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松本山雅の皆さんのおかげで旅とサッカーのマガジンが誕生した話。


ちょうど松本山雅サポーターの方とのやりとりが続いていて、あの頃のことを懐かしく思いました。

そんな背景から、ぼくが書いたnote記事『松本山雅と出会った日』と、旅とサッカーを紡ぐOWL magazineの関係性について書いていこうと思います。

どこかで書いたことがあるとは思うのですが、いつどこで書いたかはまったく覚えていません。ぼくの場合「どこかで書いたこと」はあんまり忘れないのですが、「どこに書いたか」「いつ書いたのか」はまず覚えていません。

何のかんのでnote記事も400以上になっています。ブログもそれ以上に書いていると思います。多分ライターになると宣言して大学院をやめて以降、2000記事くらい書いていると思います。平均30分くらいのPodcastも200回くらいやりました。なのでどこに何があるか……。

最近はあまり注目をされない裏方&タクシーのおじさんとして活動しているのですが、Podcastをしている頃は活動を豆に追ってくれている方もありがたいことに多かったようで「本人より詳しい方」とか「ぼくが途中で投げ出した企画に異様に詳しい方」などに出会うこともありました。

実は「投げだし企画」には理由があって、リアクションがあまりなかったものについては損切りしちゃうことも多いんですよね。ある程度続けてみないとわからないとはいいつつも、一発目で感触が薄めだとまぁいいかなという気になってしまいます。

そうやって色んなことを探りながら「ここぞ!」というところに全力を出すようにするわけです。

さておき、この松本へのサッカー旅記事については2回くらいは書いていると思います。そしたら、「その話知ってる!」という読者様もいらっしゃると思います。なので、そうはならないようにずらして書きます。

OWL magazineは有料記事ですが、今回は自分の記事の掲載日であることをすっかり忘れているという緊急事態が起きたので(スケジュールポンコツなので定期的に起きます)、全文無料にします。

OWL magazineという名前は、近い将来、松本の皆さんにとっても重大な意味を持つと思います!!

なので名前だけでも是非覚えて頂けると幸いです!!

あ、マガジンのフォローも是非!有料マガジンですが無料部分も多いので、是非覗いてみてください。あんまりあざとい誘導もしないようにしています(たまにやることはありますが)。


さて、『松本山雅と出会った日』ですが、実は極限状況で書きました。というのも、もうサッカーの記事を書くのは諦めようかなと思っていたところだったからです。

ぼくのキャリアは、2013年の10月に『Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった』というブログ記事が、2日で10万PV、累計すると推定25万PVくらいのバズになったことです。今はバズという言葉もあまり聞きませんが、当時はYahoo Buzzみたいなページもあって、よく使う言葉でした。

この記事から始まったJリーグ観戦行脚が書籍になり、サッカー本大賞2015を頂くというのがハイライトです。その間、ブラジルワールドカップにも1ヶ月間行きました。

ただ、ブラジルワールドカップで心身共に疲弊しきったことがあり、そのあたりから闇落ちしていきます。とはいえ、その時期に取り組んだPodcast『ハトトカ』は、表現の基礎力をつけることに大きく貢献してくれました。

ちなみにサッカー記事を書くと言い出したけど、出さずに逃亡したマツメイラス松田の話はこちらです。

あと、今治に行った後に旅記事の書き方について何か一人喋りしていますね。聞くのが怖いので内容は確認しませんが。

2018年に、ハリルホジッチの緊急解任事案を受けて、一時的に注目された時期もありました。ただ、この時はあくまでもサッカー戦術分析家である五百蔵容さんのサポートとしての仕事であったのと、ワールドカップ特需として仕事が出来ていただけであることもわかっていました。

ワールドカップ関係で日々炎上した頃でもありましたが(皆さん、ワールドカップは燃えるんです)、もうサッカー記事を書くのはこのへんが限界かなというのが見えてきたところでもありました。

戦術分析はぼくには出来ません。あまり興味が持てないから、「うまく書ける目」がありません。選手にインタビューするのもあまり好きではありません。人間として興味がある人の話は聞いてみたいですが、仕事のために興味のない人の話を聞いてまとめるのは、考えるだけでしんどいです。

