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マイナーなマイノリティの話

「彼氏いないの?」という問いが心底面倒くさい、という話。

理由は大きく二つあって、まず「彼氏」の部分である。私がヘテロセクシュアルではないということは以前述べているが、「私自分のことを女だって言ってないし男が好きだとも一言も言ってないんだけど?!」という、発言者の勝手な決めつけに対する憤りである。
そういう時の逃げ道として「私異性愛者じゃないから(レズビアンだから)」というのがあるといえばあるのだが(私はこの点についてはカムアウトすることに特に抵抗がないし、自分から積極的に開示はしないにせよ、聞かれれば素直に答えるというスタンスだ)、そうしないのはもう一つの理由による。
そもそも私は、ジェンダーを問わず性的パートナーを欲することがない。

わたしはいわゆる恋愛ないし性愛を鉄道模型のようなものだと思っている。それを趣味とする人がそれなりの数居ることが認知されていて、しかし万人が愛好するわけではないもの、という意味で。
それだから、「彼氏いないの?」という問いは、いわば「Nゲージの455系は好き?」と聞かれているようなものだ(鉄道模型に詳しいわけではないので、的外れなことを言っていたらすみません)。そもそも鉄道模型が趣味かどうかも確認せず、あたかも当然のようにいきなりそんな質問をする人がいるだろうか。
なので、世の中に恋愛を扱ったフィクションなりノンフィクションなりが溢れていることが不思議でならない。ファッション誌に鉄道模型のページがないのと同様、ないのが自然なことだ、と思っている。

ところがこの感覚というのがなかなか理解されない。シスヘテロ(体と心の性が一致していて、かつ性的指向が異性である人)もそうだが、レズビアンやバイセクシュアルの人でも大概同じく、「Nゲージの455系は好き?」と尋ねてくる。
「彼氏いないの?」という問いに対しては、とりあえず「今はいません」と答えることにしている。嘘ではないのでこれは問題ない。面倒になるのは「どのくらいいないの?」「どういう人がタイプなの?」と続く時だ。私は先述のような感覚であるのだが、その感覚が普遍的なものでないというのは経験から承知しているので、「いたことがありません」「タイプもなにも興味がありません」とは27歳女性(とみなされている者)としてはなかなか答えづらい。いや、そう正直に答えたことがないのでわからないが、多分だいぶ微妙な空気になってしまうと思うし、そうなるのは本意ではない。ので、仕方ないから嘘をつく。人は一つの嘘をつくのに二十の嘘を用意する必要があると言うのが誰の箴言だったかは失念したが、こうなるとその架空の元カレ(ないし、元カノ)の存在を捏造しなければならない。これが面倒臭い。架空の元恋人設定を作り込んでおけばいいのかもしれないが、いかんせんわたしの普段の思考の埒内に「恋愛」という回路がないため、普段からそれを考えるのに時間を割いたりしないし、したくもない。

話がさらにややこしくなるのは、私には「自分がその当事者とならない限りにおいての性的欲求はある」からだ。ご存知の通り(ですよね?)わたしは腐女子であるので、推しのドスケベヤッター!という気持ちはちゃんとあるし、その時覚えている興奮が性機能に連関するものだという確信があるし、男体よりは女体が好きという点でレズビアン〈寄り〉だと言うことができると思っている。ので、私には性欲がないんです、というのは嘘だし、説得力がない。

こうした、「対象をとった恋愛感情や性的欲望を抱かない人」のことをアセクシャルと言う(厳密には英語圏では用法が違うらしい)。数的には全人口の1%だという。

という知識は置いておいて、だから私に合わせろ、同調しろ、と言うことは多分道理にかなっていない。世の中には自分のことを異性愛者として扱ってほしいという人が居るし、相手(この場合、私)を(異)性愛者として扱いたいという場面がある。心地よい関係を保とうと思うならなおさら、その気持ちを無視していい正当な理由はない。私の気持ちを無視する正当な理由がないのと同じように。なので私は、今日も165系が好きですと嘘をつくし、今後もつき続けるだろう。

こう書いてみると私がなかなか複雑な世界に生きているような気がしてきた。ううむ。

あと最後に、鉄道模型が趣味な方々、適当な知識で例示に使ってすみませんでした。

お小遣いください。アイス買います。