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【ネタバレ有】『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』感想

※この感想は、映画レビューサイトFilmark(フィルマークス)に掲載したものをnote用に編集したものとなります。

※ネタバレが含んでおりますのでご了承ください。


<まずはじめに>

私は映画を見に行ったのではない。自分の中の仮面ライダーオーズと公式が提示してくる仮面ライダーオーズの”答え合わせ”をしに行ったのだ!


仮面ライダーオーズ エンドゲームでした。

私は仮面ライダーオーズが大好きです。大ファンである前提で感想を書きます。
見るまでは「やったー!10年ぶりに完全新作映画だー!久々にアンクたちに会えるぞ、楽しみだ~」といったテンションで見に行きましたが、見終わった後は泣きすぎてしんどすぎて頭が痛くて、震える足で映画館を後にしました。
ここまで映画館で泣いたのは初めてでした。
アベンジャーズ エンドゲームは約3時間ありましたが、この映画は1時間。3分の1。なのに、エンドゲーム以上に感情が爆発しました(これはオーズのほうが思い入れがあるのはもちろんなのですが)。エンドゲームの方が話のつくりやディティールやもろもろはそりゃ上なんですけどね。
展開はとにかく速いです。じゃないと1時間に収まるような内容じゃないので。
もっと描写を丁寧に描いてほしいとか、展開が速いので気持ちがついていかないとか、感情移入しにくかったとかあるかもしれません。
でも、うるせー!ってそこは思いました。だって、仮面ライダーオーズはこの1時間の映画だけじゃない。今までのTVシリーズ48話、今までの映画その10年間で散々描いてきた地続きの今回の映画なのです。だから、1時間じゃなくて10年間の媒体全てを含んでいるので十分すぎるくらいもう見ているはずなんです。

多くのファンが待ち望んでいたアンクの復活、そして同窓会的な楽しい映画。しかし、オーズ”完結編”という言葉の重み、そして製作陣が生半可な気持ちで作ったのではない覚悟を強く感じた。

だからこそ、100点か0点か。見る人によっては到底受け入れられず、見なければ良かったという言う人が出るのも当然。
設定がむちゃくちゃだとか、あれはどうなの?みたいなんとか、グリードが出てきてすぐ退場しちゃったとかそんな細かいことはどうでもいい。
すべては公式と解釈が一致しているか、この映画を受け入れられるか、そこに全てがかかっているといっても過言ではない。


まず、当時のキャストが誰一人欠けることなく出演していたのはすばらしい。メズール役の子、TVシリーズ当時はまだ中学生とかだったのに、さらに色気アップしててよかった。誰一人俳優辞めてないし、不祥事もないし、本当に愛があってすばらしい。ありがとう。


<本編感想(終盤まで)>

この映画はアンク視点で進められる。なぜ?映司視点ではないのか?
見進めていくと、それもそのはずだったのだ。

突如復活したアンクは、世界が10年前とは様変わりしていた。どうやら、800年前の初代オーズが復活して、コアメダルも復活したのだ。その影響?でアンクも復活。
アンク復活した理由が最後までよくわからんかったし、レジスタンスとかそういう設定のチープさは目をつぶる。
比奈ちゃんが戦闘に向いてない服装なのに、アームバンド?とかつけてるの違和感だったり。

後藤さんと伊達さんまじでずっと一緒にいる。なんだこいつら、付き合って10年みたいな顔してる。絶対付き合ってるよあの二人。

当たり前だけど、アイスやクスクシエやアンクの服装とか、TVシリーズのシーンの挿入やTVシリーズと重ね合わせる構図やシーン。特に最終回の最終決戦前にアイスを映司、アンク、比奈の3人で食べ、比奈が真ん中でアンクと映司の手をつなぐシーンは本当に名シーンで、それと対比するように今回は映司がいない。

映司と再会したアンクだが、映司の様子はどこかおかしい。薄気味悪くすぐに映司ではないと悟るアンク。
映司は初代オーズと戦い、負傷してもなお目の前の女の子。それこそ、TVシリーズの届かなかった手を伸ばし、今度こそ救うとばかりに自分の身を挺して女の子を守った。その結果、映司は死んだ。
その映司の体に乗り移ったのが今回の新キャラ人工グリード(ポケモンでいうミュウツーみたいなもん?)ゴーダだった。
死んだといっているが、この時点ではゴーダが憑依していて、憑依とけたら虫の息はあったので、実際にはTVシリーズの比奈の兄・信吾に憑依したアンクと同じ状態では?

