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波に晒す


僕についての少し長い話。


僕はいわゆる「繊細さん」で、小さなことに影響されることが多いし、大したことがないように思えることからの反動が大きい。
誰かに言われた言葉や、どこかで見た言葉、洗濯物が気持ちよくたためるかどうか、朝起きた時の心体の具合、気温、天気、人の表情、部屋の状態、ほんとに多くのことに大きく揺れ動く。

言葉にできないなにかが現れて、僕を包み込むと、布団から出たくなくなって、息苦しく一日が終わる。

ただ僕は、ずっと幼い頃から自分のことを「繊細さん」と感じていたわけではないし、小さいと思えるなにかで布団から出られない日々が続いたこともなかった。
僕が、「僕のもともとあった感覚」を見つけるようになったのは不登校になってからだ。

小学生の頃は、よく先生や両親の期待に応えようとしたり、友人に頼られたりすることを喜ぶ人だった。
幼い頃から、割と我が道をゆく、細かいことをあまり気にしないようにみえる兄と比べて、「しっかりしている」とか「大人っぽい」とか「リーダーシップがある」と褒められることが多かった。

嬉しい。安心する。
そう感じると、僕はその評価を求めるようになっていった。

「ちゃんとした」「しっかり者」で「頼りになる」人間でいたい。
そうしたら、人は私を受け入れてくれる。

褒められることは、私がその場に在ることを、なによりも許されることだった。

今になって考えると、「誰かに褒められる」ということは、僕にとって必ずしも良かったことではないな、と思う。
褒められるということは、褒められないと不安に思うようになり、そして、「褒められない自分」は許されないと感じること、だと、今は考えている。
何かを褒めるということは、何かを強く否定することに同等なくらい、見えない暴力性があるのではないか。

私はよく褒められて、よくその人にとって都合の良い自分を教わり、人を自身が在ることを「許す」存在にしてしまったのかもしれない、と思う。

話は戻る。
僕はそのまま中学生になり、張り詰めて頑張っていた。
部活が大変すぎるとか、勉強することが多すぎるとか、人から悪意を向けられることが辛いとか、先生の怒声が恐ろしくて不快だとか、毎日毎日あまりに大変だと思う、そういうことは全部、そう感じる僕の方に問題がある、と思っていた。
僕が不出来だから、苦しい。
みんな、学校に通うことが当然だから、当然のようにそれらをこなし、同じ方向へ歩いてゆく。


僕も同じように、ちゃんと


そこからだんだん、僕のなにかが崩れていって、「なにもない」、あったはずの空間が訪れる。
僕のあったはずの時間はなくなり、何があったのかも分からない。
ただ、ずっと苦しかった気が、する。

不登校になってしばらくして、僕は布団から出て、少しベランダに座るようになった。

ずっと自分の状況が受け入れがたく、「学業が本分」の学生の私は、ただ、同じ服を着たまま部屋にいる。
受け入れ難いことや、なくなったものが大きくて、僕の感覚は限りなく波を打たなくなった。
何も思わない。
そんな時間が長く長く続いて、寝て起きて、明日がなくなっていてほしいなと、なんとなく、そんなことを考えていた気がする。


そこからたくさんの時間をかけて、たくさんのなにかを得ることで、僕は少しずつ感じるようになっていった。
自分になにが影響しているのか、何故こうしたいと思うのか、なにが不快なのか。
僕は何。この場所は何。
分からないことだらけ。
そんな中でも、少しづつ何かを感じて日々が続く。

誰かがいるから僕は生きている。
孤独を感じながら人と繋がっていたい。
そう思った。

僕は今、めちゃくちゃ元気、という訳じゃない。
色々あったことは、等しく僕に蓄積される。
愛しいと思えることもあれば、憎くて悲しくて仕方がないときもある。
波は激しくなって、僕を揺らす。
痛くて苦しいと思う。
それでも時間をかけて、僕に合うものを探したし、探していて、そこから生まれたものは、僕を支えているとも思う。

僕は僕のままでしか生きられないし、僕のままであるといい言える時間が、憂鬱な時間と同じくらいあればいいな。
そう思う。
今は落ち着いているけど夜には荒く音を立てるように、波は絶えずあるから、僕はその波に晒されながら生きることを考えていたい。
波に揺らされても生きていける場所でこの世界があって欲しいから。


僕は自分が生きてきたことを納得できるだろうか。
わからないけど今日も生きてた。


読んでくれてありがとう。
あなたに心地の良い日がありますように。

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