全てはあなたの頭の中のこと

隣の人が 何年も前に植えた ライムの木が 今年も
また たわわに実を付けて 収穫しないと 細い枝が
折れそうなので オフィスに持って行って クライアントに上げることにしました。
例年になく 黒い埃のようなものが 表面についていて
まずは ベーキングソーダ水に浸し 軽くブラシで 汚れを落とし そしてすすぎました。
要は そのようなものが 大気中を舞っているということです。収穫している時は 気づきませんでしたが ボウルの底に 沈んだり 浮かんだりしているのを見て
結構汚れていることが わかりました。
農家をしているという人が来て セッションのあと
そのライムを 小さい袋いっぱいに上げると お返しがありますと 車から パパイヤ3個と バナナを1房を持ってきて 最初から上げるつもりで(交換ではなく)
持ってきたんですと言ってくれました。
それは 1人の人がくれるには 十分過ぎるほどの 贈り物でした。
その時 以前 億万長者からもらった アボカドのことを 思いました。その人は 広大な牧場の持ち主で リタイアするので その土地を切り売りし 以前住んでいた家を同時に売って 新たな物件を購入したのでした。
他にも アパートを所有し それを貸しているので その収入もあります。
その人が 牧場に植えている アボカドの木が 沢山実をつけたと言って 一つくれました。他人に期待するのは 間違いですが 頭の中で 「いっぱい実ったんだよね?」と思いました。その話しは 友人の近所の人にも つながるのですが あちこちに不動産を所有するその女性 クッキーを焼いたからと 皿に一つだけ載せて
友人に上げに来たそうです。
人からの贈り物なのですから 頭の中で笑う私たちは 無礼者です。でも アジアの人なら そのようなものをあげる時 両手で掬えるぐらい あげませんか?
金持ちとか 不動産を所有するひとたちが すごいとしたら それは 言う割には 少ししかシェアしないことでしょう。旦那さんが 生前 音楽プロデューサーをしていたという女性がいて 彼が亡くなる前 彼のビジネスを売却し その時の約束が 毎月 一定のマージンを払うというものだったので 旦那さん亡き後でも その女性は 裕福に暮らしています。
その人の自慢は 庭に実るライム。私は 私の庭にもあるということは言わずにいました。毎回会うたびに どれだけのライムが実るか 自慢話しをしてきますが 一度も もらったことがありません。
そして 上の 三つの話しに共通することは 皆さん お金持ちで 白人ということです。
フルーツをシェアしてくれた農家の人も 白人ですから 白人はシェアしないわけでは ないと思いますが 
シェアしないからこそ 所有しているわけです。
本当にすごいのは 農家の女性です。私にくれた分を 
売って 収入に変える事も出来たのですが そうせずに 分けてくれました。

24時間働けますか?というフレーズは まともに聞くと 狂気です。が 当時の日本には 自分がやらなくてはという ある種 責任感のようなものに 突き動かされ 頑張っていた人が 沢山いたように思います。
そして その人たちが気づくべきは “自分がその仕事を 請け負わなければ 他に請け負う人がいる”と言うことです。
あなたのポジションは いつだって誰かのポジションになることが 可能なのです。
それを、自分でなければと 思い込んで 自らを 追い込んだ人たちは 多かったのではないでしょうか?
人生 ゆるく生きて OKなのだと言うことは 私自身が 自分の体験から 学んだことです。
特に 組織に所属する人たちは 組織の駒でしかありません。少なくとも 現代ではそうです。
替えはいくらでもあるのです。将来的には AIが 替えになることもあるでしょう。
そして 組織は 人事異動に 何の感情も抱いていません。
下手な責任感などで 自分を追い詰める必要はないのです。
頑張らない姿勢です。そこに 時間の余裕が 生まれます。私は その余裕の時間を 家族である 猫たちと過ごすことにしています。猫たちが 期待しているわけではないと思いますが 私がそうしたいのです。

確かに システムに組み込まれている以上 お金はツールとして 便利です。でも 便利すぎる必要は ありません。先日 食器洗い機や 洗車機を使用する方が 水の節約ができるという広告を見ました。
本当に?
私は 洗剤を使用せずに車を洗うので バケツ一杯ぐらいで 済ませます。食器も 油を使わない時は 水洗いのみですから 大した量の水は 使っていないと思います。
機械を使用するには 電気が必要です。水は節約できるかも知れませんが 電気使用量は増えます。
が、広告では 節約できることしか言いません。
節約と聞くと 妙に気が惹かれますよね?
そこが セールストークなのです。

あら 戦争なの? じゃ 被害を受けている人たちに寄付しましょう。
あら 水害?じゃ 被害者に 寄付しましょう。
温暖化で 島が沈む? じゃあ 被害者に寄付しましょう。
いつの間にか 私たちは 寄付にならされ 各国の政府が 責任を負うはずのことにまで 寄付するようになりました。
そんな時でさえ シビアな 金持ちたちは 対岸の火事ですが それは 間違っていません。
今や 情報により 私たちの感情は 大きく揺さぶられ ついでに 財布も揺さぶられています。

どれもこれも 自分の頭の中のこと。
悪い人に思われたくないから 寄付しとこうと思っているのは 自分だけ。出来ない時は出来ないで いいのです。まあ 10円だけだから。でも その10円が 実は
人を卑しめることに 使用されるとしたら?

アボカド一個でも 私にくれたいと思った気持ちに ありがとうです。
ライムがいっぱい実った話しに ありがとうです。
それは その人たちがしたかったことです。
それはそれで 尊重すべきです。
手の届かない範囲のことは わかりません。
だから 最低 手の届く所だけは 自分でちゃんとしたいものです。


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