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スマホを(湯船に)落としただけなのに〜焼け石に水編〜


 数日前、スマートフォンを水没させた。

 まず前提として、わたしは結構なスマホ依存人間である。

 家にいる時も四六時中スマホをそばに置いているし、特に用事もないのにSNSを開いて閉じてを繰り返す。スマホで有意義なことをしているのかと訊かれると、首を縦には振りづらい。
 典型的なタイプだ。

 確かにガラケーだった時代も肌身離さず持っていたが、近頃は目に余る依存ぶりだ。
 お風呂に入る際も浴室に持ち込み、湯船に浸かりながらツイッターをスクロールスクロールスクロール……
 何かを発信するでもなく、誰かとやりとりをするでもなく、次々と流れる誰かの呟きや怒りや喜びを眺めるのだ。

 暇になるのが怖いのかもしれない。常に何かしらの情報を脳に流し込んでいたい、そんな心持ちだったように思う。

 ところが冒頭の通り、そんなわたしのスマホ持ち込み癖が仇となり、つるりと手が滑ってあっという間に湯船にドボンだ。

 音楽を流していたスマホは、健気にもお湯の底で未だ音を奏でている。
 防水性と謳っていたスマホだったけれど、ここまで思いっきりお湯に沈んでしまってはまずいのではないだろうか。焦ったわたしは必死の形相で溺れるスマホを救い出し、バスタオルの上に寝かせた。
 まずい。非常にまずい気がする。だって、スピーカーから流れる音がどう考えても変だ。

 わたしの嫌な予感は盛大に当たり、数分後にはスマホの画面が真っ暗になってしまった。
 途中、緑の線が現れては消え、必死に息を吹き返そうとしていたが、彼(彼女?)の努力も虚しく、次第に力尽きていったのだった。

「あああ……」

 髪も濡れたまま、わたしは咆哮した。

 100%、己の過失が招いた事態だ。もしタイムマシンがあるならお風呂に入る前の自分を殴りたい。

「人間は愚か……」

 呟いて、首を横に振る。すぐ人間のせいにする。

 翌日、普段のツイッター活動の成果を見せよう!と躍起になったわたしは、以前タイムライン上で見かけた「スマホを水没させたら米と乾燥剤と一緒にしてジップロックに入れろ」という方法を試した。

 これが悪手だったことは言うまでもない。

 おそらく、わたしのスマホは乾燥させるという次元を超えていた。
 つまりたとえば、大火事にジョウロで水をかけるような、腕がもげたのに絆創膏を貼るような、そんな感じだったと思う(こういうことを表すことわざを思い出したのでサブタイトルにしました)。
 案の定、スマートフォンは沈黙を貫いた。 

 ちなみに、この状況でもわたしにはiPadがあったので、連絡を取ることはできた。ただ、SNSを見る気にはなれず、少し距離を置けたのは良かったのかもしれない。(良くない)

 翌々日、満を持して外出した。スマホを修理に出すためだ。

 わたしは、このスマホを2年以上使っていたので、保証の類はほぼ効力が切れていた。残念極まりない。物を長く使うことが裏目に出た。
 よって頼みの綱は街の修理屋さんだった。

 その日は夫が車を使っていたため、市営バスで目的地へ向かうことにした。
 当たり前だが、外出先ではスマホが使えないので、あらかじめバスの時刻をメモに書き記す。
 修理ってどのくらい時間がかかるのだろう。幸いにも、修理屋さんの周辺は商業施設が立ち並んでいるため、暇を潰すことはできそうだ。

 こうしていると小学生の頃を思い出す。あの頃はスマホで時刻表を調べることなどなかった。
 今は便利だから、考えなしに出かけても電車や地下鉄は数分おきにやってくるし、バスだって乗り換えアプリで調べればすぐに時刻が表示される。

 スマホのない外出なんて明らかに不便なのに、少し前の時代ではそれが当たり前だったのかと思うと、心なしか遠足気分でこの状況を楽しんでいる自分がいた。呑気である。

 実を言うとはじめてスマホの修理屋さんを利用したのだが、その対応スピードには驚いた。

 あれほどうんともすんとも言わなかったわたしのびしょ濡れの相棒を、ものの2時間で復活させてくれたのだ。
 少々値は張ったが、仕様がない。これ以上の方法はなかったし、何より一刻も早くこの状況を脱したかった。
 
