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運命、ということにしよう。

不思議と縁を感じるような出来事が、人生ではときたま起こる。

それは、例えば今まで気付かなかっただけで、実は生活の中に潜んでいるものを発見したとき。田んぼの畦道に生える雑草は、名前を知っていれば雑草ではなくなる。次第にその花が目に留まるようになり、なぜだか縁を感じる。

それは、いってしまえば偶然だ。たとえこの畦道を通るのが自分以外の誰かでも、同じように花は咲いている。だけれど、道を通る人の全員がその花に気づくわけではない。

だから、これは偶然だけれど、運命だってことにしたって、いい。

  ○

こんなご時世ではあるが、小旅行に出た。昨日はあちこちを周り、温泉で身体をほぐすなどした。

それで、本日はかねてより訪れたかったMOA美術館に来館することになっていた。

日本美術、中国美術を幅広く収蔵しているMOA美術館は、東洋美術好きには堪らない充実のコレクションを有している。中でも尾形光琳の好白梅図は著名な作品で、さほど興味がない方でもきっと一度は見た事があるだろう。

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そんな充実のコレクションが並ぶ展示室の中で、ある一葉の切を見つけた。鳥肌が全身を覆って、しばらく展示ケースの前から動けなくなった。

『翰墨城』という国宝に指定された手鑑がある。手鑑とは今でいうと文字の見本集のようなもので、様々な時代の名筆と呼ばれる書が一つに収録されている。昔の人はこれを手本とし、筆跡の鑑定などを行っていた。「伝菅原道真筆」や「伝紀貫之筆」など錚々たる顔ぶれが並んでおり、どれも一級品だ。

それらは切(キレ)と呼ばれ、時代の流転の中で巻物や冊子から切り取られ、手鑑に貼り付けられている。

その中に、とある中古私家集の切が、一葉張られたいた。

それは、私の研究対象の歌集だった。

驚いた。心底、驚いた。まさかお目にかかれるとは思っていなかった。『翰墨城』にはいっているとは、恥ずかしながら存じ上げなかった。

しばらく魅入られたように展示ケースに齧り付いて見つめていた。

おそらくきっと、今この美術館内でこの切にこれ程興味を持つ人間は私くらいだろう。おそらくきっと、多くの来館者が道真公や紀貫之の筆に感心して通り過ぎていまうところだろう。

でも確かに、ガラスを一枚隔てた向こう側に、それはあった。

遥か昔に作られた写本の、その断片が確かにそこにはあった。

まるで、私にみつけてもらう為に、今日そこにいたかのように。

  ○

人生は不思議で、偶然がいくつも積み重なってできている。

私がその歌集に興味をもったのも、偶然何度か名前を見かける機会があったからだ。それから偶然、面白いと思える歌群があった。さらに偶然、そこに従来とは違う解釈を示せると思った。

そんな偶然の積み重ねの上で、私はいま勉強をしている。

きっと、今日の出会いだって偶然だ。たまたま見に行く予定があって、たまたま見つけた。すべてが偶然だ。

だけれども、私は見つけてしまった。知ってしまった。畦道にはえている雑草と同じように。

だから、これは運命だって言っていいんじゃないかな。

展示ケースの前で、手を合わせて祈った。

このガラスの向こうの、切の向こうの、写本の向こうの、筆の墨の向こうの、そのずっと向こう。そこにいるはずの、千年前の彼女に。

こんにちは、あなたの言葉を見つけました。きっと、あなたの言葉をきちんと受け取ってみせるから、見ていてください。

目を開くと、そこには展示ケース、その向こうに『翰墨城』。

でも確かにいま、私は彼女の気配を感じていた。

これはきっと、運命だ。

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