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ペシミズム×オプチミズム ~人生は絶望と希望に満ちている~
はじめに
イチ個人の力では、どうにもならない事柄はたくさんある。
例えば、政治家はお金で動く。ツイッターやフェイスブックで自分の政治的信条を述べたところで、国は一切変わらない。
だが、必ず共感してくれる人がいる。勇気を与えることはできる。
社会問題を考えても仕方がない、徒労だと力ない愚痴を零さずに、どんどん自分の意見は発信するべきで、そのためのSNSとも言える。
そんな小さな希望を見い出すことに、生きる意味をも見い出して欲しい。
世の中に絶望しているばかりでは、単なる世捨て人である。あなたは山奥で仙人のように暮らしているのですか。違うと思う。
確かに人生においては絶望する事柄も多いが、希望を持てる事柄もある。
「中庸」「中立」という概念はなんのためにあるか。
絶望と希望、その両面から考えることが大切なのだ。
はとてゃ
第一部 人生はこんなにも苦しい
・明日死ぬとは露ほども思わない若者たち
第二部でも触れているが、日本は個人主義化が進んでいる。そして、
日本人のナルシシスト化も既に頂点に達している。
老後の心配をする若者が圧倒的に増えている。それは政治や時代の流れなのかもしれないが、いわゆる「FIRE(早期リタイヤ)」をして、早目の老後のような生活を望む若者が増えた。それは本人の生き方だから口出しはできないが、まだ30歳で野心家の私からすると萎えるものがある。
明日死ぬかもしれないのに、そんな遠い未来のことを心配してどうする、と言いたい。
多くの若者が「明日死ぬことはない」と心の片隅で思っていて、老後の心配ばかりする。こんなに滑稽なナルシシズムはないのだ。
日本では年間に約4000人が交通事故で亡くなる。1日で約100人である。その中に絶対に入らない自信があるか。それを究極のナルシシズムと言うのだ。
「はとてゃ君はナルシシズムを肯定していたではないか」と反論があるかもしれないが、私の肯定しているナルシシズムは、例えば鏡の前でジムで絞った身体を見て惚けるというような、物質的かつ刹那的なもので、人生そのものにおいてナルシシストであれ、ということではない。
最後に。
夢や目標がなく「生きていてつまらない」と嘆く若者は多い。
「明日死ぬかもしれない」と思えば、自然と目標は見つかる。明日死ぬかもしれないと思って、毎日を真剣に生きていれば「何もすることがない。暇だ」という戯言が出てくるはずはない。
脅かすようで申し訳ないが、明日自分が死ぬと仮定して、やりたいことをノートに綴ってみて欲しい。自分が本当は何をしたいのか、何者になりたいのかが分かると思う。
・個人に、中小零細企業に優しくない改正貸金業法
日本では2010年6月、現在の改正貸金業法が施行された。
改正内容で最も注目するべきは、やはり「総量規制」だろう。融資を受けられるのは、年収の1/3までというルールのことだ。ご存知の方も多いと思う。この規制は多重債務者を増やさないためのものだが、一方、事情があって本当に多額の融資が必要な人、切羽詰まっている人には邪魔になる。
「貸すも親切。貸さぬも親切」と言うが、本当に多額の融資が必要な人、切羽詰まっている人を支援する制度はあるのか。
・・・ほとんどないと言ってもいい。
まったくない、と言わないのは、例えば「公的融資制度」は低金利での融資だが、要は国に借金するということだ。条件を満たさないとならないし、国の借金の督促は消費者金融のそれとは比べ物にならないほど厳しく、1日や2日と待ってくれない。国に借金した自営業者が、首がまわらなくなって廃業に追いやられて、夜逃げするという話は昔からよくあると聞く。
日本はセーフティネットが充実しているように見えて、安易に利用可能な(敷居の低い)ものは少ない。
レールから外れたら人生が詰む。そんな風潮が作られたのは恐らく高度経済成長期だが、当時のように正規雇用で工場などに就職すれば一生安泰という時代は、とうの昔に終わっている。
借金を作ってはならないのだ。破滅への入り口なのだから。
だが、借金は、ふと魔が差した時に作ってしまうもの。私もそうだった。
借りるなら信頼できる友人、あるいは身内に借りるのがベターだと思う。
・本音と建前という偽善的慣習
私は本音と建前という慣習が大嫌いだ。
なぜか。かえって人を傷つけるからだ。
例えば、気になる男が、平凡なあなたに向かって「俺は美人すぎる子では抜けないんだよね」と豪語していたとしよう。無論、それは建前で、本当は美人が大好き。その後、しばらく付き合ってから彼氏の部屋から美人が出演しているAVが見つかった。あなたはどんな気持ちになるだろうか。恐らくあなたは傷つくだろうし、その付き合っていた時間は一体何だったのか、という話になってしまう。
極論と言われるかもしれないが、多少非難されようと、普段から本音で生きている人のほうが、断然人を傷つけない。
その彼氏は、「俺は美人が好き。実は前からお前のことは可愛くないと思っていた。お前とのセックスでは満足できない。付き合えない」と、ハッキリ宣言するべきだったのだ。それがお互いのためなのだから。
当たり前すぎる話で、これ以上行数を割くようなテーマではない。
・情報の氾濫で不安と恐怖を煽るネット社会
ネットは世界を変えたと言っても過言ではない素晴らしい発明だが、便利になった一方で弊害もある。
ちょっとSNSを覗くと、豪華ランチをしている様子の写真。恋人とイチャイチャしている様子の写真。芸能人の豪遊している様子の写真。自分とは思想が正反対の人の発言が目に入ることもある。