 手元に戻ってきたスマホは、電源を押すとしっかりと画面が表示され、かつてのようにわたしを迎え入れた。

 おおお……と言葉にならない喜びを噛み締めていると、店員さんがやや気まずそうに口を開いた。

「ええっとぉ、直したんですけどね。もしかして水没させてから、けっこう時間経っちゃってましたか?」

「あ……はい、水没させたのはおとといなので……」

 わたしが答えると店員さんは、ああ、やっぱり!と合点がいった様子で視線をよこした。

「あのですね、中を開けてみたら結構……水が入っちゃってましてね。すでに錆びがはじまってたんですよ。だから、念のため、バックアップを取って置いた方がいいと思います」

「あの……もしかしたら壊れちゃうってことでしょうか」

「いやまあ、それは、なんとも……ただ、そうですね。もしそうなってしまったら、多分修理に出すよりも新しく買ってしまう方が安くつくと思います」

 なるほど。それは。つまり。

 つまり…………そういうことだ。

 延命はしてくれたけれど、確実に寿命を削ってしまったらしい。
 ああ、スマホをジップロックなどに入れずに、すぐ修理に出すべきだった。いやそもそも、スマホを湯船に落とさなければ……

 わたしは手元に戻ったスマホをしきりに撫でながら帰りのバスに乗り込んだ。落とさないように。落とさないように。
 帰りすがら、わたしは様々なことに思いを馳せた。
 呑気な癖に妙なところでせっかちな性格が災いして、悪手に悪手を重ねてしまったのではないだろうか。
 修理屋さんに出しても、どうせ壊れてしまうのなら、最初から交換または機種変更でもすればよかったのではないか。

 バスに揺られ、ごつんと頭がガラスにぶつかる。考えても仕様のないタラレバを、ぼんやりと反芻させた。

 ひとまずスマホは直ったけれど、さすがにもうお風呂に持ち込む気にはなれなかった。当たり前だ。

 前日の夜は、壊れたスマホのことで頭がいっぱいだったから意識していなかったけれど、こうしてスマホのない状態で入浴するのは久しぶりだった。

 スマホがなければ、何も見るものがない。それってかなり暇になるんじゃないか?
 お風呂に入るのだから、ただ髪や身体を洗い、疲れを取ることに専念すればいいのに、そのような発想に至るのはもうほとんど末期だ。

 あまりにも自分が「暇」や「退屈」、いわゆる「余白」を恐れていることを自覚した。


 話は少し逸れるが、このところわたしは以前のようなペースでエッセイを書けないでいた。

 それは、私生活や新しく始めた仕事の影響であることは間違いないのだけれど、ただ時間がないという問題だけではないことにも少しずつ気づいていた。 

 何故ならそもそも、「書きたい」と思うことがないのだ。

 以前は生活の中ですこしでも琴線に触れるような出来事があればすぐに「書きたい!」と思うのに、このところはそんな出来事に出会えないでいた。
 自分にはこういったことが極たまにあって、それでも結局は「書きたい」と思える日が来ることは確信していたため、この状況をさほど危惧していなかった。
 そういう時期なんだな、くらいに思っていたのだ。


 話は戻って、スマホのない入浴時間だ。

 わたしの恐れていた、「暇」が襲いかかって来るのだろうか。そんな風に身構えていたが、意外な結論を導き出した。

 スマホがないと、わたしの頭の中は饒舌だった。

 確かに最初は無言でぼーっとシャンプーを泡立たせていたのだが、そのうちに脳内で考え事が始まる。
 そうすると、その日の出来事や出会った人の言葉や表情、自分の感情、様々なことが次々と思い起こされて、「そういえば」「そういえば」と自分談義が行われる。

 不意に、ああそうだ、あれ書きたいんだった。と以前の出来事を思い出した。そうそう、あれ、おもしろかったな。絶対にエッセイにしようと思っていたのに、どうして忘れていたのだろう。

 そこまで考えて、少しだけハッとした。

 そうか、このところわたしは情報を流し込むばかりで、自分と向き合う「余白」の時間を一切設けていなかった。

 それは意識して行うことではなかったけれど、お風呂の中というのは案外己と向き合い、考え事をするのに向いていたのかもしれない。

 例に漏れず、スマホを眺めてばかりのわたしが唯一身一つで、自分の心の声のみに耳を傾けられる場所だったのかもしれない。
 それをわたしは自ら奪っていたのだ。

 わたしは湯船から颯爽と上がる。

 書きたいことが次々と出てきた。忘れないうちに書き留めておかなければ。

 そうは言いつつも、今後もすっかりスマホと離れて生活するなんてことは(でき)ないだろう。

 けれど、「暇」や「退屈」は、わたしにとって大切な「余白」だったのだ。

 それに気づけただけでも儲けもの……

……と言うには代償が大きすぎるけれども。

(やっぱりタイムマシンがあったら、数日前の自分を殴りに行きたい。)



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