映司がこの物語開始時点ですでに瀕死状態のため、アンク視点での物語なのだ。
TVシリーズが映司視点での映司とアンク、オーズの物語なのに対して、この映画はアンク視点での映司とアンクとオーズの物語になっているのが熱い。

ゴーダがいなくなると映司は死んでしまう。そのため、アンクは不本意ながらもゴーダと協力関係を結ぶ。しかし、アンクはかなり気に入ってない様子で「アンクって気安く呼ぶな」という。アンクの気持ち分かる。顔は映司なのに、映司じゃないんだよ。その上、ゴーダがわざと映司っぽく振舞うのが余計に癪に触るんだろうな。分かるぞ、アンク。

大集合させたかっただけであろうグリードたちは1時間の尺の中では退場が結構早い。ただその短い時間の中でもTVシリーズのグリードたちの雰囲気を一切壊さずそのままだったのが感動。ウヴァさん相変わらず雑魚で安心した。

そもそもが、初代オーズの復活自体がアンクを復活させるため、そしてこの映画の終盤の展開をさせるため、キャラクターでしかないので、こいつも中盤で倒されちゃう。新しいコンボちょっとビジュアルきもい。見慣れていないだけかもだけど。

その後、ゴーダが欲望の暴走?して敵に。
コアメダルで完全復活したアンクのメダルも取られて、結局腕だけに逆戻り。映司から出て行ったコーダ。映司は瀕死のままになってしまう。

そこで、待ってました展開。
瀕死の映司の体に乗り移るアンク。
まさに合体。一心同体になったのです。
アンクverの映司となった二人はもちろん最強。もうね、展開的には完全に読めるんです。このあと、タジャドルでラスボス倒すとか、コンボ決めるときの「タカ・クジャク・コンドル!」の声がアンクなのとか。もう、変身待機中の「ギュイーンギュイーンギュイーン」っていう音で心拍数あがっちゃう期待しちゃう。
やっぱりタジャドルコンボだよね~~~。タジャドルは、TVの最終最強フォームではないのにも関わらずラスボスを倒すという異色の最終決戦だった。でも、そりゃそうなんですよ。だって、オーズは映司とアンクの物語。これをタジャドルで締めくくらず何で締めくくるというのですか!?
しかも、もちろんTVシリーズと同じではなくタジャドルコンボの上位互換的な、リニューアルされたverに。TVだと真っ赤だったのが、虹色に輝き、孔雀の羽?みたいなのが生えたり、頭がグリードアンクの顔になっていたりと細かい。
さらに、すべてはTV最終回と二人の立場が逆になっている演出も熱い。アンクが戦い、幻影となり補助する映司。
それで、ラスボスのゴーダをあっさり倒します。


<映司とアンク、そして火野映司の最期>

さて、ここからが本編です。
瀕死状態の映司の体の中で、映司とアンクが10年ぶりの言葉を交わします。
すでに瀕死の映司を前に、アンクはずっと泣いていました。
今まで涙なんて一切見せたことがないアンクが。

この映画は終始アンクがデレデレです。
アンク視点だからなのもあるでしょうが、TVシリーズはじめ今までのアンクはツンツンツンツンツンツンデレぐらいデレがない。TVシリーズでやっと40話あたりからほんの少しデレを見せるくらいだったのに、この映画では終始「映司」なのだ。ずっとデレてる。

一方対照的なのは火野映司。アンクに対してずっと穏やかに微笑んでいるような「そんな顔するなよアンク」といった表情。
女の子を守るためなのはもちろんだが、もう一つ映司には願い事・欲望があり、それが目の前にいるアンクを確認したことで叶えられたことで満足そうにしている。
「いつかの明日」それをついに叶えることが出来たのだ。


