラみたいなやつもいる。

ある日、住宅街を歩いていると、道ばたで、一羽のカラスがカエルをつついているのが目にとまった。ひとつかみほどもあろうかという大きさで、どうやらヒキガエルらしい。

「ははあ、あのカエルを食うつもりだな」

そう思ってしばらく眺めていた。
しかし、そのカラスは一向にカエルを食おうとしない。ただひたすら、カエルの頭をツン、ツン、とつつくばかりである。
どうやら、カエルをいじめて遊んでいるだけのようだった。

こういう場合、人間はどう行動すべきか。
カラスがカエルを餌にするつもりだったのなら、私はただ見ているだけだったろう。
人間の情理で、野生動物の行動を裁定するのは、おこがましいことである。自然科学者気取りで私はそう思った。
むやみに野生動物に干渉してはならないという法律もある。
しかし、カラスはいつまでもカエルを食わない。ただただ、カエルの頭をツンツンツンとつついているだけだ。

カエルは逃げもしない。諦めきって、されるがままになっている。カラスがつつくたび、カエルの頭はカクン、カクンと上下する。

「すいません、すいません」

と、謝っているようにも見える。
カエルの頭には血がにじんでいるようだ。自然科学者を標榜していた私の心は、にわかに振れ出した。

助けるべきだろうか‥‥。
いや動物のやることだし、ほっとくさ‥‥。
しかしこのまま見殺しってのもちょっと‥‥。
だけど野生動物の行動を乱すのは‥‥。
でも衛生上まずいともいえるし‥‥。 
いやしかし‥‥。

「シッ、シッ!」

私はカラスを追い払った。
動物云々より、このまま通り過ぎたら、何だか、弱い者いじめを見て見ぬふりをするような気がしたからだ。
そういうのは一番みっともないじゃないか。関わりを恐れて見て見ぬふり。いやだいやだ。オレはちがうぞ。
義を見てせざるは勇無きなり。私はカエルを片手でつかむと、もう片方の手でカラスを追いやった。

カラスは驚いて飛び去った‥‥‥‥かと思ったら、ぱっと舞い上がり、ブロック塀の上に降り立った。そしてこちらを見下ろして

「アァ!?」

と鳴いた。

それは、チンピラや不良が発する

「あァ!?」

というのと、まったく同じ響きであった。
そしてその表情ときたらどうだ。口を開け、首を傾げ、怒りも露わに人の顔を覗きこむ。今にも

「何だテメエは!?」

と言いそうだ。

人間、想定外の場面に出くわすと、とっさの判断がきかない。カラスはただ逃げるとばかり思っていた私は、棒立ちになるしかなかった。

「アァ!」
「アァ!」

カラスはくちばしを突き出し、鳴きたててくる。
こちらはカエルをつかんだまま、突っ立っているばかりだ。

間近で見るカラスは、けっこうなでかさだ。くちばしも鋭そうである。こんなのに本気で攻撃されたら、かなり危ないのではないか。
いや、気合い負けしてなるものか。相手は鳥だ。恐竜の末裔か何かしらんが、万物の霊長がコケにされてたまるか。カエルをわしづかみにしたまま、カラスと睨み合う。目をそらしたら負けだ。

もうこの時点で同レベルの戦いなのである。

と、そこへ一台の自転車が通りかかった。乗っているのは若い外国人女性、白人だ。
近所の住人であろう、その白人女性は、自転車を漕ぎながら私に一瞥をくれた。
一瞬、目が合う。
その青い瞳には、嫌悪と軽蔑が宿っていた。

カエルを虐待していると思われたのだ。

あっと思う間もなく、白人女性は走り去ってしまった。

「誤解ですミセス! この悪いカラスが! わたくしはカエルをレスキューしようと‥‥‥‥!」

自転車を追いかけ、事の次第を説明したい衝動に駆られる。
だがカエルをわしづかみにした男が全速力で追いかけてきたら、彼女は自転車で警察か大使館に駆け込むにちがいない。そうなれば手が後ろに回ってしまう。
ちがうのに。これは善行なのに!
心に刺さった冷たい瞳。
劣等人種を見下すようなあの目。

「クワッ、クワッ!」

カラスは鳴きながら、塀の上の左右に飛び跳ねる。「オレの獲物を返せ」と言っているかのようだ。
カエルをつかんだまま、カラスにわめきたてられる中年男。いかにもみっともない。

「どうか誰も通らないでください‥‥‥‥見ないでください!」

心で叫ぶも、通行人は無情に通りかかる。視線が背中に痛い。

「何やってんのあれ?」
「やだ変な人いる‥‥‥‥」

心の声が、テレパシーで伝わってくるようだ。
焦る心。回らない頭。とりあえず、カエルを放そう。ほれ、逃げろ逃げろ。
だがカエルはのそのそと歩き出し、植木鉢の横でうずくまってしまった。どうやらそれで隠れたつもりらしい。ああ、これだから両生類は。

「ほれ、お前は逃げろ! お前はあっち行け! 行けってのに!」

私はしゃがみこんでカエルを押しやり、飛び上がって、カラスを追い払った。
しかしカエルはうずくまったきり。カラスはその場を動かず「カッカッ!」とこちらを威嚇してくる。同レベルの戦いどころか、むしろこちらが押されている。

だが、やがて睨み合いに飽きたのか、カラスはバサバサとがさつな羽音をたてながら

「アーア! アーア!」

と鳴きながら飛び去った。

「バーカ! バーカ!」

と言っているのが、種を超えて理解できた。
「やってられねえよ」というような態度をとられて、敗北感が際立つ。飛び去る相手をただ見上げるしかできない無力感。後ろ足で土をかけられた気分だ。

不意に恥ずかしいことを思い出して「ああッ!」と頭を抱え、布団で身悶えしてしまう現象に、名前はついていないのだろうか。

ああ、あの女性がちょっとでも止まってくれたら、わかってもらえたのに。
でも「カラスがカエルをつついていたので助けたら、意外にカラスが強くて」を、英語でどう説明するのだ。
あれが若い白人女性じゃなくて、近所のおばちゃんだったら、ダメージはもっと少なかったのではないか。
いや、それは自分の中にある、白人への無意識の劣等感の表れではないか?
そもそも、通り道にあんなクソカラスがいたからよう。
ああ、あの時、あの女性がちょっとでも‥‥。

不意に、冷ややかなブルーの眼差しがまぶたに浮かぶ。「あッ!」と叫んだあとに、言い訳めいた思考が、脳内をくどくどとループする。
肝心な物事は忘れてしまうのに、こんな記憶はどうしてこんなにもしつこく、脳細胞に居座るのだろうか。
薬か何かで、恥ずかしい記憶だけを抹消することはできぬものであろうか。


しかしその一方、恥辱感を払拭するような、ある考えが、頭の中にあった。
もちろん、それを否定する知性も常識も備えている。
そんな事があるわけはない。
だが、ともするとそれは、淡い期待感をともなって、頭の上に浮かんでくるのだった。

もしかしたら。
いやそんなばかな。
でもひょっとすると。
いや、やっぱりありえない。

でも‥‥‥‥もしかして‥‥‥‥もしかしたら‥‥‥‥


だが、「あの時助けていただいたカエルです」は、いくら待てども、やっぱり起こらなかったのであった。


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