鴨川を歩いて下った午前五時を、きっと一生忘れない。/ハンサムケンヤのこと。
その音楽との出会いは、youtubeの広告だった。当時まだ高校生だった私は、youtubeで適当な動画を流しながら、数学の問題集とにらみ合っていた。なにか生配信のタイムシフトを後ろで流そうとしていた気がする。今思えば不真面目な話ではあるが、机に向かわないよりはましではある。動画の再生ボタンを押すと、広告が流れた。
耳に残る声、メロディ、歌詞。目を引くMV。憂いを含んだ声の中に潜む、清々しさ。5秒か10秒我慢すればスキップできる広告を、すべて最後まで見たのは、その時が初めてだった。
それからすぐ、youtube上にある彼の歌をすべて聴いた。衝動的だった。誰かの音楽を、もっと知りたいと思ったのは生まれて初めての体験だった。
そのアーティストの名前は、『ハンサムケンヤ』。
ふざけた名前で、トレードマークは金髪のマッシュルームに眼鏡。
結局、数学の問題集は全然進まなかった。
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それから高校生活の間は、ずっとハンサムケンヤの曲を聴いていた気がする。彼の曲は、どこか後ろ向きで、けだるげで、内向的で。それだけれども遠くの友達や住んでいる街を愛するような、そういう曲だった。
学校に向かう電車の中で、朝日を浴びながら憂鬱を吹き飛ばすように、iPhone4Sで彼の曲を再生するのが日課になった。
大きく息を吐きながら、心臓の中に巣食う生きづらさを吐き出す。泣きそうな帰り道も、死にたくなるような晴れの日も、ギターの音に、ドラムのリズムに、ベースの響きに、命を捧げるように歌う声に、救われていた。
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第一志望を京都にある大学にした理由の半分は、彼が拠点にする街だったからだ。最終的には、地元ちかくの大学に進学することになったが、京都と言う街は私にとって、研究対象の息づかいを感じる街であり、自分を救ってくれたアーティストの住む街だった。
大学一年のとき、慣れない一人暮らし(正確には寮生活)とアルバイト、学校。環境の変化によるストレスの多さを、薄暗い部屋でやっぱりハンサムケンヤの歌を聞いてやりすごしていた。
それからしばらくして、彼のライブが京都で行われることを知った。はじめて貰ったアルバイト代を握りしめて、安い長距離バスに乗り込む。名古屋から京都までの二時間を、ドキドキしながら過ごした。
その日のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
まだ夏になっていないのに、やけに暑かった京都の街のこと。ライブ会場に早く着きすぎて、ちかくのスーパーで紙パックのジュースを買って飲んだこと。
それから、ツイッターで知り合ったハンサムケンヤ仲間の人たちと合流して、はじめてライブ会場に入った。ちいさな、ちいさなハコ。薄暗くて、しめっぽくて、煙草とお酒の匂いがする、独特の空間。
それまでの人生で、そういったものと縁遠かった自分には、なにもかもが新鮮に映った。
物販のCDを購入して、前の方でライブ開始を待つ。
緊張と興奮で手が震えたのを覚えている。
ライブ中は、夢中で、正直あまり覚えていない。ライブハウスの前が駐車場だったことも、スーパーのイートインスペースが意外と混んでいたことも、降りる駅を一駅間違えたことも全部覚えているのに、ライブ中のことは不思議と何も思い出せないのだ。
ただ、楽しそうだった。
ずっとスマホの画面で、youtube越しで見ていたハンサムケンヤが、そこにいた。スポットライトを浴びて、ギターを弾きながら、必死に歌っていた。汗とライトで、トレードマークの金髪がちかちかときらめく、その光だけは、鮮明に覚えている。
〇
ライブが終わった後は、知り合いの人と連れ立って四条河原町へと向かった。終電間近の電車に乗って、彼が毎月弾き語りをやっているという小さなバーに、どやどやと押し掛ける。まだ一人暮らし歴も浅い私にとっては、終電に乗って街へ繰り出すなんて経験は初めてだった。夜になってひんやりとした空気が頬を撫でるのが、心地よかった。
まだ未成年だったので、バーではノンアルコールカクテルを頂く。お金がないのでマスターのご厚意でそこで一晩、皆さんと一緒にさまざまなことを話して過ごした。
将来のこと、自分のこと。そして何より、ハンサムケンヤというアーティストについて。