炎上でもすれば、何処の誰かも知らない人に身元を特定されて人生終了。デジタルタトゥーとして半永久的に刻まされてしまう。
「私があの時、お金がなくて売春した記録は、今もネットに残っているのだろうか」
そのようにネットは時として人の不安や恐怖を煽る元凶になる。
ついでに付け加えておくと、ネットに氾濫している情報の9割は参考にならない。
「~いかがでしたか?」と結論を出さないトレンドブログばかり検索に引っ掛かって、有益な情報はなかなか手に入らない。ネットは基本的に無料だが、ネットの情報は所詮は無料で手に入る程度のものでしかない。
先ほどの売春の話ではないが、くだらない(一般人のものも含めた)ゴシップネタもいい加減勘弁して欲しいものだ。そんなものに興味があるのは暇な大学生と専業主婦くらい、と言ったらまた怒られるだろうか。
そんなネットの普及により、アナログで有料の媒体(書籍など)から手に入る情報のほうが価値が高まったという、一つのアイロニーである。
第二部 人生はこんなにも楽しい
・あなたに秘められた素晴らしい才能
いつかの記事にも書いたが、この世に無才な人はいない。
すべての人には「生き延びる」という立派な才能がある。
だが、綺麗事が過ぎるので、もう少しだけ深堀りしたい。
人の才能は先天的なものが6割、後天的なものが4割だと思っている。
「生まれ持った先天的な才能がすべて」と言う人がいるかもしれないが、それではアスリート向きの身体で生まれた人が、トレーニングなしでオリンピックに出場できるだろうか。流石に無理だと思う。
才能は後天的に「叩き上げ」で獲得することが可能だ。
たが、「それなり」の努力では後天的な才能は開花しない。
よっぽど苦しい状況下に置かれないと、才能は開花しない。
「自分は無才だ」と思っているのであれば、みずから孤独で苦しい状況下に身を置いてみるといい。
人間の脳の底力をバカにしてはならない。
苦しければ苦しいほど、そこから這い上がろうとする時のエネルギーは膨大なものになる。
苦しい状況下に身を置くのは怖いと思うが、あなたは追い詰められないと一生「普通の人」で人生を終えることになるだろう。
・日進月歩の「薬」と「医療」
薬の進歩は目覚ましいものがある。
特に新しい作用機序の向精神薬だ。
トリンテリックスのように副作用の少ない抗うつ剤や、同じくデエビゴのように副作用の少ない睡眠薬が次々に登場している。
日本には約100万人のうつ病患者がいると言われている。
だが、今の時代、彼ら彼女らはそこまで悲観する必要はないと私は思っている。
日進月歩の「薬」と「医療」。
特にうつ病に関する研究は進んでいて、今尚様々な仮説が打ち立てられている。20年後には、誰もが完治に近い状態(寛解)まで持っていけるようになっているかもしれない。
精神疾患を患うと人生が詰む、という程に悲観的にならなくていい。
なんでも構わない。自分の楽しみを見つけて、希望を持って欲しい。
・個人主義化を邪魔するフェミニズム
日本は今、個人主義化が進んでいる。欧米化しているとも言える。
ユーチューバーか、あるいはフリーランスのように個人で生計を立てる人が増えた。
良い傾向だと思う。
「いい大学を出て、いい会社に入れば人生安泰」という固定概念はもはや崩壊している。
だが、「人助け」の面で言うと、まだまだのようだ。
駅を歩いていて、目の前の女性が倒れても、それを見た男は後でセクハラ扱いされるのが嫌でAEDを使わない。無論、人口呼吸もしない。
その最悪な事態の背景にあるのは、そう、フェミニズムという巨大な思想だ。
巨大な思想は、多くの人を巻き込むが故に、個人主義化の邪魔をする。
日本人は元々「個」の力が弱い。それを克服と言ったら変だが、脱しようとしているところを、巨大な思想(フェミニズム)が邪魔をしている。
バブル時代に「アッシー君」「メッシー君」と言って男たちをバカにしていたかと思えば、今度は緊急事態でも男を痴漢扱いするフェミニズムの台頭だ。ある男は、美女に「男はATM」と、冗談でも口にしてはならないようなことを言われたことがあるらしい。まったく笑えない話だ。
フェミニズムという巨大(巨悪)な思想に、男たちは負けないで欲しい。
・私にはこの生き方しかできない
「継続は力なり」。
私は声を大にして言う。「継続は成功なり」。
私は継続することが苦手だ。なんでもすぐに放棄してしまうのである。
noteも何度もアカウントを消していて、その度にゼロからのスタートになった。私がnoteで収益を上げられなかった最大の理由の一つだ。ある年長者の男にも指摘された。
継続できないとは、行動や生き方が一貫していないということでもある。
ある男は、普通にサラリーマンとして就職した。だが、3年後には寿司を握っていた。その更に5年後には、自転車屋を営んでいた。
・・・こういう生き方は、尊敬されないのである。
伝統的な工芸品をつくっている職人さんのように、ずっと同じことを続けて極める生き方のほうが尊敬される。リスペクトの対象になる。そういう職人さんはインタビューを受けると決まってこう言う。「私にはこの生き方しかできない」。
私の「継続できない」という致命的とも言える欠点は、なんとか直そうと努めているが、生まれつきの特性ならば諦めるしかないのかもしれない。いいや、それでも直したい。なんとかして、なんらかの形で成功に繋げたい。その想いは何年間も変わっていない。
あなたに継続していることが一つでもあるならば、それは非常に立派なことだ。才能とも言える。私のように、一つの物事すら継続できない人間のほうが多い。
あなたの人生は美しいのだ。
それを軽視する人はいない。
※参考文献
・『成功者は「逆」に考える』(総合法令出版)里中李生
・『「弱者」はなぜ救われないのか』(株式会社きんざい)増原義剛