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整形したけど

一か月前に埋没の施術を受けました。(日本語変かもしれん)
そして施術を受けてから一か月間色々考えて私はあることに気づきました。

見た目が変わったところで心は何も変わらない

当たり前のこと言ってんじゃねえよブスとか言わないで。
私は整形する前はこう思っていたんです。
「コンプレックスが減れば減った分だけ自信がつくはずだ。」
私は中学の時にブスだといじめられていました。一部の人にわざと目の前でブスだと言われたり…ひどいあだ名をつけられて呼ばれていました。正直中学時代は死にたいとずっと思っていました。
そしてそのいじめにより自分の顔が大っ嫌いになりました。特に言われたのは一重と出っ歯。この2つは特に大きなコンプレックスとして長年私を苦しめてきました。
そんな私のコンプレックス達は大学生になりお医者様の力を借りて力づくで潰されたいうわけです。だがしかし!!!!!!
自信とは?自尊心とは?自己肯定感とは?
それで私は気づいてしまったんです。コンプレックスが目に見える形でなくなったってそのコンプレックスを生んだ出来事の記憶は私の中に永遠にあるんだと。
そういえば今年の1月に成人式で久しぶりに私をいじめてた相手と再会しました。私は大学生ですが、相手はもう就職しているそうで「昔はごめんな。俺むっちゃ子供やったわ。」みたいなことを言われました。その時は笑顔でもう気にしてないからいいよと言いましたが内心ははらわたが煮えくり返ってました。多分彼の中では「昔はやんちゃだった自分。でも今はしっかり働いて大人に成長しました☆」みたいな感じで過去から現在の自分を成長物語として自分の中で保存しているんでしょう。
でも言われた私は?どうしたらいいの?
必死にお金をためてコンプレックスをがんばって潰しても心の中ではずっとブスブスブスブスブスブスブスと言われた記憶があって、コンプレックスを潰しても全然可愛くなれなくて、それが新たに自分のコンプレックスを見つけるキッカケになって、あれ?一重と歯並びに気をとられて気づいてなかったけど、鼻も低いしそもそも目の配置上過ぎじゃん、、、頬骨も出てるし、あれ?私まだ整形しないといけないのかな?でもこのコンプレックスが無くなってもきっと私の心が晴れることはないだろうし。まさに地獄。

でも今の時代は私みたいな人っていっぱいいると思うんです。Twitterなどを見ると整形垢がいっぱいあるしそこには毎日誰かの心の叫びが垂れ流されています。そしてそんな風に自分の感情を誰でも世の中に発信できる時代だからこそ世間の流れも変わってきているように思います。最近は整形を公表する人も増えてきました。その中に轟ちゃんというyoutuberがいます。ダウンタイム中はよく動画見てました。あの時はお世話になりました。(本当に精神安定剤だった)

私は彼女はとても強い女性だと思います。誰よりも早く整形というジャンルでチャンネルを設立し、自分の意見をしっかりと持っています。彼女が「本当は必要のない麻酔だし手術だけど、私にとっては(整形は)必要でそれをしなければ生きていけなかった」と言っている動画があってそれを見たときは私ももらい泣きしてしまいました。彼女はダウンタイムの経過の痛々しい様子の動画もアップしています。私はそんな風に整形を繰り返す彼女を見て美しいなと怒られてしまう表現かもしれないけどそう思ってしまいました。可愛くなりたい、そう思い実現しようとする姿って美しいんだなって誰かの心を打つんだなって思いました。そしてそんな人の一人に私も当てはまるんではないかと最近思いました。思い上がるなよって思うかもしれないですけど、他人が努力する姿を美しいを思い、その姿に自分を重ねてやっとこさ整形した自分を受け入れ認められるようになりました。(まだまだ暗い気持ちや悲しい気持ちに襲われてしまう事のほうが多いですけどね…)

整形をし顔が若干変わった私は世間的な基準から見ても主観で見ても可愛いと褒められる容姿にはなれませんでした。心も昔のトラウマに支配されているし、自分を完全に好きになることができませんでした。しかし、この顔になるまで努力し、行動した自分は好きだと思えます。そしてもっと自分のことを認められたらいいなと思います。私は今生きていたいです。




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