見出し画像

差別と特権意識

 国民民主党代表選挙、果たして名乗り出る者はいるのでしょうか?鈴木義弘さん間違ってもすぐに『なし』とは言わないで下さいね💦
玉木党と揶揄されがちな本党。民主主義政党なんですから、選挙はやらないと😠
個人的には、川合孝典さんor浅野智さんが名乗り出ると予想。前原さんは…わかりません😑


 植松の絵…温かみが全くなくて怖い。死刑囚となった此奴は、とっとと極刑に服すべきです💢
令和は分断を生むような福祉政策から脱却し、カテゴライズをやめて一人一人を見る新しい政策へと転換していくべきです。そうじゃないと、障害者差別は減らないです。私は障害者差別は無くなるどころか新しく登場してくる様なシステムに違和感を感じてます

障害者・健常者・〇〇障害諸々。この言葉が世に広まった事で、怖がりな日本人は思う様に人間関係を築けなくなりました。知ってはいけない言葉だったのかもしれません。植松死刑囚は犯行当時『障害者はいなくなればいい』と供述してました。正しくは『障害者という言葉など無くなればいい』が良いんです。
何故そんな事を言うか?特権意識なんです。障害者・健常者とカテゴライズされた事で特権意識が芽生え、障害者・健常者という矛と盾て互いを差別を用いて攻撃し合ってる訳で御座います。私も発達障害を盾に、理解しろやーああ配慮しろと色々言い放ってきました。理解・配慮する人は増えた一方で、却って差別されたり、理解・配慮が原因で体調を崩す人が出てきました😨

私は植松が衆議院議長宛ての手紙の内容に書かれた通りの重複障害の当事者です。障害者として生きやすいかと申し上げますと…微妙です。例えば結婚は通い婚が基本前提です。何故なら一緒に住めば、相手をカサンドラ症候群になるかもしれないから。世の中が変わらないのに加え、通い婚を望む相手がいないのであれば、悔しいけど私は結婚を諦めます🤦🏻‍♀️
つまりカテゴライズされてる事で、障害者…特に目に見えないタイプ障害は幸せの断捨離をしなければならず、幸せと言って良いのかわからない程に微妙な生き方を強いられてるのです。
カテゴライズありきの福祉政策はそろそろやめて、一個人に寄り添った福祉政策に切り替えた方がいいです。例えば発達障害は一人一人で特性は様々です。一括りにすると症状が却って悪化する事もあるから一人一人に寄り添った福祉政策を行う必要があるんです。それが当たり前になったら、いよいよ障害者・健常者というカテゴライズからの脱却です💨

〇〇障害から〇〇に困難を抱える人。
これが私が描く共生の在り方です🍎


 スープの透き通った冷たい系の麺が食べたい。冷やし坦々麺しか食べてないんだよね…やってるか寄ろうかしら?移転前はやってたんだけどねぇ🍥

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?