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あなたのコーチング哲学を漢字一つで表したら

どうも、板谷隼です。


今回の記事では、自分のコーチング哲学について考えた話を書いていきます。スポーツ現場での指導に関わらず、様々な場面で「コーチング」という言葉が聞かれるようになっていますが、やはり自分なりの軸が必要だなと思うのです。それがいわゆる「哲学」といえるのでしょう。



・・・


2年とちょっと前に代々木であったコーチングのセミナーに参加しました。その時のテーマがまさに「コーチング哲学」。

セミナーの冒頭、参加者同士のアイスブレイクも含めて問われたのが、記事タイトルにもなっている質問。

「あなたのコーチング哲学を漢字一つで表したら?」


序盤のプログラムながら、個人的に最も印象に残っているシーン。それぞれが紙に漢字を書き、隣の参加者とその漢字を選んだ理由について話し合いました。

僕が選んだ漢字は

「援」


声援の「援」、応援の「援」、援助の「援」です。

(援って並べすぎてゲシュタルト崩壊しそう)


コーチとして選手や子どもたちと接する時、僕が本来とっていたいスタンスは後ろから背中を押したり、あるいは併走したりすることだなと思っていて、時には少し手を引っ張って手助けするかもしれないけれど、チームを力強くリードしたり、先頭を走って「ついてこい!!」という感じではないなと思ってます。

「支(える)」とか「助(ける)」なども頭に浮かんだのですが、僕がコーチとしてやれることは、究極のところ関わっている目の前のその人を「応援」することなのかもしれない、と思い至ったのです。

大学生のコーチをしているときも、同じチームで闘う仲間であると同時に、選手たちはみな「応援したい」存在だったと思っていて、「どうしたら彼がゲームで活躍できるだろうか」とか、「ここで結果を出して自信を掴んでほしい」とか、そういう目線が常にありました。

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イギリスの諺で、

You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.
(馬を水飲み場に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない)

というものがありますね。


結局のところ、誰かが良かれと思ってその人を手助けしようとしても、その人自身が求めていないと何も起きないのです。

だから僕は、「連れていく」というより、「なんだか喉乾いたよねー」と共感するところから始めたり、横に並んで一緒に歩いたり、道に迷ったら地図を持ってきたりというような関わり方をしていきたいのかもしれない。


ところで、この諺の本来の意味とは少しずれるかもしれませんが、もし「水飲み場に連れてこられた馬が水を飲まない時」、その「馬」は何を求めていたのでしょうか。

そこに、目の前のその人の能動性が発露する可能性があると思っています。求めているものを掴むのを、様々な方法、距離感で応援できる存在になりたいたいのです。


ところで、

「援」、実は訓読みもできて「援(たす)ける」と読みます。

すごくしっくりきます。

「助ける」じゃなくて「援ける」。”help”よりも”support”という感じでしょうか。



僕自身もまだまだ新米コーチではあるので、「いまのところ」と前置きはしますが、もしいまタイトルの質問されたら

僕のコーチング哲学を漢字一つで表すと、「援ける」という漢字になります。

とお話しすることになります。


・・・



コーチングについて、ここまで書いてきたように考えていたり、コーチとしてこうありたいという理想を持っていたりはしますが、だからといって現場でそう振る舞えるかというのはまた別の話です。


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