見出し画像

センスがあると思ったタイトル(創作論)

 note公式の「#私のイチオシ」タグを見て、なにか書きたいなと思っていたんですが、自分は人に語れるほどの趣味を持っていないと言う悲しい事実に気が付いてしまったので、ビビッときた言葉の話でもしようかと思います。

 「ビビッときた!」って表現がもう古いですけどね。今なら「エモい」とかなんでしょうか。個人的なイメージとして、「エモい」は瞬間的な衝撃といよりも、揺れ動く情動を表す言葉として使っているんですが、正しいのかどうか分かりません。

 そもそも『センスがあると思ったタイトル』というセンスがないタイトルを付けてしまう、私の感覚が既に信用できない雰囲気を出していますが、『社会から追放されたので辺境の地で短編小説を書いていたらタイトルセンスが9999になった私のレビュー生活』の方が良かったのでしょうか。いや確かに、こう比較してみると、なろう構文の圧って凄まじいですね。

 そろそろ主題を説明すると、本記事はタイトルや表現についての話題になるので、その中身については言及しません。ご容赦を下さい。
 あとは自説を展開していくんですが、他の人がどういうものを「センスがある」と思っているのかが一番気になるところなので、推しや持論がある方は、是非コメントなり、twitterなり、記事を書いて、教えて貰えると嬉しいです。


タイトルについて

『たったひとつの冴えたやりかた』

 現状の私的小説タイトル堂々の一位ですね。ちなみに2位はないです。多分あったんですけど、このタイトルを耳にした時の衝撃で吹き飛んでしまいました。とかなんとか言っているんですけど、私はこの作品読んだことはないんですよね。なぜか田舎の本屋にも図書館にも置いてなく、Wikipediaを覗いたら全てのネタバレを食らったので諦めました。

 なんなんでしょうね。この語感の良さは。「たった」「冴えた」「やりかた」が「た」で韻を踏んでいて、『たったひとつの』と『さえたやりかた』の言う風に前後のワードが同じ文字数で構成されているのが要因でしょうか。個人的には「冴えた」というワードチョイスが最高に冴えてますね。

 音ではなく、文字として見ても、あえて『たった一つの冴えたやり方』と全てを漢字表記にしていない所が好感を持てます。唯一漢字で書くべきである「冴えた」を平仮名でサンドイッチしているのが美しい。どうしても、小説とかを書いていると、難しい表現や漢字を使いたい病に苛まれてしまいますが、あえて柔らかい表現を使ってるところにこだわりが見えるし、そういうことをやっていかないといけないんだと思います。

 話は変わるんですが、 図書館で本棚を見渡すと、名作のパロディタイトルが山のように詰まっています。
 電気羊は夢見すぎだし、マネージャーは本読みすぎだし、吾輩が何者とかご存-知ないし、やたらと何かをすゝめられます。
 ちょっとだったらいいんですけど、10冊に1冊ぐらいのペースで置いてあるんじゃないかと錯覚するぐらいの量に飽き飽きして さらに自分が元ネタを知らないだけで、もっとあるんだろなという事実に嫌気がさします。

 これはパロディが嫌いというよりも、せっかく自分が書いた作品に、他人の考案した名前をつけちゃっていいのかと思うってしまうことが一つと、(その内容が元ネタに依拠するのかは別としても)パロディというのは、どこまでいっても身内ネタの範疇から逃れられないので、どうしても誰かの後追いになってしまい、新たな名作を自分が生み出してやろうという気概を感じられないからですね。

 もちろん理想論だけではなく、パロディタイトルのメリットの大きさも理解できます。ここで私が話題にしてしまっているのが、なによりもの証拠です。
 人は既に知っているものに親近感を抱きます。海外で同じ肌の色をした人がいれば、自然と目に留まりますし、県外で同じ地元出身の人物を見つけると仲間だと思ってしまいます。同じように、眩暈がするぐらいの本に囲まれてしまえば、自分の知っている作者、ジャンル、そしてタイトルを手に取ってしまうのは当たり前です。
 また、なろう小説のタイトルが長いのは、それだけで作品のあらすじを伝えることができるからです。同様にパロディも、元ネタと同じような展開なんだなと読者に自然と予想させることができます。

 とまあ親の仇でもないのに、パロディ云々について書いてしまいましたが、結局のところ私は、オリジナリティとそれに対する自信こそが、センスの根源であると考えているのかもしれません。
 なんて言いつつも、昨日自分が投稿した『Star gazer』っていうタイトルは、オマージュどころか、他の楽曲の名前から10割パクってきたので、何も言える立場じゃなかったです。やっぱり、良い物はどんどん真似ていきましょう。というわけで、次はサブカルミュージックを見ていきます

秒針を噛む

 いやいやいやいや、秒針は噛まないでしょ。と最初に見た時に思いましたね。
 どういう発想を経て、「秒針」と「噛む」が繋がったのか。
 ショートショートでは、2つか3つの単語を組み合わせて話を作るのが流行っていて、自動単語生成機みたいなのもあるんですけど、それを使ったとしても「秒針を噛む」は出てこないと思います。

 「秒針を噛む」っていう単語に対して、様々な想像ができるところも面白いです。時計の針を噛むということは。自分は時間が進むことへの抵抗なのかなとイメージしてしまいますが、どうなのでしょう。
 だとしても「短針を噛む」や「秒針を掴む」という表現はしっくりこないんですよね。ワードチョイスが神がかっていて、絶妙なバランスの上に成り立っていると感じました。

『インスタントヘヴン』

 SNSを「お手軽な天国」と表現した揶揄が最高ですね。強烈な自虐であり核心をついてます。見事すぎて特に語ることもないですが、強いて言うなら自分が思いつきたかった。

 天国に関連して、私が好きな言葉に『Cloud9(9つの雲の上)』といものがあります。元々「cloud seven」が天国を連想させる表現として用いられており、「cloud nine」は天国よりも高い場所、転じて最好調な気分を意味します。日本語でいうなら有頂天といったところでしょうか。
 天国の更に上って発想がもう面白くて、それを「ウキウキした気分」と捉えるのが堪らないです。もう「エモい」じゃなくて全部「C9」で良くないですか?なにかの拍子に流行ってくれないかと思いつつ、インターネット上の住所は「Cloud9」にしようかなと考え中。
 

センスある表現について

I/AI/愛

 もはやあらゆる場所で、使い古された言い換えですが、最初に思いついた人は天才だと思いますね。そして決まりきった定型文句だからこそ、使い手の技量が求められます。シンプルかつ分かり切っていても、いざ持ってこられると、どうしようもないほど感動してしまったりします。

 逆に好きじゃない表現は『月が綺麗ですね』ですね。これに関しても、あまりにも見飽きているということや、前後文脈をぶった切って出てくることがあるなど、不満は色々あるんですが、一番言いたいのは、愛する人への口説き文句ぐらい自分の言葉で伝えるべきじゃないか、ということに尽きますね。

 もはやタイトルの話はどっかに消えてしまっているので、最後に、自分が一番センスのあると思う、名言を引用して終わりたいと思います。

恋に落ちると眠れなくなる。だって、現実は夢より素敵だから
 -Dr.Seuss

この記事が参加している募集

最後まで読んでくれてありがとうございます