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ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON 1周目をプレイした感想①

今年の8月25日に発売されたアーマードコアシリーズの新作、『ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON』。
夏休みの宿題に追われる学生と同じ生活リズムでゲームに没頭して、わたしが1周目をクリアしたのが8月31日の深夜。
10年ぶりのアーマードコアシリーズの新作ということもあり、喜び勇んでプレイしていたが、今作は攻略難易度を高めに設定しているということもあり、1周目で体力を使い果たしてしまった。
今作はマルチエンディングを採用しており、すべてのエンディングを見るためには、少なくとも3回は周回プレイをしなくてはならないのだが、わたしは2周目の入口でずっと足踏みしている。
つづきをプレイしたいという、はやる気持ちもあるが、もう少しだけ休憩していたいという気持ちが勝ってしまう。

久しぶりのアーマードコアということもあり、今回わたしは手元にメモを置いて、感じたことを記録しながらプレイしていたので、このタイミングを利用して、1周目の感想を大きなくくりでザックリまとめて、他の独立傭兵のみなさんと共有しようと思う。

豊富なイベントムービー

最初に触れておきたいのは、作中の「イベントムービー」について。
アーマードコアという作品は、シリーズを通して、敵キャラクターやボスキャラクターに焦点をあてたムービーは、しっかり用意されている一方で、自分がアセンブルした主人公機に焦点をあてたムービーは意外と少ないという特徴があったのだが、今作では要所要所で、自分の機体にフォーカスしたイベントムービーがしっかりと用意されている。そのため、自分の機体を眺めて楽しめる機会が多い。

とりわけ、Chapter2最初のミッションである「グリッド086侵入」の、導入シークエンスのムービーは非常に秀逸だと思った。


つくりこまれたストーリー

次は「ストーリー」について。
伝統的にストーリーに力を入れないのが、このシリーズの最大の特徴で、グラフィックやAC(※)の挙動、敵のAIなどには力を入れる一方で、ストーリーに関してはプレイヤーの想像力まかせというスタンスだったのが、今作ではそれがしっかりつくりこまれている。
しかも、単なるロボットアクションものの枠を超えて、宇宙もののSFに仕上がっているのが、個人的には非常に印象的だった。

(※)主人公を含め、一部のエリートパイロットしか搭乗できない戦争用の人型兵器。作品世界においては、MTと呼ばれるシンプルな構造の兵器の上位互換として位置づけられる。

世界観や設定もしっかりつくりこまれていて、特にストーリーのカギを握る「コーラル」という物質の性質が、SFの設定として非常に優秀だと感じた。
石油や核物質のようなエネルギー資源であると同時に、自己増殖する生命でもある。そればかりか、人間のように意思を持っていて、人類にコンタクトをはかってくる。それだけで、わたしのようなファンは無限に想像力をかきたてられた。

主人公はコーラルを資源として利用しようとする企業サイドと、生命としてのコーラルの意思との狭間で、選択をせまられることになるが、今作では、そこに主人公の”飼い主”であるハンドラー・ウォルターの個人的な思惑も絡んでくる。
過去作においては、例えば『ARMORED CORE for Answer』のオペレーターであるセレン・ヘイズは、ストーリーを進めていく最中に個人的な感情もよく口にする人物ではあったが、ストーリーには直接関わってこなかった。
しかし、今作ではそれがあるため、オペレーターの存在がストーリーをより複雑にしていく。

では、このハンドラー・ウォルターとは何者なのか、となるかもしれないが、ネタバレになるので深堀りは避けようと思う。
ただ、ストーリーを進めていく過程で、行く先々出会う人みな「あの、ハンドラー・ウォルターの~」という科白を口にするので、多くのプレイヤーは「この人よっぽど悪名高いんだな」という印象を受けることになる。
しかし、実際には登場人物それぞれの立場であるとか、ウォルターに対する解像度の違いによって、この科白の含んでいる意味が微妙に異なっている、ということに終盤になるにつれ気づくことになる。
「ハンドラー」という言葉から、主人公をハンドリングしようとする人、というイメージが先行してしまう、というのもあるが、わたしはこの人物に対して、映画『グラディエーター』に登場する奴隷商人プロキシモのような人物を、はじめ想像していた。
そして、作中の登場人物においても、ウォルターのことをよく知らない人物ほど、これに似たようなイメージを彼に対して持っているらしい。つまり、在庫処分セールの最安値で仕入れた旧式の強化人間を、ジャンクパーツで武装して戦争に放り込み利益をあげるしたたかなじーさんというイメージをだ。
しかし、一方でウォルターの思惑を知った上で主人公に近づいてくる人物もいる。
たとえば、Chapter2で登場するシンダー・カーラという人物は、ウォルターが最終的に主人公にどのような役割を担わせようとしているのかを理解したうえで、例の科白を主人公に投げかける。

