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量子精神学の地平1.体内に台風の目を持つという事

台風接近の朝、ベランダで恒例の缶コーヒー飲みつつの山見をする。瀬戸内海からの雲流が山を越え一斉に北上してゆく。山肌からは水蒸気が立ち上がり、雲に巻き上げられてゆく。ふと思ったのは、水蒸気は今、地上の法則を離れ、大気圏の法則世界に入ったのだという、小さな気づきだった。何の脈絡もなく、私たち人間とは異質だが、知性や意識を雲も水蒸気も持っているとしたら?と思った時、ある比喩に気づいた。私たちもあと二桁の年を経て、必ずこの水蒸気の出発のように雲の群れのように、異質な法則の世界に異質な姿で、巻き上げられ、どこかの"台風の目"のような場所に吸い寄せられていくのは100%間違いない。水蒸気にも雲流にももはや地上への一切のこだわり、関係性は無い。違った体で、どこか別のこだわりに急かされてまっしぐらに向かって行く。水から水蒸気、水蒸気から霧霞、霧霞から雲へ。そして大きな目に見据えられ、また海に落下する。空性、般若心経の瞑想次第のようだ。ただ私たちは、水や水蒸気より遥かに豊かで複雑な、世界の内海であり、小宇宙そのものだから、水の心と風の心を同時に持てる。私たちの内界にもまた台風の目を持てるという仮説。当然、私たちの体内の風は素粒子の流れであり、台風の目は量子場と設定せざるを得ない。(画像は1960年代の嵯峨野風景。嵯峨野から乙訓へ向かう道。平凡社、世界大百科事典より。)

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