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書くことで救われる人

 久しぶりに帰省したら、なんだか祖母が少しこれまでと違って見えた。
 端的に言うと、優しく丸く、どこか弱々しくなったような気がしたのだ。

 それじゃあ今までの祖母のイメージはどんなだったかというと、
 派手で明るく、いつもおしゃれで物怖じしない笑顔の多い人という印象だった。

 昔から祖父母の家の居間には、壁に大きな写真が飾られてあった。
 蔵王のお釜を背景に撮影された若かりし頃の祖父と祖母のその白黒写真は、いかにも昭和という感じで、私は子供の頃からそれを眺めるのが大好きだった。
 私の母はよく「若い頃はモテモテだったらしいよ」と言って、写真に映る祖母を指差した。
 
 まだ少女のような幼さの残る快活な笑みを浮かべたかつての祖母は、孫の贔屓目なしに見ても、ショートカットにワンピースがよく似合う可愛い人だった。

 祖母はよく祖父との馴れ初めを話してくれた。
 当時には珍しい、エレベーターのついた立派な会社に勤め、社内恋愛の末に結婚したらしい。
 先述の通り非常にキュートでモテにモテた祖母だが、社内で唯一祖父だけは食事に誘ってこなかったという。

 最初こそ「なんで私を誘わないの、この人」と不思議に思っていた祖母だが、ボーナスの時期になった途端、祖父は祖母への猛烈なアタックをはじめた。
 「ただ単に、お金がなかっただけなの。分かりやすくて可愛いわ」と祖母は今でも昨日のことのように笑う。

 しかし、当時好きな人がいた祖母は無慈悲にも「私、〇〇さんが好きなの」と一蹴したらしい。
 祖父は、高身長で肩もしっかり張っていてとてもスタイルがいいのだが、面食いな祖母の御眼鏡に適うビジュアルを持ち合わせていなかった。(私は祖父の顔が好きだけれど)
 そんな祖父は、祖母に向かって無表情でこう言ったそうだ。「ふーん、じゃ、明日○○時に集合ね」と。
 
 「全然めげないの!あんまりにもめげないから、根負けしたわ」そう言って嬉しそうに笑う祖母と、どこぞのトレンディドラマだよとツッコミたくなる馴れ初め話が好きだった。

 ある意味小悪魔的な魅力があるのだろう、祖父は未だに祖母にデレデレだ。(多分、祖母と母と私が崖から落ちそうになっていたら真っ先に祖母を助けると思う)

 40代で孫が生まれた祖母は、孫を連れているとよく母親に間違えられた。彼女自身も「おばあちゃん」と呼ばれるのが嫌で、孫には「マミー」という呼び方を定着させた。
 その言葉通り祖母はいつもおしゃれで若々しくて、化粧もヘアスタイルもばっちりキマっていた。今年で76になるけれど相変わらずスマホをバリバリ使いこなし、ラインではかわいいスタンプを送ってくれる。

 祖母と私はどちらも蠍座のO型なのだが、祖母はいつもそれを嬉しそうに皆に話した。
 「私たちO型は、対応型なのよね」「蠍座はおしゃれに敏感だもんね」「きっと〇〇(私の名前)の知的なところは私に似たのね」
 そんな祖母の言葉は嬉しくて、少しくすぐったかった。

 祖母には「おばあちゃん」のイメージがあまりなかったし、宮城弁で言うところの「もぞこく」ないところが好きだった。

 私の恋人は私の祖母のことをこう言った。
 「自分の世界観があって、一言喋るだけで相手を自分の世界に引き込む人」
 最初はいまいちピンと来なくて首をひねったのだけれど、確かに考えれば考えるほど、なるほどそうかもしれないぞと少しずつ思い始めた。

 「おばあちゃんらしくない」祖母だけれど、それこそそもそも家族故の発想だ。私は家族としてじゃなく一人の人間として祖母のことをきちんと見つめたことはあっただろうか。
 祖母は確かに、派手でおしゃれな可愛い女性だけれど、いつも元気で気丈なわけはないし本当の内側の部分はそこまで単純ではない。

 いつか母が見せてくれた数枚の紙を思い出す。そこには薄く鉛筆でいくつかの俳句が綴られてあった。
 それは、祖母が曾祖母の介護をしている時に書かれたものだった。
 当時の私は「ふうん、綺麗な俳句だねえ」と言いつつ、心のどこかで祖母があれほど繊細な言葉を使うことに驚いていた。そもそも俳句を詠むこと自体、意外だった。
 その俳句には、それまで感じていた祖母の強さはなく、壊れそうなほど柔らかく繊細な弱さを感じた。

 祖母は私の書いた文章が好きで、こういった随筆を見せると「素敵だ」と褒めてくれる。
 先日もある文章を祖母に見せたところ、いたく気に入って絶賛してくれた。

 その数日後、彼女からこんなメッセージが届いた。
 「あの文章、ときどき読んでいます 私の稚拙な言葉では、感情を伝えられなくて、ちょっと苛立ち、かなしくなります。そしてそのまま○○(私の名前)に想いを馳せています」

 この文章を読んだ瞬間、私は目頭がカッと熱くなって何故だか奥から涙が込み上げてきた。
 私の文章を読んで、そんな風に思ってくれていたことが嬉しかったし、それ以上に「ちょっと苛立ち、かなしくなります」という表現に心が焼き尽くされるような気持ちになった。

 何故、こんな気持ちになったのだろう。いや、だって、祖母がまさかこんな言葉の表現をするとは思っていなかったから。
 だって、この言葉は、心に押し込められた思いを言葉に代えたいと心から願った人じゃないと使えないものだから。

 あの、曾祖母の介護中に残された俳句を思い出す。そうだ、そうか……祖母も、そうなんだ。私と同じだ。きっと、心のうちを言葉に代えることで、書くことで救われてきた人なんだ。
 でなきゃ、あんな真っ直ぐで、年季の入った傷だらけの美しい言葉は選べないはずだ。
 私はこのメッセージに、私の知らなかった祖母の一面が凝縮されているような気がした。

 帰省時に感じた祖母の変化は、実は私の変化だったのかもしれない。
 祖母が優しく、繊細な心を持っていたことはきっと昔から変わっていないのだろう。
 しかし、ある意味では歳を重ねたからこそ、そういった部分を他人に見せることにあまり抵抗がなくなったのかもしれない。

 結局のところ、祖母という一人の人間についてはこんな数千字の文章では言い表せないし、それでいいと思った。
 だからこそ人間は面白く、人との関わりは生涯答えが見つからないのかもしれない。

 だって、美しく繊細な言葉を吐く彼女と「最近は横浜流星が好き」と笑う彼女は同じ一人の人間だし、私がこれまで見てきた派手でおしゃれで可憐な彼女も間違いではないのだから。




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