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キュビズム展-好きな作品たち-

 上野公園にある国立西洋美術館で開催している「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を見た。パリにあるポンピドゥー・センターから借りた絵画と国立西洋美術館所蔵の作品から、キュビズムを辿るという展示だ。

 じっくり見ると90分以上かかりそうだが、時間がなかったので40分程で見た。展示は14の章に分かれていて、章ごとにボードで説明がされているが、そこで読んだ内容のほとんどはもう頭から消えている。

 なので、この文章はなんとなく思ったことの覚えがきとなります。

ポール・ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》

 入り口の近くにあった絵。たしかゴーガン。西洋美術館所蔵で、これは前々回の企画展「憧憬の地ブルターニュ展」のポスターにもなっていた作品。海を見下ろすかのような景色の色彩が好きだ。

 入り口付近はキュビズムの導入になっている。キュビズムに影響を与えたものとして、まずセザンヌ、ゴーギャン、ルソーの絵が、その次にヨーロッパではないとこ(←こういう雑なカテゴリーよくないですね…覚えてる限りコンゴ共和国のものがありました)の呪物(オブジェ、儀式に使用)など、いわゆるプリミティブとされたものが数展展示されていた。

 ピカソの絵にこうした呪物に似ている、鋭利なラグビーボールのような輪郭の女性の絵があり、ピカソがこうしたオブジェに影響されていたことに納得した。あと、ルソーの絵は私があんまり見たことないからか新鮮に感じられた。

誰の作品か忘れた

 国立西洋美術館の企画展では、ピカソやブラックは割と見る。なので興味の基準が見たことある雰囲気の絵かどうか…になってきてしまってはいる。そんななかこれは美しいと思って足をとめた。誰の絵かは忘れた。

 金の額縁の内側の白い枠がいい。白い枠はマットでかつ、ざらざらして木綿豆腐のような質感だ。そのなかにはまっている、四角い板に塗られた油絵の具のつやとのコントラストが美しい。白い枠は明るい色なのだが、あまり主張せず、落ち着いている。この質感はどうやってできているんだろう…キャンバス裏地に下地でもないような、麻キャンに下地でもなさそうで、わからない。あと。白枠とそこにはまっている板とのすきまにできる溝の影のライン、板のまわりの塗り残しの木の色も好みだ。

 そして全体の色と面、質感のバランスがよく、部分的な美しさがひとつの画面全体の美しさとなっていた。だからこそ、額縁が余計な要素に思える。

 キュビズム展ではこの絵のように、パネルやキャンバスの周りに木枠などがついている作品がいくつかある。それは作者がそれがいいと思ってした、作品としての処理であるはず。しかしこの展示ではそうした「作者の処理」の上からさらに額縁を重ねていて、いくつかの絵は額縁が作品の良さを失わせているように感じる。

 額縁は作品の構成要素になる。キュビズムにはあきらかな具象の絵と、よく見ないと具象とわからないような、オブジェクト的で一見抽象に見えるギリ具象の絵がある。とくに後者のギリ具象の絵だと、額縁のもたらす影響がかなり強い。

 例えばこの絵では、中央の黄土色の太いラインにも見える長方形と、額縁の色が対応している。額縁の選び方として、絵の色と対応させるのは適切なのかもしれない。しかしそのせいで、黄土色の長方形が黄土色の枠の中の長方形のように見える。(一という漢字を四角く囲めば日という漢字になる、というのと同じ理屈)額縁がないこの絵の本来の姿では、黄土色の長方形は白い灰色の画面の中で唯一黄色味を持った縦長のオブジェクトとして強い存在感をはなっていたかもしれない。

 このように、形や色がもつ存在感を額縁は変えてしまう。額縁がない状態を見てみたいし、自分の感覚ではおそらく額縁はない方がいい。

ジャック・ヴィヨン《行進する兵士たち》

これも初見で綺麗だと思った。ぱっとみた印象はガラスの破片がきらめいている感じだ。抽象を描こう、として描いたらこうはならないんだろうな。タイトルを見ると、兵士たちが右から左へと移動しているように見えてくる。行進する兵士たちは当然、みな前を向き、同じ動きをするだろう。そのような同一の動きをする複数の兵士を描いたことが、結果的に線や面が連続するような絵になっているように思う。

フランティシェク・クプカ《色面の構成》

 《行進する兵士たち》のとなりにも、連続って感じの絵が展示されていた。フランティシェク・クプカの《色面の構成》だ。《行進する兵士たち》が複数の兵士の絵なのに対し、《色面の構成》は単数ーひとりの女性が描かれていて、物体が連続している絵ではない。

 この絵からは物体の連続ではなく、ひとつの物体の動きの連続を見出すことができる。女性の左腕(こちらからみて右)が、4本の角度をずらした曲がった直線で表現されている。

 さらに、その腕に当たる光はさまざまな色をしている。人物を描いたことがある人なら分かるはずだが、人物は動く。どんなに体を止めようと意識しても、呼吸をするだけでお腹や肩が絶対に動く。そしてその動きに合わせて体に当たる、光と影も動くのだ。人物を描こうとするとき、描く側は人体の形、光と影のここだ!という瞬間を捉え、絵画という動かない平面に固定してしまう。しかしこの絵は、先ほど女性に当たった光、いま女性に当たった光…のように、女性の動き、時間で変化する光のさまざまな色が絵に写し取っている。それはまるで流れるような、映像を見た気分にさせる画像だ。

 《色面の構成》のとなりにもクプカの作品が展示されていた。それはおそらく具体的なモチーフのない抽象絵画だが、そちらもなんだか動きや時間を感じさせるような映像的な絵だった。

マルク・シャガール《キュビズムの風景》

 これを見たときの記憶がもうすでにない。なにかしらいいなーと思うところがあったんだろう。なにも覚えてない。でも今こうして写真をみてもいいなあとは思います。

キュビズム展についての覚えがきはこれで以上です。キュビズムと聞くと真っ先にアビニヨンの娘たちやブラックの黒茶色グレーの絵などを浮かべていたが、全然それだけじゃなくて幅が広かった。今回みたいになんとなく見るだけでかなり楽しめたので、とりあえず行ってみるのもありだと思う。

・余談 駆け足で常設も見た

 このあと駆け足で常設展もみた。早歩きだった。ドライブで景色眺めるくらいのスピード感で、絵たちの前を通り過ぎていった。

 常設展では、2階の奥に版画展示室があり、小さな企画展のような展示が行われている。今回は「もうひとつの19世紀―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち」という展示がやっていた。しかし早歩き鑑賞なのでキャプションはまったく見てない…

ラファエル・コラン 右《詩》左《楽》

 高校生の頃独立展か二科展で、このような白く淡く光る、女性が描かれた絵をみたことがあったからだろうか。(その作者はコランのこの絵に学んで描いていたんじゃないかというくらい、全体の印象が似ている。)光を感じる絵画が好きだからだろうか。このふたつの絵の前で足がとまった。四角い画面全体が光っていて、窓から室内へ光が入ってくるようで綺麗だった。白い絵の具の筆致も綺麗。

・最後に

特に締めの言葉はないですが、とても楽しかった。割と早足鑑賞もいいということがわかった。絵はじっくり見ればいいというもんでもないのかもしれない。自分の鑑賞スタイルを少し変えるだけで、いつもと違う体験が得られると思います。

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