映司が最後の力を振り絞り自分の命と引き換えにアンクを復活させる。

それはかつて、10年前TVシリーズ最終回で、あのアンクが映司のため、世界のために自分が死ぬであろうあの場面で、自分のコアメダルを渡したそれと同じなのだ。
TVシリーズはあのアンクがその行動をしたことで最終回が最高に感動する。

映司に関してはまぁそりゃするよねって気持ちがあるからが、それをされた側アンクの気持ちがいたいほど伝わってくる。だからこそ、ずっと涙を流しながらあのなんとも言えない顔。映司らしいとは思いつつ「自分の命を捨てて他人を助けるなんてバカか!」と言いたげで、でもその映司の気持ちも理解できて、もうアンクの感情はぐちゃぐちゃなんだろう。だからこそ、映司に対して何もいえなくなっちゃったんだろうな。かつて自分も同じことをしてしまったから。


そして、映司はアンクを突き放す。
映司の体を離れたアンクは、比奈とともに映司の最期を見届ける。


そこに里中があの女の子を連れてくる。
TVシリーズでは届かなかった手が、今回はちゃんと届いていたことに満足して比奈とアンクに見届けられながら映司は逝く。
アンクと比奈のさみしい、なんとも言えない姿でエンドロールを迎える。

正直、エンドロール見るまでは映司がなんだかんだ生き返ると思ってたんですよ。なんがなんでも、めちゃくちゃな理屈でも、もうなんでもいい。辻褄とかストーリーとか設定とかどうでもよくて映司が生き返ると思ってたんです。
仮面ライダーというメタ要素もあって「まさか仮面ライダーで主人公殺すなんて平成2期にもなってやんないっしょ~」とか心で思っていて、それが救いでもあったんです。

仮面ライダーという一応子供向けの媒体で主人公の死を描く。かつて仮面ライダー龍騎では最終回の1話前で主人公が死ぬという仮面ライダーがありました。あのときも衝撃的でしたが、まさかのこのオーズ10周年映画でまさか、こんな結末を描こうとは。

もう、アンクと映司が生きてる姿でこの世に二人そろっているところは見られないんですか?本当にどちらかがいたらどちらかがいないそんな悲しい結末なんですか?

映司の死はかなりしんどい展開です。
まさか、見に行く前はこんなことになろうとは1ミリも思ってませんでした。

エンドロールではAnything Goes! のバラードが流れました。
もう私は泣きましたね。映司の死を受け止めるのに必死でした。
うそだ、仮面ライダーが主人公を殺したりしない!と思いたかった。
Anything Goes! のバラードが終わると次は、あのかつてのTVシリーズのOP映像とテンションぶちあがりのあのバラードじゃない本来のAnything Goes!もうさらに涙腺は崩壊肩を震わせ、TVシリーズのことを思い出しかつての映司を思い出していました。
そして、エンドロールあとになってもまだわずかな希望を持ってましたが、なにも起こらず映画は終了。
震える足で、おぼつかない足取りで映画館を後にしました。
家までの約1時間、電車の中で放心状態で帰りました。


<今回の映画全体の感想と想い>

これは映司の死を描くことを受け入れられるか受け入れられないか。
ましてや、なんで10年ぶりの映画でこんなもの見せられなきゃいけないんだ。到底受け入れられない人にとっては「こんなことなら見なきゃ良かった」とか「ただのお祭り映画でよかったじゃん」と言う人もいるでしょう。

また否定的な意見として
TVシリーズの伝えたかったメッセージ、映司がTVシリーズのラスト得たことを今回の映画は全くの逆をやってしまっているという意見も見られる。
めちゃくちゃ分かる。

