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振り返り | 救いも苦しみも全部あなたの形をしてる。



はじめましての人も、おかえりなさい。
はるかぜです。


救いとは、誰かにとってはふとんであったり、誰かと交わした優しい会話かもしれません。

あるいは苦しみとは、群青色の空や大切な人からのお手紙のことかもしれません。

その人が過ごす日々によってそれは違います。

今回するのはそんなお話です。



余談ですが、こないだ短い小説を二つあげました。

読んでいると、少しだけ記事を読んだ後の余韻が深まるかもしれません。

※気になった人はここから読んでみてね~。
『思い出を失った日に』
https://note.com/haven_0101/n/n7ee4f756c48e

『ブルーモーメント』
https://note.com/haven_0101/n/n7f1de519bacf



さて。


救いも苦しみも、あくまで曖昧な言葉に過ぎません。


私たちは『救い』をもぐもぐ食べることは出来ません。


『苦しみ』を掴んで投げることも出来ません。

ただ、どちらも(その人の)人生の中で象徴的な何かに置き換えられるものだと私は思っています。


コーヒー、電車、杖、
小雨、ひそひそ声、ビールグラス、
土手、ぬいぐるみ、画鋲。

これを読んでくださった皆さんにも、思い出のものや場所、曲など、思い当たる何かがあるかもしれません。


それらは全部、あなたが生きていて悩んだり、ほっとしたり、感動を得た末の、生きた証です。

たとえそれがどんな形であっても、私はそれをすごく愛おしいと、そう思います。

だって、それが今のあなたが一番あなたらしくいられる居場所だと思うから。

誰にも話せないような苦しみも、いつかはあなただけの心の拠り所になるよ。

自分の居場所はそうして築いていくものだとはるかぜは思うのです。

それでもどうしようもない現実からの『避難所』として、

いつでもここに帰ってきてくれたら嬉しいです。


あのね。

救いも苦しみも全部、きっとあなたの形をしてるよ。

だから、あなた自身を大事にするみたいに、あなたが感じた『救い』や『苦しみ』も大事にしてあげていいんだからね。


 

この記事を最後まで読んでくれた人。
そして、この間の短編小説にコメント、スキくれた人、ほんとにありがとう。
嬉しくなって、何回も仕事の合間にふと見直してたりしてるよ。

少しでも皆さんが生きやすい毎日を過ごせますようにと、祈っています。

またね。

あと、おまけがあります。


a.
僕は小さい頃から神様になりたかった。
それでも牢獄みたいなリビングを抜け出してしまえば、笑うことに慣れた、ただの大人になった。
ただ、願いだけはあの頃から変わっていない。
優しくありたい。
それだけが僕のすべてだった。



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