しかも、互いに対立しあうかたちでバラバラに登場してきたキャラクターたちが、終盤になると、ある一つの目的に向って協力し合うことになる。個人的には、このシリーズでこんなアツイ展開を見ることになるとは、夢にも思わなかった。

ストーリーについては、これがラストになるが、今作を語るうえで無視できないのが、やはり「借り物の翼の物語」というテーマ性だと考える。
今作の主人公は、最初のミッションで他人が落としたライセンスを盗み、人から借りた身分で最後まで活動していくことになる。
けれど、あらためて現実世界に目を向けると、我々は意外と人から借りたもので飛んでいることが多いことに気づく。わたしが今やっているこの行為もまさにそうだが、こういった活動は結局、他人が築き上げたもののうえに立って自分をブランディングしようとする行為であって、それを忘れてしまうと必ず破綻するのだろうと、わたしは思うのだが、しかし、これは普通の会社組織においても同じことが言える。
例えば、今作に登場するV.Ⅱ(ヴェスパー2)スネイルなんかは、まさに借り物の翼で飛んでいる人物の一人と言える。
大企業アーキバスが保有する強化人間集団〈ヴェスパー部隊〉の副長という、大層な肩書があるからこそ保たれる威厳というものがあるのだろうと、個人的には思う。逆にこの肩書がなかったら、ああいう性格の悪い人間はどこで生きていくのだろうとも。
彼の場合は、まだ彼自身の努力や苦労が見えるので憎めないが、世の中には「人から与えられた役割を、自分の本質と混同して勘違いする」人物は意外と多いような気がする。


スケール感やサイズ感

長くなっているが、まだつづけることにする。なぜなら、今作における最大の推しポイントが、これから述べる「スケール感やサイズ感」だからだ。

今作、過去作と比べてマップが広めにつくられている。これは発売前のプロモーションの段階から言われていたことだが、ただ単に広いわけではなく、よく見ると多くの建物や人工物がメガストラクチャーと呼べるくらい、巨大に設計されている場合が多い。
過去作をふりかえると、オブジェクトのサイズ感というのは特撮映画的で、これはもちろん映像制作に樋口真嗣監督が関わっているからということもあるが、ヒーロー映画や怪獣映画のように、オフィス街のビル群の中を複数のACが暴れまわるといったシーンが多かったように記憶しているが、今作ではそういう場面がほとんどないように感じる。いい意味で、ひと皮むけたような印象を受けた。

この違いはどこからくるのかと改めて考えてみると、おそらく「人型兵器アーマードコアと、普通の人間の日常との距離感」が、そのまま世界観のヴィジュアルに反映されているのだろう、とわたしは個人的に思った。
どういうことかというと、これまでのシリーズにおいてACというのは、純粋に戦争のための道具であって、非日常的な存在だったのだ。だからこそ、スーパーヒーローや怪獣と同じ演出が適用されるのだが、今作におけるACは、これまでよりもずっと日常寄りの存在として描かれているような印象を受ける。

例えば、今作の「隠しパーツ」のひとつであるWRECKERフレームは、パーツの説明欄に「土建作業用のAC」とある。これまでシリーズを通してプレイされてきた方ならご存知だと思うが、アーマードコアの世界観におけるACというのは、一種のステータスシンボルであり、兵士のなかでもとりわけ高い技能や適性を持つエリート中のエリートしか操縦できないスペシャルな代物という位置にあったのだ。
しかし、このWRECKERフレームの主な搭乗者は、ブルーカラーの労働者であったり、場合によっては地下組織のならず者であったりするのだ。
ACをめぐる、このあたりの設定の違いが、今作と過去作の決定的な違いであり、さらにはスケール感やサイズ感の違いを生む原因であるとも、わたしは考えている。

すでに生活インフラが整備されている都市生活においては、車やトラックなどの「車両」が生活手段になるが、生活インフラが不完全な場所を改めて切り拓こうとすると、ACをはじめとする大型のロボットが生活手段になる。
今作は物語の舞台が宇宙ということもあり、設定のバックグラウンドにあるロジカルな部分が綺麗に風景に落とし込まれているように、わたしは感じた。

そのためプレイ中も、人間の都市生活の上をACで飛びまわるというフィーリングよりも、宇宙生活の中にACで分け入っていくというフィーリングを得られることが多く、これにストーリーを絡めて没入感を演出すれば、そりゃ面白くなるのも当然だよなと感じた(ただし、好みは分かれそう。前者が好きという人もいるはず)。

つづく。

①は「良かった点」だが、②は「気になった点」になる。
これを原稿に、自分で読みあげた動画をいずれはYouTubeにアップする予定(未定)。

わたしの活動が、あなたの生活の一助になっているのなら、さいわいです。