火野映司というキャラクターは『欲望』をテーマとした今作品にとっては一見『無欲』のように見える。が、その実作品中誰よりも「欲望」が強い、大きい人間である。火野映司の欲望・ほしいものは『どこまででも届く手』、つまり『世界中の人を助けられる強さ』である。仮面ライダーオーズのテーマは『欲望』『手』である。
作中では映司がTVシリーズで救えなかった命のことを届かなかった手、そしてアンクが復活したのは『手』だけであり、そのあとも必要に『手』で表現される。
そして、火野映司というキャラクターは自己犠牲型主人公である。目の前の誰かを救うためなら自分が犠牲になってもかまわないと簡単に思ってしまう人間である。だからこそ、ラストのプトティラの力を使うことで自分がグリード(化け物)になってしまうとしてもプトティラコンボで人を助けることをいとわなかった。
TVシリーズの好きなシーンとして、町がグリードやヤミーに襲われみんな「助けて!」「オーズ助けて!」と言うんだが、比奈ちゃんは「みんな映司くんを頼らないで!」といいます。比奈ちゃんは映司が戦うと化け物になることを知っているからです。
そして、アンクもそうです。最終決戦でついにプトティラコンボのラストの一撃を真木博士に食らわせるが、失敗しついにグリード化してでも戦おうとする。アンクはそれを阻止し、映司のために自分のコアを含むタジャドルのメダルで戦うよう言う。

ラスト、消えるアンクと手に残ったアンクの割れたタカメダルを手に、映司は気づくのです。映司にとっての『欲望』であるほしいものの『どこまででも届く手』とは、みんなが手をとり、みんなつなげば手に入れられることを。

この最終回の美しさは本当にすばらしすぎてまじですごいと思う。すべてが一致して、何も文句ない。

だからこそ今回の映画では、TVシリーズで自己犠牲ではなくみんなに頼る、みんなで協力してこそだと気づいたはずなのに、またこいつは自分の犠牲で他人を助けてしまったのです。
手をつなぐんじゃなかったのかよ!
その通りだと思います。

ただ、私はこれだけは公式と一致している部分があって、それはやっぱり目の前で一人の女の子が殺されそうになっていたら自分の身を呈してでも必ず手を伸ばす。必ず守ろうとするはず。それこそTVシリーズと変わらない映司の行動だと思います。
1分1秒を争うあの場面で映司がとった行動は火野映司として一番合っている行動だと思いました。映司ならああします。自分が死ぬとしても。


正直、なんで復活したのか、割れたコアメダルがなぜ復活したかは分からん。ここらへん800年前のオーズの復活と他のグリードの復活と関係してるのかしてないのか謎。そもそも関係してたらもっと早くにアンクは復活してたよね?映司とか関係なく。でもここらへんの理屈とか言い出すと切りないし、よくわからんがとりあえずこの演出をしたかったんだろう感はぬぐえないなと今なら思う。そことか他にも設定や展開が雑という人の意見もめっちゃ分かる。
ただ、この物語を見せてくれてありがとうが強いのでそこまで見てるときは展開に必死でそれどころじゃなかったし、冷静になった今でも10周年の映画を作ってくれただけでありがたいしこんな映画体験をさせてくれてありがとうという気持ちが強くてそこまで強く言えない。

今回の映画はアンク視点の火野映司の物語の完結。


<ラストの展開の提案>


ただ一日たって少し頭を冷静にさせたら、やはりラスト映司を殺したのはやはり違うのではないかと思えてきた。
女の子を身を挺して助けたのは良いとして、自分に憑いていたアンクを突き放すのはいい。いいけど、そんな映司に突き放されたくらいで出ていく、諦めるアンクではないとおもう。
あの涙、あの映司とアンクの言葉では言い表せられない深い関係性であれば、突き放したとしても「うるせぇ!ばかやろう!お前は俺が利用する!だから、俺にために生きてもらうぞ!勝手に死ぬなんて許さねぇからな!」的なことをで、アンクと映司がかつての信吾とアンクのように、運命共同体として生きててほしかった。
あの体が完全回復した泉信吾のように、映司が元気になる「いつかの明日まで」とかだったら最高だったなと思い返した。


<雑記>


唯一の心残りは真木博士がいなかったこと。仕方ないけど真木博士出てきて欲しかったなあ〜

東宝ファンクラブの方で前日譚とバースのスピンオフ?みたいなのがあるらしいけど両方あわせて10分程度しかないらしいので、そのためだけに月額980円払うのか~と少し躊躇している。でも2週目も見に行こうと思っているので、さすがに見ておこうかな~どうしようかな~って感じです。

また追加あったら書きます。

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