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JOKER[絶望という名のエンターテイメント?]

特に何不自由なく育ち、仕事でシンドイ思いをした事もあったけど、
なんだかんだで“普通”にサラリーマンとして生きている自分には“共感”はかなりしづらい作品だ。

トランプ≒ジョーカー?でもトランプはトーマス・ウェイン側の人間か。
ある意味、当事者側でない人間が煽動するというのは、もっとヤバイことなのかもしれない。

自分が抑鬱、抑圧された状態だったらどういう風に作品を見ただろうか?
自分は最悪、最低の状態ではない。

「人生死んでしまいたいときには下を見ろ!俺がいる」(村西とおる監督)
http://salitote.jp/people/interview006-1.html

と言わんばかりに相対的に自分は「まだマシ」だと思って救済されるのか?
あるいは国家とか会社とかに怒りを爆発させるだろうか? 
 
そんな事を色々考えながらエンドロールを見終わった後に出口に向かいながら
ふと客席を見ると、
小人症の方が座っているのが見えた。
その方を見た瞬間、私の感情と涙腺は崩壊してしまいました。

彼は果たしてこの作品をエンタメとして見れたのか?楽しめたのだろうか?
どういう感想を持ったのだろうか。バットマンシリーズ好きなのかな?
めちゃくちゃ色々聞いてみたい。でもそんなこと出来る訳ない。
そんな事を考えながら暫くトイレに籠もってしまいました。
何となく“彼”に申し訳ないような感情を持ったこと自体が潜在的に“エゴ”であり“差別”し、見下してしまっている自分がいたのだと思う。

賛否はあるだろうけど、差別、抑圧などはグレイテストショーマンの様にポジティブなエンタメに昇華するカタチが望ましいが、実際のところ、相当に強い人じゃないと中々難しいか。 

「善か悪か」「リッチか貧困か」「幸福か不幸か」「生か死か」
こういう二元論をそろそろ止めないといけない時代感なんだろう。

JOKERだけではない。
割と満たされている自分みたいな人間から持っている“モノ”を一つずつ
取り上げていったら、誰でも“JOKER”に成り得るのではないか?

“想像力”が今の我々には必要だ。
“無敵の人”≒JOKERを私たち社会は作ってはいけない。
https://dic.nicovideo.jp/a/無敵の人

そんな感想でした。

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