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第35回「イタリア縦断記 その3」~目指せニューシネマパラダイス~

 「イタリアといえばFIAT」

 そう、イタリアで車といえばFIATに他ならない。
だから僕らのイタリア縦断旅行に相応しいのは最初からFIATに決めていた。

 社名は「トリノのイタリア自動車製造所」の頭文字から取ってある。歴史も長く、「フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」と言われるくらいヨーロッパにおいても大きな影響力を持つようだ。

 今ではフェラーリやマセラティ、アルファロメオ、ジープなども傘下に治めているというから正直驚いた。そしてこれはFIATに限った話ではないんだけれど、何か僕の中でイタリア車のイメージは「よく故障して手がかかるんだけれど、その分愛してしまう車」という先入観があった。


2022年10月末でヴェネツィアの住民パスが切れてしまう(泣)

 多分僕のその思い込みは、村上春樹の小説に始まっているんだろうと思う。デビュー作の「風の歌を聴け」では、親友の鼠が泥酔して黒いFIAT600を公園の柱に突っ込んで大破させているし、「遠い太鼓」ではローマでランチア・デルタを乗り回し、エンジンがかからなくなったというエピソードがある。「ダンスダンスダンス」では五反田くんの呪われたマセラティが海に突っ込む運命にあったし、アルファ・ロメオは「ねじまき鳥クロニクル」や「1Q84」などで実に個性的な登場をするのだ。(和田誠さんの映画の助監督をしていた時に、実際に村上さんとお話する機会があったのだが、イタリアで運転の面白さを知ったのだと聞いた。特に二人乗りのマニュアル・オープンカーが好きらしい。


※彼の小説にはイタリア車か、日本車ならスバルが記号として実によく出てくる)どうやらイタリア車には、よく名俳優にあるような独特の佇まいと匂いみたいなものが備わっている。この辺のイタリア人の「暮らしとモノとその扱い方」について観察してみるだけでも国民性というか、オリジナリティが感じられるので実に興味深い。

 さて、そんなFIATをヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港でレンタルする。それだけで何かテンションが上がっていたけれど、実際問題イタリアで運転出来るのだろうかという不安も拭えなかった。だって通りを走る車をみていても「イタリア独特の車文化」を感じていたからだ。それはお客さんを乗せているタクシーでも然り。車線をすいすい越えたり戻ったりしながら、彼らは知り合いのドライバーと世間話をしながら走る。狭い路地のちょっとした隙間のところに縦列駐車をする。それも前後の車にぶつけながら(上手に?)停める。「車のバンパーというのはこうやって使うのだ」とでも言うような彼らのしたり顔を眺めていると、「やはり世界って本当に広いんだなぁと実感する。


FIATでゆっくり旅

  話をレンタカー屋さんに戻す。店員のおじさんは気のいいイタリア人で(この表現もどうかとは思うのだけれど)、僕ら家族と全然関係ない話をしながら、特に点検する訳でもなくニコニコしながら「ブオン・ビアッジョ(良い旅を)!」と言って送り出してくれた。細かいキズの有り無しをチェックするよりも、君たちが旅を楽しんでくれることが一番大事なのだと言ってくれているようだ。空はイタリアを象徴する鮮やかな澄み切った青色だったし、後はゆっくりとアクセルを踏んで出発するだけとなった。

 

 「ロータリーと信号と電柱」

  とりあえず目指す目的地はナポリ、そこから最終的にシチリア島へフェリーで渡るロングドライブになる。初日の目標は手頃な所でフィレンツェに決めた。そこに住んでいる友人の井谷さんが「(僕はいないけど)うちに泊まっていいですよ。何ならうちの車も自由に使ってください」と言ってくれていたので、僕らが慣れているフィレンツェでゆっくりしてから一気にナポリを目指すことにしたのだ。 

 不安はまだ残っていたけれど、なんとか出発出来たのだからそのうちフィレンツェにも着くだろうと…。


半年ぶりにフィレンツェを目指して

 イタリアは車で走っていても楽しいし景色もいい。気になった町があれば、車なんだから寄り道して美味しいものを食べるのもいいだろう。だからゆっくり行こうぜ、迷ってもいいさ。「全ての道はローマに続く」のだと日奈子と合言葉のように復唱しながら進んだ。ただでさえ我々は、この十ヵ月くらい車が走っていないヴェネツィアで暮らしてきたお上りさんなのだしね。

  だが、そうこう言ってるうちにもイタリア車文化の難関はいくつも襲い掛かってきていた。まずは日本に無くてイタリアにあるもの、それは交差点ごとにあるロータリーだ。
 ロータリーは日本にも駅前にあるじゃないかと思う人もいるだろう。しかし、イタリアの大きめの交差点には必ずといって良いほどロータリーが現れたりするのだ。日本とはその数とルールが根本的に違う。これがあれば信号もいらないし、慣れれば渋滞緩和とエコの面で良いといわれるロータリー様なのだが、これが日本人にとっては第一の壁となって立ちはだかる。


親のドキドキをよそに、すやすや眠る子供たち

 まず、いつどのタイミングで進めばいいのかが分からない。ナビをつけていても、どこが行くべき道なのかグルグル回っているとよく分からなくなり、方向性を失ってしまう。

「日奈子、このロータリーはどの出口に出ればいいの?次?」

「えっ、えーっと次の次の次かな」

「それって何度回るってこと?」

「うーん、270度くらいかな」

 なんて感じに、毎回てんやわんやな状態になる。そのやり取りで子供たちはなぜか嬉しそうにキャッキャと笑っていたが、僕らはロータリー様と出くわす度に汗だくになり、なんとか慣れて高速に乗る頃にはすっかり喉がカラカラになってしまっていた。

(次号 「フィレンツェどうする?立ち止まる技術」に続く

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