4分前のエール
時刻を確認する。
9時47分。約束の時間の13分前だった。
待ち合わせはいつもギリギリで息切れをしながら登場することの多いわたしにとって、余裕のある到着は珍しい。
故に、気持ちがそわそわと落ち着かない。
遅刻は論外だけれど、相手にも準備があるだろうし、早すぎるのもいただけない。
その日も具合が悪くなるほど絶好調にかんかん照りで、耐えきれず日陰に避難し暑さを凌ぐ。
再度時刻を確認した。9時50分。
よし、約束の時間の4分前になったら中に入ろう。5分前じゃなくて、4分前。
なんとなく、5分前と4分前は大きくちがうと思う。
わたしは道ゆく人に視線を移しながら、ふと「前にもこんなことがあったなあ」と思い出した。
◇
その日は珍しく早起きだった。
いつもは夜型人間の名をほしいままにしているわたしだけれど、さすがに面接とあらば遅刻はできない。
ここで働いてみたいと心から思える求人情報に出会って1ヶ月足らず。
近頃は書類落ちばかりだったわたしが久しぶりに二次面接まで漕ぎ着けたものだから、浮き足立った心地のまま当日を迎えてしまった。
絵本や本などの作品制作を中心とした生活を維持しながら、ライター業を請け負い、できる範囲でどこかに属して働いてみたいというのは以前からちょっとした理想の姿だった。
変化を好むのは昔からだけれど、意外にもなんでもやってみたいと思える自分に気づいたのは会社を辞めてからだった。
ある意味欲深いとも言える。いい発見だった。
あれほど「働きたくない」と愚痴をこぼしていたわたしが、結局なんだかんだと働くことに歩み寄っているのだから笑ってしまう。
それは、色んな出会いがあったからには違いないが、しかしなにより時間の偉大さを感じる。
「あなたは長い時間をかけて傷を負ったのだから、その傷をすぐに治そうと思わなくていいんだからね。少なくとも傷ついた時間の倍くらいは休んでいいの!」
以前、そんな言葉をかけてくれた友人のことを思う。
ほんとうに、その通りだったな。あの言葉にはとても感謝している。
(でも、働かないで5千兆円もらえるならそれに越したことはない。)
◇
早々に化粧を終わらせ、ほぼ1年ぶりとも言えるオフィスカジュアルな服に身を包む。
服装の指定はなかったので、リクルートスーツではなく、できるだけスーツに近い服装を選んだ。
会社員時代によく着ていた夏用の涼しげなノーカラージャケット。
丁寧にアイロンがかけられたまま仕舞われたパンツはパリッとした感触で、気持ちも引き締まる。
今更ながら「面接 持ち物」と調べて、慌てて腕時計をつけた。
アクセサリースタンドの上で手を泳がせる。
イヤリングは嫌味のないシンプルなもの。指輪はつけない方がいいかな。でも、1つくらいは。
玄関で靴を選ぶ。それこそ新卒の就活以来に、黒いパンプスを履いた。
地味で、あんまり可愛くなくて、しかもちょっと窮屈なので長時間履いていると苦しくなってくるやつだ。
大学生の頃は、このパンプスで就活をしていたんだなあ。
しばし懐かしさに想いを馳せるも、わたしはその靴を脱いで靴箱に仕舞った。
代わりに選んだのは、同じ黒でも先が少し尖って、大人っぽく可愛らしいリボンがあしらわれたパンプスだった。
此の期に及んで、こんな時でも「自分の好きな方」を選ぶ自分がいるとは。
自分自身に驚きながらも、一方で感心していた。
できる範囲内だけれど、少しでも気持ちが上がるもので向かった方がいい場所だ。特に今日は。
良くも悪くも、もう新卒時代の自分ではないのだと強く感じた。
同居人に「行ってくるよ」と言うと、「喝を入れるからあっち向いて」と背中を差し出すように言われる。
「痛いのはやめてね」と3回くらい訴えたが、彼は何も言わない。何も言わないので真意がわからず戸惑う。
ばん!想像よりも小さい音がして振り向くと、「頑張れ」と彼が笑っていた。
