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ちょっぴり早めの、父の日を。

緊急事態宣言が解除された瞬間、3倍送りのスピードでやってくるのは研究である。
どんどん目前に迫る締め切りを、どうにかこうにか守り抜こうと必死な毎日だ。

本日も例にもれず、一番のお友達はパーソナル・コンピューター。
なけなしの脳みそをふりしぼり、渾身のプログラムを書いたはずなのに、シュミレーションされて出てきた水の温度は下がる一方。
ここ、上がんなきゃいけないのになー。

プルル。
むしゃくしゃする私に、これまたスマート・フォンが呼びかける。

「今日会社に出てるんやけど、今から行くから、晩御飯一緒に食べようか」
「うーん、17時以降なら空いてるかなあ」
「ほんまか!わかった!」
まあ、嬉しそうな父の声。

日曜だというのに働いて、疲れているだろうにどうしてこの人はこんなに嬉しそうなのだろうか。

同じ京都にいるというのにあまり会わない弟も来る、というのにもちょっと心が浮き立ち、17時前になると、一応掃除機をかける。

ピンポーン。
思ったよりも早く、父がやってきた。
私に会えて嬉しそうである。

ちょっと遅れて、なんだか不機嫌そうな弟もやってきた。
いつ見ても可愛らしい。
ちょっと背が伸びたような気もする。
大学生になって、変な虫(?)がつかないか、姉バカな姉は心配である。

3人そろえば近くのお店へ。
いつもはスーパーに行っても素通りの、牛肉。
ランプ、霜降り、ハンバーグ。
美味しいお肉をたらふく食べさせてもらい、現金なわたしは父へ感謝の気持ちがわいてきた。
今のうちに、父への感謝と尊敬の気持ちをここに残しておこうと思う。

そういえば、もうすぐ父の日だ。

何歳だったのかも覚えていない、ある幼い日。
小学生くらいのころだろうか。
家族で、祖父母の家の近くにある倉敷美観地区に行った。

白い壁に黒い瓦の、古そうな屋敷や蔵が立ち並ぶ。
街の中を流れる倉敷川の両岸には、柳並木の葉が揺れる。

晴れの日が多い、倉敷。
その日も、晴れた日だった。

由緒正しそうなせんべい屋さんのぬれおかきを食べたり。
倉敷名産、倉敷デニムのお店を見たり。
倉敷きっての大地主、大原家のコレクションが並ぶ大原美術館で、会ったこともない人の描いた絵を鑑賞したり。

目新しいものたくさんの、美観地区を満喫していた。

なんだか外の空気を吸いたくなった私はみんなよりすこし先に美術館のお土産ショップから出て、川をスイスイと泳ぐ鴨に見入っていた。
気持ちよさそうだ。

しばらくすると、妹が出てきた。

妹が走ってくる。鴨が見たいのだろうか。
大丈夫か?
スピードをゆるめない妹に、そう思ったのもつかのま。
木の根っこに足をひっかけた妹は、スピードもそのままに、真昼間の倉敷川に飛び込んでいった。

バシャン!

どうしよう。
そう思うより前に、
バッシャーン!
さっきよりも大きな水音がした。

飛び込んで、まだ浮かんできていなかった妹とともに浮かびあがってきたのは、父だった。

周りの人々も、目をまんまるくしていた。
そりゃあそうだ。風情あふれる街並みをゆったり楽しんでいるときに、人が川に飛び込んでいったら。
そして、息をつくひまもなくもう一人飛び込んでいったのだから。

びしょぬれで上がってきた2人に、近くの喫茶店の人が、親切にタオルをたくさんくれた。
それをかぶって無事に帰ると2人はあったかいお風呂に入り、事件は終結した。

まあ、あの時の父は、ほんとうに早かった。
目の前で妹が川に飛び込んでいき、「どうしよう」と私が思う頃にはもう飛び込んでいた。

どうしてあの日、あんなに早く飛び込めたのか。
生まれてきた赤ちゃんとひとたび目が合ってしまえば、あんなふうに飛び込めるようになるのだろうか。

私にも子どもができたら、あんな風に飛び込めるのだろうか。
自分の子どもとか、そうじゃないとか、関係ないのかな。
わからないけれど、私はそんな父のもとで、たくさんの愛情を受け取って育ってきたことはたしかだ。

父が毎日仕事を頑張ってくれて稼いだお金で、ご飯を食べさせてもらい、服を買ってもらい、勉強もさせてもらってきた。
スキーやキャンプ、水族館。
たくさんの目新しい世界を見せてもらってきた。
たくさん笑わせてもらい、ちょくちょく怒られて、たくさん幸せをもらって、22年間生きてくることができた。

今もひとことパソコンの調子が悪いとLINEすれば、心配して電話をかけてきてくれる父だ。お米が無くなりそうになったら連絡すれば、私はお米がもらえるらしい。
考えれば考えるほど、ありがとうという言葉なんかじゃ足りない気がしてきた。

あの日あの時にタイムスリップしたとして、父より先に飛び込める気は、今はまだしていない。
けれど、いつかは、父より先に、誰かのために飛び込めるようになりたい。

という気もしている。

もうすぐ父の日だ。

高校生のときは、父の服と一緒に自分の服を洗濯されるのがちょっといやだった娘より。


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