ぼくは本気で興味があることしか書きたくないし、本気で好きな人からしか話を聞きたくありません。ぼくにとって記事を書くのは取材ではなく、旅であり、友達作りなのです。

こんな姿勢で仕事をしているので、お金にもならないし、出世もしませんがが、嘘を書く羽目になることは滅多にないので、幸福な物書き人生を送れています。

ただ、2018年あたりは、もうどうにもならないなという意識が強い時期でした。というのも2014年の6月に出した『サポーターをめぐる冒険』(ころから)の続編がどうしても書けずにいたからです。

朝日新聞にも取材してもらって、「ひと」欄にまで載せてもらって続編について言及したのに、どうしても書けず……。ちなみにこちらです。


朝日新聞2015年6月4日

問題、このスタジアムはどこでしょう!! ルヴァンカップ……じゃなくてナビスコカップでFC東京と試合した日ですね。

東京サポが「緑は大嫌い!」って歌って、ぶち切れられていた思い出があります。この時、山形村のそば処木鶏さんに立ち寄って、親子丼の美味しさにぶっとびました。何としてでも再訪したいお店の1つです。

検索したら木鶏さん、生そばの通販しているの!!!支援も兼ねて買います!!!お値段はそこそこするけど、その分期待感しかない!!送料高いけど見なかったことにする!

ただ、その楽しかった松本の旅も書く場所がなかったんですよね。サッカーダイジェストにも、エルゴラッソにも、footballista、フットボール批評にもサッカー旅記事を載せるところはありません。

でも、一番面白いのはサッカー旅記事なんですよ。普通のファン・サポーターはあんまり細かくて専門的なことを勉強する必要はありません。選手の名前すらうろ覚えでいいと思っています。大事なのは、サッカーをどうやった楽しむかです。

そして、書く場所がないからということで書籍化の企画を相談していて、いい記事が書ければ出せるというところまでは行ったのですが、いい記事が書けなかったんですよね。

今思うと、やりようはあったのかなという気はします。が、当時は思いつきませんでした。どうしても原稿が面白く出来ませんでした。いや、結構面白いと思うんですけどね。あと一歩何かが足りませんでした。

その書籍原稿には10万字くらいは書いたし、3回も4回も書き直しているので、膨大な時間を使っていました。取材費も全部自分で払っています。が、出せないものは出せない。いや、駄目だと言われたわけじゃなくて、ぼく自身がこれでは出版のクオリティに達しないと理解していたので、出版社さんに持って行けなかったんですよね。

今思うとまったくの実力不足です。単純に文章が下手くそでした。また、8000字以上の分量の記事を、魅力的なものとして仕上げていく能力もまだ身についていませんでした。そして、後はテーマなんですよね。

「サポーターの可視化」というテーマを掲げて戦ったのが『サポーターをめぐる冒険』であったのですが、続編はそういう軸がなかったんですよね。県民性には興味があったのですが、これはかなり難しいテーマです。具体的に言うと「自分のところ」は語れますが「よそ」はそう簡単には語れません。

というわけで、もう無理なので諦めますという連絡を入れたのがこの頃だったんじゃないかなと。いや、ログを遡って確認したところ、3年くらい塩漬けにしていて何も起こらないのでワールドカップで注目されている隙にウェブに公開しますという連絡をしていたらしいです。

ともあれ、そういう理由で公開されたのがこの記事『松本山雅と出会った日』です。そもそもどういう記事であったのかというと……。

<狙い>
・松本山雅との衝撃的な出会いを描く
・サポーターの力を世間に伝える
・サポーター目線で訪れるサッカー旅の魅力を描く

<書籍企画の中での位置付け>
・終盤で訪れる一番の山場
・一番自信を持って書けた記事
・著者として一番価値が高いと感じている記事

ちなみに幻となった書籍企画の序盤の山場はこちらです。

中盤がこちら。


この時は、旅とサッカーのマガジンを作るというアイデアは浮かんでいなかったのですが、ぼくが書きたいのは「Jリーグを中心としたスポーツツーリズム」なので、単著として出すには内容が薄いというのは嫌というほどわからされていました。

