"Baby we are born to run"
真面目に自分の良くないところを必死に直そうとしたり、心が痛くなる原因を必死に探るのは、よりよい自分になりたいため。
よりより心持ちでいたいため。
でも.......
良くなくても、心が痛くても、そのままでいいんだって教えてもらった。
Blinded by the light.
「良いもの」、「よりよい自分」っていう青い鳥に目を奪われていた。
光に目のくらんだ(Blinded)私も受け入れてあげる。
そうやって努力してきたから、今の仕事、人との接し方、努力の大切さを知る私につながっている。
全ての出来事が、「私」という河を流れて、「私」の心を豊かにする。
「いい」、「悪い」じゃない。それは、全てが私。
Write your own story, but don't forget us.
「私」は、物語を、わたしの完璧でより良い物語を書きたかったし、生きたかった。
でも心の中で、いろんな「私」が叫んでいた。「忘れないで」って。
光に目がくらんでいた「私」だからこそ、今の「私」がいる。
光に目がくらんでいたことを知ったからこそ、自分の短所が魅力だって知れた。
頑張りきれなくても、十分じゃなくても、社会的に女性として足りなくても、それが「私」だ。
全部全部全部、わたし。絶対忘れたくない。そのままの「私」を。
「不幸」と私が認識するその源泉は、私の心が作ったもの。
更に言えば、私の心を助けるために、ソフィアが導いた心持ち。
全部そのままでいい。
こんな短期間で、沢山の真実に出会った。
真実に出会えたのは、より良い自分を目指していたから。求めていたから。
だから、真面目で努力家の「私」も素敵なんだ。
キリスト教徒ではないのに、昔より、ずっと聖書の言葉の意味が実感できる。
"For God has not given us the spirit of fear, but of love, and of power and of sound mind"
恐れではなく、愛と力と慎みを。それは、この社会で生きる「私」の心の糧。
何て恵まれているんだろう。悩んだからこそ、今の「私」はこの言葉の意味が分かる。
真面目に自分をよりよくしようと葛藤する「私」も、別にいいやって受け入れた「私」も皆好きだ。
毎日、振り回されたり、心静かに向き合ったりしながら、ここに帰ってくる。
「私」というありのままの場所。言葉の海。
こういう心だったから、物語や音楽の意味が心に染みる。感謝だ。
友達は少なくても、二村さんも、雨宮さんも、森岡さんも、ニーチェさんも、皆、心に響くように語り掛けてくれる。
本を通して、心が助けられている。
これが、幸せっていう意味だと思う。
「誰かから見られて」水準の幸せは、本物じゃないこと。
それを自覚することが、自分を信じるっていうこと。
ほら、自分で見つけた本質だから、演じなくても、真っすぐに言葉にできる。
声だって震えない。
でも、震えてもいい、演じてもいい。
全部ひっくるめて、「私」を統合していくから。
Man is born broken, he lives by mending. Grace of God is glue. (人はバラバラで生まれ、生きることでそれを繋ぎ合わせる。神の恵みは糊だ- Eugene O'Neil)
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