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“騎士団長殺し”読書感想文18. 《アウシュビッツからの時間的フラクタルが今、世界を覆っている》

“少年時代から彼の絵の才能は際だっており、若くして頭角を現した。東京美術学校(後の東京藝術大学だ)を卒業したばかりの彼が、将来を嘱望されてウィーンに留学したのは、一九三六年末から三九年にかけてだった。そして三九年の初め、第二次世界大戦が始まる前に、ブレーメン港を出る客船に乗って帰国していた。三六年から三九年といえば、ドイツでヒットラーが政権を握っていた時代だ。オーストリアがドイツに併合された、いわゆる「アンシュルス」がおこなわれたのが一九三八年の三月だ。若き雨田具彦は、ちょうどその激動の時代にウィーンに滞在していたことになる。そこで彼は様々な歴史的光景を目撃したに違いない。”

私自身は芸術家への道への欲望は無かった。才能が疼いてその道に引き寄せられるのでないことは、すでに他界した親友を身近に見ていたので、実感としてわかる。心理学でいうリビドーのような、生命力の型のようなものが、ほとばしるような創作意欲により、人生の選択を強制する感じだ。親友は4回、東京芸術大学に挑み、果たさなかった。しかし彫刻への創作の思念は衰えず、日大芸術学部に入り、さらに十数年を費やした。彼の作品を何回か見たが、形に命のようなものが宿っていなかった。ヨーロッパという地域そのものにも、非常な魔力があり、多くの芸術志向者同様、親友も欧州遍歴を果たした。私には一切海外旅行歴は無いが、不思議にボヘミアとかプラハとかには惹かれる。量子力学的に歴史にもフラクタル構造があるように思える。ナチス・ドイツのオーストリアに始まるヨーロッパ半島併合。大日本帝国の朝鮮半島併合、満州国創立。フラクタルは空間的と同時に時間的にも現れると思える。私にはこの数年、世界を覆う災禍が、アウシュビッツからの時間的フラクタルに思えるのだが。

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