《半可通信 Vol. 15》 もしかして、近未来ウォーク?

 たまには歩いた記録を書きたいのだけれど、時節柄どうしても新型コロナ(車ではない)関連になってしまうのはご容赦いただきたい。とはいえ、感染症対策について考察したり意見を言ったりではなく(それは信頼できる専門家の方々にお任せして)、あくまで歩いて思ったことを書くのだけれど。

 このところ、出歩いて道で人とすれ違ったりするときに、お互いにじゅうぶん距離をとろうとする人が多いなあと感じる。もちろん自分は、感染リスクを抑えるために、可能なときはいつでも2mの距離をおいて人と会ったりすれ違ったりしようとしているけれど、多分かなりの人が同様に考えている。
 すると、人が街を歩いている光景が、その分だけ以前とは違って見える。むしろすがすがしく、お互いに心地よい。これまでの社会的な距離感覚のほうがむしろおかしかったんじゃないか、とさえ思う。まあ、ここは個人差があり、私自身はどちらかといえば閉所恐怖症気味で、ラッシュに放り込まれた時のストレスも人並み以上なので、そう感じるのかもしれないけれど。

 そんなことを思いながら歩いていたら、数年前に書いた超短編を思い出した。その作品はあくまで空想的あるいはSF的に、物理的な対人距離が極端に遠い社会を描いたものなのだけれど、まさに今こうなりつつあるのかもと思って、ちょっとぞくぞくした。以下、その作品を再掲する。

【すいている】

 プラットフォームに人影は見当たらない。階段を上るとずっと遠くにある改札のフラッパーがぱたりと開く。コンコースに出る。人影は遠くに、ひとつふたつ見えるだけだ。歩く。遠くの人影たちと私はよけ合う。よけ合うべき距離だと感じたからだ。
 タクシー乗り場に近づく。全長10メートルを超えるリムジンタクシーが来る。最後部から私は乗り込む。運転手と二言、三言さりげなく言葉を交わす。がらんとした幅の広い道路を車は滑っていく。
 巨大な方格子状の建築物に到着する。私は歩み入る。10数メートルある天井の下、同じくらいある柱のスパンの間を、エレベーターに向かう。がらんとしたエレベーターを下りると、天井まで高さのある扉を開き、広い居間に足を踏み入れる。
 「ただいま」私は声をかける。「おかえり」あなたの声がする。一日の終わり、私たちはこうして触れ合いとくつろぎのひとときを始める。拡散し冷えきった世界に馴染んだ体が、微かな熱を帯びる。日が暮れる。

(初出:「500文字の心臓」の2012年タイトル競作「すいている」に掲載。作品No.は20)

 この作品を書いたときの感覚からすると、非接触型の新しい対人距離感にもとづく社会は、情緒的な面でもじゅうぶん成立する可能性があるように、個人的には思っている。ただ、こういう社会の到来する可能性が目に見える日がまさか来るとは思いもしなかったけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?