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川島屋を再興しました

何のことやら?と思われるでしょうね。

極めてわたくしごとですが、今から50年前、埼玉県の山奥に金物屋の三代目として私はこの世に生を受けました。小さい頃は周囲の人からも「三代目」と呼ばれており、自分自身も何となく当然父の跡を継ぐものだと思っておりました。そのため、店番や電話対応、配達の手伝いなども小学生のころからやっています。その屋号が「有限会社 川島屋金物店」です。自宅兼店舗になっていたので、電話に出るとき「はい、初雁です。」と出ると「川島屋さんですか?」と聞かれ、「はい、川島屋です。」と出ると「あれ、初雁さんじゃないの?」とよく聞き返されていました。

祖父が事業を起こしたころは大戦前後であり、祖父自身も戦争に赴いたこともあって(ちなみに現地では竹やりで戦闘機を落とす方法を学んでいたそうです)、なかなか会社経営は苦しかったようです。そんな中でも祖父は事業を起こして家族を支え、父に引継ぎ、当然わたしにも事業を大きくすることを期待していました。子供のころはその期待もあってか、かなり厳しく育てられています。

医師を志すと決めたときも、そのあとも、このことだけは常にわたしの心の片隅にある種の「負い目」として残っていました。祖父や父の意向を無視する形で、育てていただいた感謝の念もなく、自分の好き勝手に違う道に進んだのですから。

とはいえ、商売人の感覚はわたしの中に育っていたようで、医師になった後も医療を医学のみならず、キャッシュフローとして捉える感覚は常にありました。日本の医療界では暗黙というか忖度というか、経済的な側面はあまり公の場では語られません。しかし、現場では当然経済面も重要な課題となりうる訳で、治療の適応があっても経済的理由であえて治療を受けない選択をされる方もいらっしゃいます。以前、精神科の料金が安いというお話をさせていただきました (https://note.com/hatsukari/n/n17b9c0a95d4a) が、翻せば、患者さんの経済的負担も軽くなるのです。これも、なぜか公の場では話してはいけないことになっており、もちろん患者さんにも言えません。

現在の医療現場は、新型コロナウィルス感染拡大以前から殺伐とした状態となっており、医療の使命感の下に自己犠牲を強いられる環境となっております。IT化などの業務効率化や働き方改革などで様々な方々が事態改善に取り組んでおられますが、決定打にはなっていません。わたしは根本的な医療への対峙の仕方を変えない限り、いまの負のスパイラルは止められないと考えております。では、それをどのように取り組んだらよいのか。

医師の立場で自分の病院以外にこのお話を持っていくことは難しいですが、個人的にこの考えを広げていけないかと考え、折しも世の中で企業の新規スタートアップが推奨されていることもあり、一念発起して起業することにしました。「7つの習慣」のコンテンツを基盤として、医療に関わる方々を水面下でサポートできるような組織を作り上げます。そして、その屋号を「川島屋」とさせていただきました。(本当は有限会社もつけたかったのですが、いま有限会社はもうないと税務署で言われてしまいましたので。)これで、祖父にも父にも顔向けができるよう取り組みます。

時代遅れと言われそうですが、実は自分もこの屋号を結構気に入っています。慣れ親しんだ名前だからでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございました。今回の内容を気に入っていただけると、とても嬉しいです。

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