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人間は感情の生き物 ~合理化、効率化の難点~

 「コスパ」という言葉がある。
 本来あるべき人間味、人間らしさから最も乖離した言葉の一つだと思っている。
 特にIT関連事業に携わっている人がよく使っている印象がある。
 
 例えば、誰か?
 堀江貴文さん。
 具体例は以上。
 
 インターネットはすごい発明である。実際に世界を大きく変えている。だが、インターネットによって物事の合理化、効率化が行き過ぎている一面があって、私はその一面に少し疑問符を抱いているという話である。

 インターネットがなかった1980年代。あの豊田商事の社員ですら、転がり込んだお宅で何十分と土下座して「そこまでしなくていいですから」と通帳を管理している奥様に可哀想に思わせることで契約(契約といっても詐欺だが)を勝ち取るという泥臭いことをしていた。泥臭いというのは悪い意味で言っているのではない。やっていたこと自体は詐欺だからダメだが、その契約の取り方は一周まわってって悪くないのではないか、と私は思っているのだ。

 人間は感情の生き物で、買うか買わないか(契約するか契約しないか)は最終的には感情が決める。対人関係での相手の好き嫌いも、ほとんど感情が決めている。先の豊田商事のように、時には相手の感情に直接訴える必要があることは事実で、私はたまにメルカリで買い物をするが、買った商品に手書きのメッセージが添えられていると、とても嬉しくなる。なかなか捨てられない。

 先月、noteのフォロワーで誕生日の方がいらっしゃったので、少額だがメッセージを添えてサポートを送らせて頂いた。とても喜んでいらっしゃったように私には見えた。私は他人、特に仲良くさせてもらっている人に関しては意外とマメなのだ。自分に関することになると途端にズボラになるが。例えば毎晩の歯磨きを怠るとか。汚い話ですみません。

 私のマメな一面は、合理化、効率化の好きな人たちから見れば、コスパの悪い、非効率なことに見えることだろう。別にそう思われても構わない。実際に非効率だと思う。思うが、非効率でも相手の感情に訴えるという意味では、コスパの悪いこともしないと、この人間社会で相手を感動させることはできない。それは自分が不利な立場に置かれるということでもあるのだ。