当事他者探Qその8

 友人より横道誠さんが「当事者」を「経験専門家」としても捉えていると教えてもらい、ヒントになりそうなので考えてみましょう。考えるにあたって、「経験」と「専門家」とを分けたいと思います。

 これまで「経験」を「体験」と区別してきました。「体験」はある出来事に直面することとして、「経験」は体験した出来事を他者と分かちあえることとすると、「当事者」を「体験」と、また「当事他者」を「経験」と結びつけて考えることができます。
 山崎孝明さんも野口裕二さんの現代社会の見取り図を参照しながら、「体験に基づいた当事者」という言い方をしており、それに対立するものとして、「エビデンスに基づいた専門家」を挙げています。「当事者」を「体験専門家」として捉えると、こうした対立とは違う地平が見えてくるように思います。それを「当事他者」と「経験」との結びつきから考えましょう。

 「当事者」が「体験専門家」ならば、「当事他者」は「経験専門家」かといえば、そうではありません。それは結局、当事者が自身の体験について解釈する余地を奪ってしまいます。では「専門家」でなければ、なにかと言えば、「アマチュア」と言えます。まずは当然のことながら、「アマチュア(amateur)」は「アンマチュア(unmature)」つまり「未熟」ではありません。かといって、「成熟(mature)」でもなく、熟しつつあるようなイメージです。したがって「アマチュア」は「素人」ではなく「愛好家」の意として、あるいは「事好き」として「好事家」あるいは「好事者」と考えられると思います。それらをふまえると、「当事他者」は「経験好事者」と呼べるかもしれません。

山崎孝明『精神分析の歩き方』(金剛出版、2021)
野口裕二『ナラティヴと共同性』(青土社、2018)

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