全然痛くなかったので、喝としてはパワーが薄いかも、しかしわたしは彼の言葉が一番のお守りだと気づかされる。
昔も今も、ずっと変わらない。
◇
会社の近くに到着したが、約束の時間よりも早かったので付近ですこし待つことにした。
あまり早すぎても、相手を困らせてしまうから。
そう教えてくれたのは以前働いていた会社の上司だった。
彼はわたしを新卒から育ててくれた人で、ビジネスはおろか社会の常識すら知らなかったわたしに様々なことを教えてくれた人だ。
忙しい部署だったけれど、それでも自分の仕事、とりわけ扱う商材に常に楽しみや興味を持つことを忘れない、そんな人だった。
仕事柄、商談も多かったので、わたしは東京じゅうの取引先を上司と一緒に回った。暑い日も、寒い日も、風の日も、雨の日も。
取引先の人が時間を間違えていたのに、理不尽に名刺を投げられたこともあったっけ。
上司は東京の地下鉄を熟知していて、「この位置から乗れば、目的地に近い出口に出れる」とか「ここは乗り換えずに歩いた方が速い」とか「こっちの路線の方が目的地に近い」とか、そういうのが全て頭に入っている人だった。乗り換えアプリを開くより、上司に聞いた方が手っ取り早いくらいだ。
色んな場所に赴いたけれども、意外と「余裕を持ってちょうどいい時間に着く」ことは難しく、大体は少し早めに着いてしまう。
そういう時は、早すぎても相手の迷惑になるからと必ず二人で数分だけ時間を潰した。
「4分前になったら行きましょう」それが上司の決まり文句だった。
それが時には6分前だったり、2分前だったりしたこともあったけれど、いつも決まってキリのいい数字ではなく、1分単位で刻んでくるのだ。
実のところ上司にその真意を聞いたことはなかったのだが、でもわたしには、その感覚がなんとなく分かった。
これは完全にわたしの勝手な考えだが、5分前だと、用意してました感があるけれど、4分前だとちょうどこの時間に着きました感があって、相手にも気を遣わせない気持ちのいいこなれ感がある気がするのだ。
その数分の間、目的地のそばで時計をチラチラ見ながら、互いに少しだけ言葉を交わす。
「それにしても今日は暑いですね」とか、「この近くに〇〇っていうお店があるんだよ」とか、そんな世間話をしたり、はたまたその日の商談事項を確認したりと、会話の内容は多岐に渡った。
和やかだけれど、商談前の独特なぴりっとした緊張感がつきまとうその数分間は、わたしにとって「社会人」を凝縮したような時間で、存外嫌いではなかったのだ。
◇
あれから数年経ち、こうして面接前に数分の時間を潰している自分がいる。
5分前になっても身体は動かない。あと1分待とう。
良いも悪いもなく、自然とそう思ってしまうのは間違いなく、上司と過ごしたあの頃の習慣の賜物だろう。
そういえば、当時もこうしてじりじりと突き刺す日差しを避けるように、日陰で涼んでいたっけ。
ああ、でも、もう隣に上司はいないんだなあ。そんな当たり前のことを思った。
瞬間、心の中にほんのすこしの寂しさが押し寄せた。
けれども、自分の選択に後悔はない。
奇しくも、わたしは会社を辞めたことによってほんとうの独り立ちをして、こうして上司から学んだことや習慣が自分の中にとどまり続けることに、新しい会社で働こうとして気づかされる。
これから、どんな人生が待っているのだろう。
わたしは、会社を辞める時に笑って送り出してくれた上司のことを思った。
上司には迷惑をかけた部分も大きかったので、今でも心残りはある。
でも、それだけじゃなかったことを思い出した。
できることならいつだって、胸を張れる自分でいたい。
この思い出やさみしさをすべて糧にしてしまう自分のことを恥ずかしいとは思わない。
時計の針が9時56分を差す。
4分前になった。
わたしは大きく一歩、歩き出した。
とても励みになります。たくさんたくさん文章を書き続けます。