途中で、ライブ終わりの彼が来店して、カウンターに座った。気がする。慣れないことと、夜が遅いこと、長距離移動の疲れでぼんやりとしていたので、もしかしたら気のせいだったかも。
なにか、バーの店主さんとお話していた気がする。結局、話しかけられなかったが、とにかく楽しい夜だったのは間違いない。
知らない街で、一晩。出会ったばかりの様々な年代の人と話した。私と同じように、遠くから来た学生の女の子。幼いお子さんを夫に預けてきたという女性。最初は『ハンサムケンヤ』という名前から斜に構えていたけれど、今はすっかり虜になったという男性。
あの夜、あのバーでは、年齢も性別も関係なく、皆ただ好きなアーティストを同じくする同志だった。
気が付けば夜が明けて、朝の五時前。
私はその日の朝一番の授業に出るために、京都駅の始発のJR線に乗る予定だった。数杯のノンアルコールカクテルと料理で長居をさせてくれた優しいマスターにお礼を言って、一足早く、バーを出る。
夜明け前の四条河原町は混沌としていて、交差点の近くでお巡りさんが暴れる若者を押さえていた。そんな光景さえも、その日の私には新鮮に映ったのだから、若さとは偉大なり。
鴨川に出て、ひたすら下れば、京博の近くまで着くよ。そうしたら、右に曲がれば、京都駅。
そう教えてもらった通り、午前五時の鴨川を、一人で歩きながらくだった。まだ、地下鉄の始発も動いていない時間帯。水鳥の鳴き声と、自分の靴の音だけが河原に響くのを聞きながら、歩を進めた。
耳に入れたイヤフォンからは、勿論、ハンサムケンヤの音楽が流れている。
ひんやりとした、早朝の空気がなによりも澄んでいた。
一晩ちいさな椅子で凝り固まった身体を動かしながら、私は今、すごく自由だなと、全身で感じた。
好きな音楽がある。それを生で聴ける。そのことについて、一晩語り合える人たちがいる。
それは今思えば、若さ特有の万能感なのかもしれない。
それでも、その朝、確かに私は自由を感じていた。
生きていてよかったなと、鴨川を照らす朝日を浴びながら思った。
それから始発の電車に飛び乗って出席した一限は、あまりに眠すぎて内容を全然覚えていない。一晩はしゃいだ汗臭い服で授業に出たのは、あれが最初で最後だった。
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今思えば、結構危険なことをしていた。
偶然、まわりの大人たちが善良で優しい人たちばかりだったので、なにもなく無事に帰ってこれたが、一晩をバーで明かすなんてことは、未成年のすることではないなぁと、反省。
それから何度かライブに参加したが、どれも興奮するほど楽しくて、きらきらした思い出になっている。結局、アルバイトと生活と勉強など諸々の問題で、数回しかライブに参加できなかった。勉強が忙しくなってきて、アーティストの情報を追ったり、新譜を手に入れるために遠征したり、そういったことに手が回らなくなってからは、彼の音楽から離れることが多くなった。
だけれでも、今でもハンサムケンヤの音楽が大好きだ。
時折、CDを引っ張り出して、小さなポータブルプレイヤーで再生する。いつも彼の音楽を再生していたiPhone4Sは、数年前に壊れてしまった。でも、あのギターの音を、命を削るような歌声を、心の柔らかいところにちょうど届くような歌詞を聞くたびに、思い出す。
苦しかった高校生活で、孤独だった初めての一人暮らしで、私を救ってくれたのは紛れもない、ハンサムケンヤの歌たちだ。
きっと、あの日のことを、鴨川を歩いてくだった午前五時を、私は一生忘れられないだろう。
あこがれの人に会ってしまった興奮と、生きていることのよろこびと、鳥の声と、川の音と、頬を撫でる清々しい初夏の風。
そして、イヤフォンから流れるあの歌たちを。
〇〇〇
正直どの音楽もめちゃくちゃおすすめなのですが、定番(?)はこちら
この街の歩き方、散歩したくなる曲で大好き。
トワイライダーもめちゃくちゃいいです。
ランダム、曲も最高に好きなのに、MV公開されたときに良すぎて永遠にリピートしてた。『まぁいっか』
集積ライフ、音楽もMVもいいとか、大天才のそれ。
劣等感ビート、めちゃくちゃ刺さるので、すごく、よい。だめだ、語彙力がなくなってきた。これだから好きなものについて語るのは難しい。
イヤホンジャック、最高。
駄目だ、全部ここで紹介する気か?
まだまだ最高な音楽たちがいっぱいなので、ぜひ、聞いてください。
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