信仰心

私のオフィスに 敗血病で 両方の膝から下と、左手 そして右手の指3本を
切断するに至った方が 初めてきたのは 2月のこと。
その 半年ぐらい前に 最初は その方の ご主人が こられました。その時は 私の行きつけの 鍼灸師さんからの
紹介でということだったのですが 奥様が 入院されていて 病室の椅子で
寝るために 体のあちこちが痛いというものでした。
が 本当に痛いのは 心だったのだと思います。
ご主人は 詳しいことは 話さず また 私は 個人的なことは あまり
質問しません。そういうことは 話すタイミングというものが それぞれにあり
話したくないことを 質問して 無理に答えなければいけない状況を作って
しまうのが 嫌だからです。大抵の人は 答えなければ失礼に当たると 無理に
答えることがわかっているからです。
ご主人から 再度連絡の入った2月、メッセージには 今回は うちの奥さんが
伺いますというものでした。
簡単な説明がありましたので 私は心を温める施術を付け加えるつもりで
当日 準備していました。
が、直接 奥様に会うと なんだか 拍子抜けしてしまったのです。
というのも 奥様は 大きな笑顔で オフィスに入ってきて 一緒に 施術室に移動すると、慣れない義足を外すのを 手伝って欲しいと、はっきりと 申し出ました。それは 義足についている プラスチックのボタンが まだ 硬いために 彼女に残っている指では 十分に 押すことができないのでした。
セッションに入ってからも 明るくハキハキと 病状がいかに進行していったのか、ちん毒拒否で 会社側から 嫌がらせを受けたこと、その後 リタイアしたことなども 話してくれました。
そこには あれよあれよという間に 手足を失ってしまった人の 途方に暮れる
姿は ありませんでした。それよりも 彼女は なぜ自分に こんなことが
起きてしまったのかへの答えを 私との会話の中で 見つけようとしているように 感じました。
そして それから 2ヶ月後、彼女は 再び オフィスに訪れました。
駐車場に車がついたので 息子さんが運転席から降りてくると思いきや
彼女自身が降りてきました。
そして 今回は 以前は自分で押すことのできなかった プラスチックのボタンを自分で押して 義足を外したのでした。
義足のズレを防ぐための シリコンのカバーも 自分で 外しました。
2ヶ月間の 彼女の努力と前進が 目に見えて感じられました。
唯一の悩みといえば 切断した部分の骨が 歩くたびに 義足の受け側に当たり
痛いのだそうです。
生きている人間の骨は スポンジ状で 圧力がかかると カルシウムが 漏れてきます。同じところに圧力がかかり続けると 漏れたカルシウムが次第に コリコリとした筋に似たような塊を形成していきます。
これは 身体のサバイバルメカニズムの一つで 骨の保護のために起こるのだと思います。
ですので 義足の受け側の形状が 一番最初の形状では 今の切断部に 合わなくなってきて それを変更するために 何度か専門のオフィスに通わなくては
いけないのだと言ってました。
私たちが日常で 経験しないことを 彼女はどんどん経験し それを受け入れて行ってます。
その強さは 彼女の信仰心からくるものでした。
彼女は クリスチャンで 仲間達と 定期的に バイブルスタディをしていたそうです。
それが 接種が始まって 推進側と否定側に分かれ 集まった場所で 喧嘩が 
起きたのだとか。まさに バイブルを次で行くようなことが起こったわけです。
結果 集まりたくない人が増え スタディグループは 解散したようです。
彼女が 病気を患ったことなどから 推進側の人の中に 再び集まろうと
声をかけてくれた人たちがいたそうですが 人は 一度本性を見せられると 
相手を許しても 同じ経験はしたくないものです。
彼女が 仲間と 元に戻らないことにしたのは それはそれでいいと思いました。
接種有無の選択は 人それぞれですが その人にとっての大事なものが何か?
というのを 見せつけられた時でした。
しない選択は本当に 誰にでもあったのです。
学校の先生で しないために 減給になった方がいました。
それが最近では 当時 いじめる側に回った 他の先生たちが 友達のように
近づいてくることに 胸糞が悪くなり 学校を変えたそうです。
私も その方の選択に 賛成です。
状況で 顔色を変えてくる人たちは またひっくりがえる可能性があります。
そういう人たちとは 離れるに越したことはありません。
軸がないのです。
自分は敬虔なクリスチャンだという人で 打った人はかなり居ました。
そんな人に会うと ジーザスは あなたの二番目になったの?と 私は
冗談まじりに言います。
実際 その人たちにとって ファーマが一番で ジーザスは二番。
そういう上部だけの人が パンデミックのとき 灰汁のように表面に浮いてきました。
私のオフィスの隣りは ヨガ教室ですが そこの先生たちは 週一で 入り口の
ドアのところに 蟻の殺虫剤をスプレーします。
今では 私の方にまで スプレーします。
ミントオイルで 蟻は退散します。
スプレーするのは 蟻のせいではないのだと思います。
先生たちの中に 何かを殺さなくては やってられない状況が あるのだと
思います。
ベーキングソーダと砂糖を混ぜて 水で溶かしたものを コットンボールに吸い込ませ それを蟻の通り道に置いておくだけでも 蟻の巣を一掃するのに 
役に立ちます。
何も わざわざ 人体にも影響のある 殺虫剤を撒く必要はないのです。
ヨガの先生と殺虫剤なんて かなりのギャップじゃないですか?
なんのために ヨガやってるんですか?ってことになります。
ですから 肩書きや 職業が その人を 特別にするわけではないのです。
大抵 それらの人の方が 恐怖を抱えて生きています。
そして 恐怖心は 人を狂わせ 服従させるのです。

敗血症を患った彼女は 仲間と距離を置くことになっても 自分の信仰心を
持ち続けています。今はまだ 見えないのかもしれませんが その信仰心が
彼女に答えを見せてくれる日は やがてくるでしょう。

80年代の終わり頃、練馬で六カ所村リサイクル基地建設反対のデモが
ありました。35年ぐらい前のことです。
当時と比較して 人口は激減かもしれませんが 最近のデモ参加者は千単位
です。
日本もずいぶん変わったものです。
ただ 国ために 人のために 立ち上がったとは思わないでください。
誤魔化しているのが嫌になった自分が 立ち上がったのです。
誤魔化されてばかりいることが嫌だと思うから 立ち上がったのです。
自分なのです。
なぜって あなたがいなけりゃ あなたの世界も存在しないから。
信仰も 対象があって信仰するのではなく 信じたい自分がいるのです。
その信じたい自分のところに 神が現れるのです。

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