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私がウェディングプランナーになった理由

たしか私が6歳の時、伯父の結婚式でオメカシさせられて、伯父さんに花束贈呈して、コレはなんだ??と興味を持って母に尋ねると今日は 結婚式 なのよ、と教えてもらった。もくもくスモークの中ゴンドラで登場するシーンに、魔法なのか??と 感動 した 記憶 がある。

親 も結婚式をした、という情報をゲットした私は、次の日古いビデオボックスをあさり 記録ビデオ(VHS)を見つけ出して興味シンシンで観た。とにかく母がキレイで、父が泣いてて、今度はキラキラキャンドルにトーチで点火してて、何だ?これは、、と感動した。それからというもの、週末だけ親よりも早く起きる日課があった私は擦り切れるほどそのビデオを見た。というか多分擦り切れた。

中学生の時にまたもや親戚の結婚式に列席し、今はわかるウェルカムタイム のロビーで金髪長髪の男性ピアニストが白いグランドピアノでタイタニックを弾いてる姿にときめき、弾いた事ないピアノを必死に練習して気づいたら全校合唱コンクールのピアノ担当になっていたり、
高校生の時友人に誘われたバイトは結婚式場の桜茶 を入れる役で、なんなんだこのお茶は、、って思いながら作り、おめでとうと言いながらひたすら配って週末の予定はバイトに明け暮れた。

社会人になって先輩から結婚式の招待状をもらって感動しちゃって、列席ドレス買っちゃったりして、今度は演出でゴスペル出てきて会場内歌い歩くから驚いた。だから〜結婚式って何でこんないっぱい色々あるの?と感動した。

他の先輩の結婚式二次会の幹事なんか名乗り出ちゃったりして、先輩が結婚式でキャンドルサービスやらないって言う情報を知りバイト時代の式場からキャンドルトーチ借りてサプライズでキャンドルサービスを演出で用意して、大成功!幹事同士で感動しちゃって泣いた。

そして23歳の頃、ダンサー目指して上京し、ダンサーとして ホテルへ行き、出番まで控え室で待機していた時、もちろん私は今度は何が見れるかなーって、ワクワクしながら結婚式の一部始終をスモークガラスからじーーーっと見ていた。
そこには一人テキパキ動くスーツを着た女性がいて、その人が笑顔で「出番です!」って迎えに来てくれて、あぁ!今日はこのダンスが 演出 なのね、って思った。

って言うかこの方何役?って思って話しかけると、「私ウェディングプランナー です」と元気に答えた。
え?何?ウェディングプランナー、、、?
ちょっともしかして、それって私の人生ずっと私の心を躍らせてきた結婚式の素敵な時間を創る人??なんか一瞬衝撃が身体の中に走ったの覚えてる。それ最高すぎる仕事やん!興奮しすぎて、ありがとうございます!ってその人と握手をした。

衝撃的な職業 を見つけてしまった私は、ワクワクが止まらなくていてもたってもいられなくて「あたし、ウェディングプランナーになる!」と仲間に伝えた。仲間はポカーンw

毎日踊ってたダンスを本気で次の日から辞めて、ABC協会 のウェディングプランナー検定を受けるために学校に通う事を決心した。
凄く興味ある事ばっかりで、勉強嫌いだった癖に、なんかスルスル色んな事を覚えて1級の資格をとった。その時の講師は フリーランスウェディングプランナー 。

それから ブライダル業界 をかたっぱしから調べて、こんなにも結婚式する場所ってあるのね、と止まらないワクワク。
就活で10社位落ち、最後に残した大本命のテイクアンドキヴニーズ の面接を最後にコレでダメなら私の夢いきなり終わる、って思い受ける。地元静岡ならオッケーという条件付きで採用された。やるやるー!どこでもいいー!やるー!ヤッター!ついにウェディングプランナーやー!ってスタートラインに立った2008年2月24歳。

色んな経験を経ておそらく 今も尚 フリーランス になってまでウェディングプランナーを続けているのは、
色んな事に感動し続ける気持ちが、
一緒に花嫁 たちと創れる刺激が、
とどまる事なくワクワクを与えてくれているからだと思う。

それが きっと私がウェディングプランナーになった理由。

今、時代と共に進化し変化する結婚式。
それぞれの人生のドラマを素に創る結婚式。
本当に大切なものは何か、
伝えたい事は何か、
意味するものは何か、
いつもそれを問いながら結婚式を創る事が私はとても大好きです。

ひとつ一つに想いを込める。
have a good one

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