スポーツツーリズムの紀行文は、有名作家のものがいくつかあるだけで、本格的なものはまだ出ていません。まだジャンルとして確立していないのかなと思います。

でも、ぼくが書きたいのはこれです。戦術分析でもないし、中村憲剛の分析でもなく、有名サポーターのインタビューでもありません。サッカーのおかげで色んな面白い人に出会えたり、美味しいものを食べられたりするのが幸せでしょうがないので、それが書きたいのです。

だけど……。本は厳しい……。であれば、ウェブに書いていくしかない。そう考え始めていました。

そして、1つの観測気球として『松本山雅と出会った日』をウェブに公開しました。とはいっても、手元にあるのは書籍用の原稿なのでウェブ用に書き直す必要があります。

ウェブ記事と書籍記事は随分と書き方が違うからです。これについては、松本へと向かう「あずさ」の中で書き上げようと決めていました。なんでそんなことをしたのか覚えていないのですが、そうやって追い込まないと完成させられないと思ったのかもしれません。

そんな風に作っているので、この記事は未完成で久々に読み返したら「※写真を後で探す」とか書いてありますね……。まぁでも、それが当時の精一杯でした。

この記事を書いた結果、そこそこの反響がありました。でも、あくまでもそこそこです。現在では、17000PVまでいっていましたが、初動は5000PVくらいでした。無料公開の記事がこの数字では商売としては終わっています。

だけど、この記事を書いたことで、松本サポーターの皆さんを中心に反響を頂きました。このツイートにいくつかぶらさがっています。そういえば緑の天使さんとはこの時「1秒だけすれ違った」あと、一度も会ってませんね。人生でも数少ない1秒だけ会ったことがある人です。


そして、1件ですがサポートも頂きました。

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額面は覚えていないのですが、この方から頂いたメッセージも心に残りました。記事が売れるということは、とっても嬉しいことなんです。みんな少しでも多くの人に読んで欲しいという理由で「無料公開」をしたがります。しかし、本当にありがたいのは有料記事を買ってもらえることなのです。

課金という行為にはクリエイターを励まし、人生を賭けて仕事として取り組んでいこうという情熱を与えてくれる効果があります。

この記事が誰にも注目されないとか、ネガティブなコメントばかりがついているようなことがあったら、ぼくはもうサッカーの記事を書いていないかもしれません。



ちなみにこの日は松本城からアルウィンまで歩いて瀕死になりました。



松本の自然に癒やされ、美味しいものを食べて、お風呂も入った。この時はこちら。


そして……。



この旅を終えるときには、OWL magazineのアイデアが生まれていました。まだ自分一人で書く事を想定していたと思います。今のようにみんなで書いていくスタイルは考えていませんでした。

物書きはあんまりチームを組まないのです。

しかし、OWL magazineを始めてみてわかりました。


サポーターは一人では完成しないということを。


色んなサポーターがいるから面白いんです。いや、サポーターである必要もない。「自分なり」にサッカー観戦を楽しんでいるひとが集まって、その「自分なり」を語れば面白いものになっていくのです。

ただ、ぼくには1つのこだわりがありました。あまり低レベルな文章は出したくなかったのです。なので、OWL magazineでは「書籍記事に出来るレベルのクオリティ」を求めました。

そして、その果実として……。

OWL magazineのやってきたことを書籍にする時が訪れようとしています。松本についての本も必ず作ります。いつなのかと問われると名言は出来ないのですが、1年以内。遅くとも2年以内には出版します。

松本のことばかり書くと長野のサポーターが拗ねてしまうのでそっちもちゃんと書きます。松本、伊那、佐久、善光寺の4つの平が揃ってこそ信州です。

というわけで本を作ります。

どこの出版社からかって?

それはぼくが作る出版社です。社長として、著者として、編集者として、ぼくの愛するサッカーのある日常を描きます。大好きなサッカー仲間のことを歴史に残していきます。

是非、中村慎太郎とOWL magazineの挑戦を応援してください。よろしくお願いします。


おまけ

<松本山雅に出会った日のツイート>



<また行った時>



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