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【短編】 ブルーモーメント


『さよなら』に色をつけるなら、それはきっと青色だと思う。

きっと、なにより脆くて美しい言葉と色だから。

清く澄んだ水平線の青。
優しく艶やかな空のセレストブルー。
すっと伸びるあの子のワンピースの水色。

ぜんぶ、私にはもう届かない幻の青色。
それでも私は命綱みたいに、『さよなら』の四文字に縋り付いている。

日が沈んでいく間のほんの一瞬。
青空と夜空が混ざりあって、淡い群青色の空が生まれる瞬間がある。
薄明。あるいは、ブルーモーメント。
10分にも満たないその現象が、私があの子と見た最後の青空だった。

私たちはすべて繊細だった。
「好き」と告げてしまったら、何かがねじれ始めて、ちぎれてしまいそうな恋だった。
だから、「楽しい」と「ありがとう」という、単純な言葉をどこまでも切実に送った。
いつしか傍にいて、ぼんやりした日常を交わして、ときどき一緒に海を見た。

水平線に薄暗い群青色が溶けていく。
私たちはしばらく石段に腰掛けて、それを眺めている。
私がさよなら、という。
あの子がまたね、という。
それが私たちのお別れの合図だった。

薄明が訪れるとあの子は空に生まれ変わったんだと思う。
あれは、それほどまでに繊細で、美しい。
私がさよなら、という。
青空がまたね、という。
そうして私に夜が降りてきて、あの子はまたいなくなる。幾度も幾度もそれは訪れる。





時々恐ろしくなる。
それは、苦しむことすら出来なくなった日のこと。
この愛と青と呪いを全部忘れて、何色でもない私になった日々。
さよならなんて祈りを、ただ気が合うだけの恋人に囁いてみたりする。
居心地のよいカフェで何も考えず、夕日を眺めている。

もともと空に意味なんてない。
意味を見出しているのは、人間の側だから。
だから忘れてしまえば、薄明はただの空でしかない。
私は、そんなの、絶対に嫌だ。





儚げな霞空をカモメが飛んでいく。
海からはあの子と同じ匂いがする。
水平線の向こうに重い群青色が溶けて、ささやかな波をたてる。 

『さよなら』に身を浸して、深呼吸をする。
例えばそれは、砂浜に丁寧に揃えた運動靴。
あるいは、プレゼントでもらった髪飾り。
あの子と交わした最後の手紙。
そして、私そのもの。
全部いつか滅んでしまうもの。

あぁ、
さよなら、
薄明。

さよなら、
私の青。

忘れたりなんて絶対、しない。
この短い命が海に溶けきるまでは、私は呟き続けると決めたから。





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