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野性のエンジン14. “族長の時代”

令和1~2年に全国の茶生産者の団体が農水省助成金を受けて、国内茶産地の新しい需要開拓の為のマッチング委員会を立ち上げ、私は専門委員として参加させて頂いた。ことの経緯はさらに平成にさかのぼる。私は当時、確立されたオーガニック農法資材(国内よりも海外の評価が高い)に熟達した篤農生産者の農畜産物をミシュラン星料理人に試食させてコメントを生産者にフィードバックする企画を推進していた。“ミシュランブランドの野菜、畑”構想で世界レベルのオーガニックを日本発でヨーロッパに発信したかった。中でも日本茶に関しては、宇治市役所の協力を得て、天皇3賞を獲得して、当時の伊勢サミットで各国元首に饗された極上ものの製茶生産者3人と市役所の担当女性とともに、菊乃井、吉兆、なかむら、吉泉などのミシュラン料亭を訪ね、オーナーや総料理長に試飲して頂いた。皆一様に凄い茶との評価だったが、あるオーナーは欧州の各種ブランド筋に多くの人脈を持ち、その極上茶を送付して試飲させたところ、イタリアで強い反響があり、日本女性を妻とする弁護士が、そのお茶の輸入会社を設立してしまったのだ。ところが世界各国にはオーガニック農業基準があり、農薬の使用量や種類に厳正な規制がある。グローバルギャップと呼ばれ、農薬を多用する日本茶は正式な輸入が認められていないので、宇治の生産者が辞退。間に立つミシュラン料亭オーナーが窮地に立たされた。私はオーナーからの連絡に即座に農水省にSOSをうった。地域担当官の中でお茶専門官が対応してくれ、海外に輸出しているオーガニック茶生産者を紹介され、そのオーガニック茶をミシュラン料亭オーナーが試飲したが、全くお話にならなかった。深みも美味しさもコクも遠く及ばなかった。このときのミシュラン料亭オーナーの欧州における実力と人脈に着目した茶生産者団体の専務理事が農水省を動かしてマッチング委員会が立ち上げられた。私はT調理師専門学校、ミシュラン三星料理人、池坊関係者を推薦、彼らは正式な委員として、それぞれの分野で大活躍した。ミシュラン料理人のお茶、池坊のお茶を狙ったわけだ。そんな痛快なコーディネーターとしての日々、様々な異業種マッチングを企画、業界からマッチング委員会に参加させて新しい茶ブランドをデザインして楽しんだものだ。そんなぶっ飛び企画の中でも、今だにやってみたいなと思われる企画が、“米倉涼子のお茶”、“ロバート・デ・ニーロの茶”だった。俳優やミュージシャンの中には世代を超えて何百万人という人間の生き様の範を示し、生きるエネルギーを共感共鳴させる“族長”がいると私は思っており、今のような国や企業、組織が国民から乖離して操られ、民族全体が路頭に迷うような時代には、再び農業や産業、文化の分野に人々の生死を導く“族長”が現れるのではないかと思われる。芸能界からも農的世界に入り族長の風貌を帯びていたのは、菅原文太や柳生博だが、当時私はオスカープロモーションのプランナーの方を毎回マッチング委員会におよびして、可能性を探ったが、高額なギャラ問題でブレイクスルーできなかった。あれからコロナが現れ、異常に年平均を越えた死者が激増している今のような時こそ、ひょっとしたら族長農業、族長移住、族長地方創生の芽が出てくるのかもしれないというか、また私は仕掛けるだろうと自問自答している。小雪・松山ケンイチ夫妻などは完全に部族を率い地域を拓く器だと感じる。
最新の仕掛けとして私は、理事長人脈の新宿で小さなクラブを経営する元大手ゲームメーカーT社の幹部N氏にe移住プラットフォーム、e地方創生、e殖産興業プラットフォーム、e農業などに興味を示すゲームデザイナー、ゲーマーのチーム編成を依頼し数種類のポンチ絵を預けた。毎晩ゲーマー達が訪れ、族長ゲーム構想につき話していくとのこと。少しづつメタ移住プラットフォームのゲーム化の話が新宿から拡散し始めている。メタ族長を地方創生に送り出す東京旅団本部が新宿のとあるビル一階のクラブに設営された。

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