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友よ、さあ


エレファントカシマシの「俺たちの明日」が大好きだ。
この曲を知ったのは小学生くらいで、何かのCMだったかな。なんだか耳に残るメロディーだな、力強くてかっこいい。さあがんばろうぜ。子供の頃の印象はそんな感じ。

20代も半ばになって、色んなことが思うようにいかなくなった。
10代の頃に想像していた自分と全く違う自分がいて、恥ずかしくて逃げたくなった。事実、逃げた。たまに戦ったり、それで隠れたりした。
心と身体と頭の中は全部バラバラで、わたしはこれまで自分が思うよりもずっと他人の痛みに鈍感だったことに気づいた。

そういう時に「俺たちの明日」を改めて聴いた。
わたしの10代は歌詞のように憎しみと愛入り混じった目で世間を罵るほどではなかったけれど、それなりに自分を過信していたし、少しだけ無敵だったし、世界は変えられるし、未来は希望だらけだった。
でも、20代で悲しみを知って目を背けたくって、町を彷徨い歩く。これは紛れもない事実となっていた。

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心を壊してから、色々な友人が心配してくれていた。
わたしは自分を恥じる以前に、友人と話すのが大好きだったから会うのをやめなかった。
それが結果として救いになっていた。
10代の頃に青春を共にした友人は今では皆わたしと違う道を歩んでいる。
でも皆、生き生きしていて幸せそうに見えた。それはわたしが自分を卑下しているからかもしれないけれど、そうやって友人が幸せでいてくれることはわたしの希望だった。
なんだか答え合わせみたいだと思った。

今年の春、友人の赤ちゃんが生まれた。
待望の赤ちゃん。わたしは嬉しくて嬉しくて、自分のことのように感動して、何を感化されたのか知らないが、その頃はライン漫画の履歴が出産エッセイ系ばかりになった。

このご時世のおかげで、病院へかけつけることはできなかった。
それでも日々送られてくる赤ちゃんの近況に、わたしの胸は踊り、その赤ちゃんのことを考えている時だけ自分は優しい人間になれていると錯覚するほどだった。

数ヶ月後、ついに満を辞して彼女に会いに行った。
柔らかな雰囲気と、周りに小花が咲き誇るかのような彼女の笑顔は相変わらずだった。
小さな彼女が小さな赤ちゃんを抱いている。
改札でにこにこと手を振る彼女に、感極まった。

彼女と出会ったのは、小学6年生の頃で、それからエスカレーター制の中学と高校が一緒だった。
実はクラスは一度しか同じになったことはないのだが、ずぼらなわたしに愛想をつかさず、まめな彼女が連絡を取り続けてくれていたことが幸いし、関係が絶たれることなく今でもこうして、年に何回か会っている。
付き合いはもう十数年ほど。
「親友」という言葉を何の嫌味もなく真っ直ぐに使ってくれる彼女が大好きで、それでもわたしは未だに照れ臭くてなかなか直接本人には「親友」と返せないことも多い。ごめんなさい。照れです。


柔らかい茶色の髪も、よく手入れされたキラキラの爪も、質の良さそうなカーディガンにぱっちりとした黒い目も、以前に会った時から何も変わらなくて、それどころか可愛らしさというか、女神感というか、言うなれば聖母感のようなものが一層増しているような気がした。
それは彼女の努力の上に成り立っているものだろうということは容易に想像がつくが、そういう努力を楽しくやってみせるところが彼女の魅力だ。

一つだけ変わった部分があったとすればそれは彼女の細い腕だった。
赤ちゃんを抱く腕は、細いのになんだか力強くて、働き者の腕だった。ああ、今の彼女の腕はもうわたしと一緒に登校しながら自転車を押すためでも、長話の電話をするためでもない、この清らかで尊い命を抱くためにあるのかと思ってしまうほどに、可愛らしい彼女の腕は、美しかった。


「俺たちの明日」の歌詞の「10代…、20代…、」には続きがある。
悲しみを知った20代の果てには何があるのだろう。それは、こう続く。

「30代 愛する人のためのこの命だってことに あぁ 気付いたな」

わたしの大好きな友人は、20代にしてきっと愛する人のためのこの命だってことに気づいたのだなぁ。
彼女の腕の中で心地良さそうに眠る赤ちゃんを見てそう思った。

己の弱さや汚い部分を見せない彼女を心からかっこいいと思うし、尊敬する。
でも、少しでも、ほんの一ミリでも誰かに何か脆い部分を見せたくなった時はわたしにぶつけてほしいな。そして、この気持ちがわたしのエゴじゃなければいいなぁと思った。

「俺たちの明日」の歌詞を見ると皆気づくことだが、これは友に向けたメッセージだ。
そして、自分を勇気づけるためのかけ声でもある。
わたしは、この曲が何故これほどまでに好きなのか、今なら分かる。
この歌詞にある「がんばろうぜ!」は、「頑張れ」ではないのだ。
“一緒に”「がんばろうぜ!」なのだ。
それは、独りよがりでも、一方的な投げ掛けでもない。歌詞から伝わるその体温は、わたしが友人からもらってきた勇気に似ている。
そして、わたしが友人を思う時の感覚そのものなのだ。

悲しみを知ることは不幸なことなのだろうか。違う、悲しみを知って愛に気づくのだと思う。

40代の歌詞はなんだろう。
それは、きっともう教えてもらわなくても大丈夫そうだ。





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