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「勇気をもらえる」って何ですか?

 スポーツ選手の方などがよく言う、「国民の皆様に勇気を与えられるように……」という言葉が理解できなくて、なんならあまり好きではなかった。
 それはもちろんスポーツ選手が悪いのではなく、むしろ国民の傲慢さを感じて、すこし恥ずかしかった。
 国民の勇気の為なんかじゃなくて、自分と自分の大切な人の為だけに頑張るって言っていいんだよ!その方がいいよ!と一人憤慨するわたしを横目に、「またはじまったよ」という顔で呆れ笑いをする母。
 よく分からない角度のひねくれ方をする娘には慣れているらしい。

 そもそもわたしは、「他人を見て勇気が出る」こと自体、理解できなかったのだ。


 去年からずっと、夫は大谷翔平選手にご執心だ。
 その前から活躍は追っていたのかもしれない。けれど昨年の彼の成績はきっとわたしの夫だけでなく、日本中、いや世界中の人々を夢中にさせるのに十分すぎるほど華々しいものだった。

 恥ずかしながら、わたしは夫が説明してくれるまで野球の知識が全くなかったので(今もあまりない)、MLB(メジャーリーグベースボール)というものがオフシーズンを除き、ほぼ毎日のように試合をしていることを知って驚いた。

 試合は、生中継で色々な番組を通して放送されている。大勢の人の期待や重圧を背負って戦う心地はわたしには到底理解できない。本人にしか分からないのだろう。

 夫は大谷選手のプレーを見て、一喜一憂する。
 彼がホームランを打つと夫は自分のことのように喜ぶし、彼が奮わない時はすこぶる落ち込む。
 その思いはだんだんと進化しつつあり、最近では占いで大谷選手のことを調べて自分と比較したり、全く関係のない日常会話の中にも「大谷」というワードがことあるごとに飛び出すほどだ。

「大谷だったら〜」「大谷と比べると……」など、彼の名前を口にするだけで機嫌の良い夫のそれは、もはや恋に似た感覚なのかもしれない。
 その姿は生き生きしていて、他人事なのになんだか楽しそうで、すこし羨ましくなるくらいだ。

「大谷が頑張ってると、自分も仕事を頑張ろうって思えるんだ」と言う夫に、なるほど、そういうもんかね、と思うものの、きっとそれはいいことなんだろうなと感心した。



 話は変わって、先日実家に帰省した際に、祖父母、父母、わたしの5人で食事に出かけた。
 家からそれなりに近いものの、敷居の高そうな外観ゆえか、これまで利用したことはなかったお店だ。
 父と母が友人に紹介されたことをきっかけに、最近通いはじめるようになったらしい。
 数少ないわたしの帰省中に「〇〇(わたしの名前)と一緒にごはんを食べたいな」と言ってくれた祖父母に、「それならここはどうかな」と母が提案してくれたのだ。

 お寿司屋さんの看板を背負ってはいるが、焼き魚や旬のものなんかも揃った、感じのいい料理屋さんだ。街に馴染み、近隣住民に長く愛されてきたのだろう。
 季節のおすすめには、そそられる料理名がずらっと並び、ついつい注文しすぎてしまった。

 食べるとやはりどれもが“きちんと”美味しい。美味しくて、一番を決めるのが難しいほどだ。
 何を頼んでも主役級に美味しいお店は何気に重宝するので、もっとはやくこのお店と出会いたかったなどとすこし悔いた。

 厨房は、大将と奥さん、そして息子さんにあたる若大将の三人で切り盛りしている。
 これがまた、みなさんとても感じの良い方で、適度な距離感とぬくもりのある接客が心地良い。
 驚いたのは、大将の年齢だ。
 現役で厨房に立ち、これほどまでに美味しい料理を作る大将は今年で80になるらしい。
 それに最も反応したのは祖父である。彼もまた、今年で80を迎えていた。へえ、と感嘆の声をあげ、「じゃあ同級生だ!」と目を丸くして喜んでいた。

 祖父はわたしといる時は大体いつも機嫌が良く、笑顔を絶やさない人なのだが、その日は特に上機嫌だった。
 美味しい料理を食べてご満悦、だけではなさそうだ。
 そう、祖父は大将の年齢を聞いた時からずっとこの調子なのだ。
「そうか、そうか、俺と同じ歳かあ……」と、感心するように頷きながら、嬉しそうにしみじみと思いふけっていた。
 それは、お店を出て家に帰ってもしばらく続き、祖父にとって余程嬉しかったのだと思った。

 ずいぶん嬉しそうだねえ、と声をかける母に、祖父は「いやあ、なんかさ、勇気もらえたよ。大将を見て、俺も頑張ろうって思えた」と答える。

 その言葉には聞き覚えがあった。
 そうだ、夫が大谷選手を思い、こぼしていた言葉だ。

 そういえば、大谷選手と夫も年齢が近かったっけ、こういう感覚は相手が身近だからとか、有名人だからとかは関係ないのかもしれないなあ、なんてことをぼんやり思った。



 今年の3月、仲の良い友人が個展を開催していた。
 大学時代から交流の続いている友人。昨年は一緒に作品を作ったこともあって、共に過ごした時間が特に長かったように思う。
 高校生の頃から、街や人を思い、絵筆を握りつづける強くてうつくしい人だ。
 日々変化する人生の中で、それでも大切なものを大切にしつづける姿は、友人ながら学ぶことが多い。

 去年は色々な事情が重なって会場に行くことが叶わなかったので、今年こそは絶対に見に行くんだ!と、意気込みながら会場に向かった。
 普段よく会う友人だけれど、会場での彼女は友人ではなく、一人の作家だ。
 どんな風に話そうか、それよりも元気かな、などと思いを巡らせ、どきどきとはやる胸をなだめながらわざとゆっくり歩いた。
 けれど、遠くに彼女の姿が見えると、やはりすこし小走りになってしまう。

 抜けるような清々しい雰囲気の漂うエントランスホールに、彼女の作品の数々が飾られていた。
 瞬間、心に優しい風が吹いたような感覚におそわれる。おそわれると言っても、心地が良いその感覚に、ずっと身を預けていたい気持ちになった。
 彼女の絵は、自然の光やゆらめきを捉えるのが巧みだ。
 わたしはこの作品たちに、ずっと会いたかったんだなあ、ようやく会えたね、自然とそう思った。

 しばらく作品を眺めたり、彼女と話したりして、会場を後にした。
 彼女はこの先も描くことをやめないだろう。そんな彼女のひたむきなパワーを全身で感じることができて、わたしは言いしれない高揚感を抱いた。

 帰り道の車内で、なめらかに光を纏ったうつくしい色の海を眺めた。
 わたしが今現在思い悩んでいることや、足踏みしていることがなんだかちっぽけなことのように思えた。
 そうして、彼女のこれまでとこれからを思い、胸にあたたかな火が灯ったような、追い風に背中を撫でられるような、そんな感覚を覚えた。
 
 これを言葉にすると、なんと言うのか、わたしはもう知っている。
 そう、あえて言葉にしたくないような気がするほど、わたしは彼女の姿に勇気をもらえたのだ。

 ああそうだ、きっと夫も、祖父も、こういう気持ちだったのかもしれない。


 これまで、「他人を見て勇気をもらえる」ことが理解できなかった。
 自分は自分だし、相手は相手だから。

 今でもそれは変わらないし、やはり「誰かに勇気を与える為じゃなく、自分と自分の大切な人の為に頑張れ」とは思うのだけれど、それを応援する人々の気持ちは分かる気がする。

 このきらきらした気持ちを、心の大切な部分にそっと仕舞って、たまに取り出しては自分を奮い立たせることそれ自体は、傲慢ではなく、ある種祈りのようなものなのかもしれない。



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